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■21265 / inTopicNo.73)  Re[2]: 超越論的感性論 第六項:Z−1
  
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 11:26:17)
    2022/03/05(Sat) 11:35:51 編集(投稿者)

    うましかさん、こんにちは(^○^)

    No 21262
    ひえー難しい。

    しっかり理解せずに置いてたところなので、うましかさんの投稿をきっかけに自分内で考えさせていただきますね、
    お気になさらないでくださいね、
    ありがとうございます(^人^)

    内勉強
    ※※※※※※※※※※※※
    うましかさんの書き込みの単語も使わせていただきますねm(_ _)m
    英訳はJ. M. D. Meiklejohnさんのものです。
    ※はスマホの翻訳で出たものです。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap21

    「時間は、それ自身だけで存立する或るもの」(ではなく)

    Time is not something which subsists of itself,

    ※subsists存続する

    「あるいは諸物に客観的規定として結びついていて」(いるものでもなく)

    or which inheres in things as an objective determination,

    ※ inheres 継承する

    「したがって、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るものではない。」のであり、その反対(直観の主観的条件のもとに残る)である。

    and therefore remains, when abstraction is made of the subjective conditions of the intuition of things.

    ※abstraction 抽象概念

    この続きの箇所
    For in the former case, it would be something real, yet without presenting to any power of perception any real object.

    In the latter case, as an order or determination inherent in things themselves, it could not be antecedent to things, as their condition, nor discerned or intuited by means of synthetical propositions a priori.

    But all this is quite possible when we regard time as merely the subjective condition under which all our intuitions take place. For in that case, this form of the inward intuition can be represented prior to the objects, and consequently a priori

引用返信/返信 削除キー/
■21262 / inTopicNo.74)  超越論的感性論 第六項:Z−1
□投稿者/ うましか -(2022/03/05(Sat) 08:16:17)
    2022/03/05(Sat) 08:17:27 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございます!


    うましかは、ほそぼそと週末・朝の沼浴びです(´;ω;`)ウッ…


    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第六項 これらの概念からの結論

    ◇ a) 時間は、それ自身だけで存立する或るもの、あるいは諸物に客観的規定として結びついていて、したがって、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るものではない。

    ◇なぜなら、第一の場合〔*1〕には、時間は、現実的対象無しでも、それにもかかわらず現実的に存在する或るものとなってしまうであろうからである。

     *1 「それ自身だけで存立する或るもの」である場合

     ※1 原佑訳では文意が得にくいため、中山元訳1,p.101を参照した。

    ◇しかし、第二の場合〔*2〕に関して言えば、時間は、諸物自身に結びついている一つの規定ないしは秩序として、諸対象にそれらの条件として先行し得ないことになり、だから綜合命題によってア・プリオリに認識されたり直観され得ないことになるであろう。

     *2 「諸物に客観的規定として結びついているため、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るもの」である場合

    ◇これに反して、この後者のことは、時間が全ての直観がそのもとで私たちの内で生じ得る主観的条件以外の何ものでもないなら、極めてよく生ずることである。

     ※2 石川文康訳上巻,p.88〜p.89では次のようにある。「ところが、時間が主観的条件であり、その条件の下で、すべての直観がわれわれの内で起こるのだとすれば、そのことはよく説明がつくのである。」

    ◇なぜなら、その時には内的直観の時間というこの形式は、諸対象に先立って、したがってア・プリオリに、表象され得るからである。


    † 原佑訳上巻、p.163参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Z−1 No.21262
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262

引用返信/返信 削除キー/
■21252 / inTopicNo.75)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/04(Fri) 18:44:28)
    No21247
    > 大分、おくればしながら…
    > 進化の事は、マジモンに聞け。
    > はい、おはようございます、Pipitさん<

    はい、おこんばんわです、マジモンさん (^ ^)

    > 進化は一定方向じゃないです、どちらかという出来損ないの生命が進化します。<

    おもしろいですね、いろんな要因が絡まってくるのかな。

    > 一定方向に進化する生命はもちろんありますが、
    > それらエリート生命に追いやられた出来損ない生命が足掻いたゆえの進化なのです。<

    おぉ、知恵という言葉を今思い浮かべました。
    いや、根性でしょうか。。。
    閃き。。。
    やっぱり根性かな( ^ω^ )

