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No21262 の記事


■21262 / )  超越論的感性論 第六項:Z−1
□投稿者/ うましか -(2022/03/05(Sat) 08:16:17)
    2022/03/05(Sat) 08:17:27 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございます!


    うましかは、ほそぼそと週末・朝の沼浴びです(´;ω;`)ウッ…


    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第六項 これらの概念からの結論

    ◇ a) 時間は、それ自身だけで存立する或るもの、あるいは諸物に客観的規定として結びついていて、したがって、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るものではない。

    ◇なぜなら、第一の場合〔*1〕には、時間は、現実的対象無しでも、それにもかかわらず現実的に存在する或るものとなってしまうであろうからである。

     *1 「それ自身だけで存立する或るもの」である場合

     ※1 原佑訳では文意が得にくいため、中山元訳1,p.101を参照した。

    ◇しかし、第二の場合〔*2〕に関して言えば、時間は、諸物自身に結びついている一つの規定ないしは秩序として、諸対象にそれらの条件として先行し得ないことになり、だから綜合命題によってア・プリオリに認識されたり直観され得ないことになるであろう。

     *2 「諸物に客観的規定として結びついているため、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るもの」である場合

    ◇これに反して、この後者のことは、時間が全ての直観がそのもとで私たちの内で生じ得る主観的条件以外の何ものでもないなら、極めてよく生ずることである。

     ※2 石川文康訳上巻,p.88〜p.89では次のようにある。「ところが、時間が主観的条件であり、その条件の下で、すべての直観がわれわれの内で起こるのだとすれば、そのことはよく説明がつくのである。」

    ◇なぜなら、その時には内的直観の時間というこの形式は、諸対象に先立って、したがってア・プリオリに、表象され得るからである。


    † 原佑訳上巻、p.163参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

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    Z−1 No.21262
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262

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