    この頃、創発性という言葉も頭に浮かぶんですよね。

    コトバンクさんより引用
    『創発

    「創発」とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない特性が、全体として現れること。物理学や生物学などで使われる用語「emergence」(発現)が語源で、自律的な要素が集積し組織化することにより、個々のふるまいを凌駕する高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象あるいは状態をいいます。所与の条件に基づく予測や計画、意図を超えたイノベーションが誘発されるところから「創発」と呼ばれ、組織論やナレッジマネジメントの分野では、個々人の能力や発想を組み合わせて創造的な成果に結びつける取り組みとして注目を集めています。』

    ど根性であがいてたら、いろんな偶然必然重なって、思いもかけないこと起きたり、ね

    生命、認識、進化、いろいろ不思議ですね
    今日も一日おつかれさまです(^_^)
引用返信/返信 削除キー/
■21247 / inTopicNo.76)  Re[9]: 日記
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/03/04(Fri) 11:17:41)
    No21211に返信(pipitさんの記事)
    > No21202
    > >それからこれはイラストのページだから、更科さんの文じゃないかもだけど、
    > メロンの網みたいな上に人間がのってて、
    > 『進化というと一方向を想像しがちだけど、、、
    > 実際の進化は網目のように進むのかもね』p233
    >
    > 一直線の進化じゃないっておもしろいよね。<
    >
    > さっき、ビックバンのこと思い出したよ。
    > 違う本の前書きで、もともと同じ点だった私たちが今こんなに多様にわかれて、みたいな発想で書かれてて。
    >
    > そう思うと、最初の一点が、それぞれに進化して、今にある、
    > と思う捉え方も可能だね、と、思いました。
    >
    > 昔から思うんだけど、
    > 動物も魚も人間も、細胞は一緒なのかな?違うのかな?
    > 魚は違うのかな?
    > あ、真核とか、その違いかな、
    > それでも同じようなもので、それぞれの身体が構成されてるの
    > 不思議だなと思ってました。
    >
    > 生物も、高校の時、全く勉強してなかったなあ。(−_−;)


    大分、おくればしながら…
    進化の事は、マジモンに聞け。
    はい、おはようございます、Pipitさん

    進化は一定方向じゃないです、どちらかという出来損ないの生命が進化します。

    一定方向に進化する生命はもちろんありますが、
    それらエリート生命に追いやられた出来損ない生命が足掻いたゆえの進化なのです。
引用返信/返信 削除キー/
■21243 / inTopicNo.77)  結合一般の可能性/総合的な統一について
□投稿者/ pipit -(2022/03/03(Thu) 22:46:12)
    みなさま、こんばんは。

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リストを読解の参考にさせていただきます。

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    第一五項 結合一般の可能性について
    142 知性による〈総合〉の根源性
    143 総合的な統一 ★
    143n 像についての意識
    第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について

    ==================
    今日は、
    143 総合的な統一 ★
    です。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap42

    英訳省略m(_ _)m

    (DeepL機械翻訳)
    しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。

    (pipit雑感)
    conjunction(結合)の概念には、
    多様と、その総合に加え、
    統一の概念も含まれてる、と。

    レゴで考えてみます。
    レゴの結合という概念には、
    レゴブロックの多様、その多様の総合、そして統一という概念が含まれてる、と。

    前の箇所でカントは

    > DeepL機械翻訳
    この行為に対して、我々は一般的に合成という名称を与え、それによって同時に、我々は以前に我々自身で結合したことがなければ、対象の中で結合したものとして何かを表すことはできないということを示すことにする。<

    としてあり、
    結合像は、結合する行為によって可能となると言っていましたね。

    そして、結合する行為部分に、(synthesis)総合という単語をあてがっていましたね。

    レゴで言えば、

    バラバラのブロック→( the manifold)多様
    お城→(conjunction)結合
    お城を作る行為→(synthesis)総合

    というイメージかな、と。(違うかったらすみませんm(_ _)m)

    ここで最初のDeepL機械翻訳に戻りますね。

    > (DeepL機械翻訳)
    しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。<

    レゴで考えてみますね、

    お城という作品には、ブロック(感性による多様)とブロックを結合していく行為(総合)に加えて、【統一】the unityの概念も含まれてる、と。

    これ、まだわからないけど、今思ってるのは、
    単一体として捉えることかなーと。
    違うかなあ。

    ※※※※※※※※※

    ここで、御子柴善之先生の解説読みました。
    ほー、なるほどー!(◎_◎;)
    ↓御子柴先生の解説

    『、この結合には「統一」という共通の場が必要なのです。多様なものを結合することができるのは、その多様が共通の場に位置しているからです。』
    (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、p200)

    いろんな解釈あるかもだけど、御子柴先生的には、この統一の場に、「私は考える」という自己意識を持ってくるのかも!
    ※p201の小題が、
    〈統一の場は「私は考える」という自己意識である〉となっていました。
    このあたりは今読んでいる箇所よりもう少し後ででてくるかな。またその時にあらためて考えてみます。

    ※※※※※※※※※※※

    143 総合的な統一 ★の読解に戻って、続けます。
引用返信/返信 削除キー/
■21219 / inTopicNo.78)  Re[18]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:17:44)
    ということで、
    ======================
    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リストを読解の参考にさせていただきます。
    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    第一五項 結合一般の可能性について
    142 知性による〈総合〉の根源性 ★
    143 総合的な統一
    143n 像についての意識

    ==================

    の、142 知性による〈総合〉の根源性 ★
    の部分の読書をおわります。

引用返信/返信 削除キー/
■21218 / inTopicNo.79)  Re[17]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:14:47)
    The reader will easily enough perceive that the possibility of conjunction must be grounded in the very nature of this act, and that it must be equally valid for all conjunction, and that analysis, which appears to be its contrary, must, nevertheless, always presuppose it; for where the understanding has not previously conjoined, it cannot dissect or analyse, because only as conjoined by it, must that which is to be analysed have been given to our faculty of representation.

    DeepL機械翻訳
    読者は、結合の可能性がこの行為の本質に根ざしていなければならないこと、そしてそれがすべての結合に対して等しく有効でなければならないこと、そしてその反対に見える分析が、それでも常にそれを前提にしていなければならないことを容易に理解するだろう。なぜなら、理解力が以前に結合していないところでは、解剖も分析もできないからである。

    ここ、ちょっとおもしろいです。
    解剖・分析できるのは、まえもって結合してるからだ、と、カントは考えているんですね。
引用返信/返信 削除キー/
■21217 / inTopicNo.80)  Re[16]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:09:24)
    Of all mental notions, that of conjunction is the only one which cannot be given through objects, but can be originated only by the subject itself, because it is an act of its purely spontaneous activity.

    DeepL機械翻訳
    あらゆる心的観念の中で、結合の観念だけは、対象を通して与えられることはなく、主体自身によってのみ発生させることができるものである。


引用返信/返信 削除キー/
■21216 / inTopicNo.81)  Re[15]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:02:24)
    2022/03/02(Wed) 15:03:24 編集(投稿者)

    No21213
    そして、その結合を〈総合〉と名付ける、と。

    To this act we shall give the general appellation of synthesis, thereby to indicate, at the same time, that we cannot represent anything as conjoined in the object without having previously conjoined it ourselves.

    DeepL機械翻訳
    この行為に対して、我々は一般的に合成という名称を与え、それによって同時に、我々は以前に我々自身で結合したことがなければ、対象の中で結合したものとして何かを表すことはできないということを示すことにする。

    合成と訳されてるのは「synthesis」ですね。
    中山先生は、該当箇所原語を総合と訳されています。

    文章の後半で述べてることは、
    例えばレゴブロックで組み立てた車を認識対象とするには、認識する事前に、自分で組み立てていなければ何も対象とならない、と言っているのではないかと。

    カントにとっては、感性に与えられたものは、あくまでも未分別の多様なのですね。

    ここらへんは異論反論でそうなとこですね。

引用返信/返信 削除キー/
■21215 / inTopicNo.82)  Re[14]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 14:53:04)
    No21214
    >カント的には、
    感性によって与えられた多様の結合は、一切を知性の働きに担わせている、という意味で、
    知性の根源性なのでしょうね。<

    But the conjunction (conjunctio) of a manifold in intuition never can be given us by the senses; it cannot therefore be contained in the pure form of sensuous intuition, for it is a spontaneous act of the faculty of representation. And as we must, to distinguish it from sensibility, entitle this faculty understanding; so all conjunction whether conscious or unconscious, be it of the manifold in intuition, sensuous or non-sensuous, or of several conceptions&#8212;is an act of the understanding.

    DeepL機械翻訳
    しかし、直観における多様なものの結合(conjunctio)は、感覚によって与えられることはない。したがって、感覚的直観の純粋な形態に含まれることはない。そして、感性と区別するために、この能力を「理解」と名づけなければならない。したがって、意識的であろうと無意識的であろうと、直観における多様なもの、感覚的であろうと非感覚的であろうと、あるいはいくつかの観念の結合はすべて、理解の行為なのである。

    ※翻訳で「理解」と訳されてるのは、「understanding」ですね。
    カント哲学では、悟性と訳すことが多いと思います。中山元先生は知性と訳されています。

引用返信/返信 削除キー/
■21214 / inTopicNo.83)  知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 14:47:00)
    No21213
    (pipit雑感)

    中山先生によるタイトル名
    > 知性による〈総合〉の根源性<


    なんの根源性?と思って該当箇所を読んだら、
    多分、、、〈総合〉はすべて、知性を根源とする、という意味かなと、思いました。

    この項にカントが名付けた、「結合一般の可能性について」部分の英訳のタイトルを見てみます。

    Of the Possibility of a Conjunction of the manifold representations given by Sense

    機械翻訳
    Senseによって与えられる多様体表現の結合の可能性について

    カント的には、
    感性によって与えられた多様の結合は、一切を知性の働きに担わせている、という意味で、
    知性の根源性なのでしょうね。

引用返信/返信 削除キー/
■21213 / inTopicNo.84)  結合一般の可能性/知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 14:28:32)
    みなさま、こんにちは。
    No21209

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リストを読解の参考にさせていただきます。

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    第一五項 結合一般の可能性について
    142 知性による〈総合〉の根源性 ★
    143 総合的な統一
    143n 像についての意識
    第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について

    ==================

    142 知性による〈総合〉の根源性 ★
    該当部分の英訳

    Translator: J. M. D. Meiklejohn

    省略 m(__)m

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap42

    DeepL機械翻訳
    そして、この直観の形式は、対象が影響を受ける様式以外の何ものでもなく、私たちの表象能力の中に先験的に存在することができるのである。しかし、直観における多様体の結合(conjunctio)は、決して感覚によって与えられることはない。したがって、それは感覚的直観の純粋な形態に含まれることはできず、表象能力の自発的行為であるからである。そして、感性と区別するために、この能力を「理解」と名づけなければならない。したがって、意識的か無意識的かにかかわらず、直観の多様性、感覚的か非感覚的かにかかわらず、あるいはいくつかの概念にかかわるすべての結合は、理解による行為である。この行為に対して、我々は一般的に合成という名称を与え、それによって同時に、我々は以前に自分自身で結合したことがなければ、対象において結合されたものとして何かを表すことはできないことを示すことにしたい。あらゆる精神的観念の中で、結合の観念は、対象を通して与えられることのない唯一のものであり、主体自身によってのみ生じさせることができるものである。読者は、結合の可能性がこの行為の本質に根ざしていなければならないこと、そして、すべての結合に等しく有効でなければならないこと、そして、その反対に見える分析が、それにもかかわらず、常にそれを前提にしなければならないことを容易に理解するだろう。

引用返信/返信 削除キー/

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