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■21211 / inTopicNo.85)  日記
  
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 06:53:09)
    No21202
    >それからこれはイラストのページだから、更科さんの文じゃないかもだけど、
    メロンの網みたいな上に人間がのってて、
    『進化というと一方向を想像しがちだけど、、、
    実際の進化は網目のように進むのかもね』p233

    一直線の進化じゃないっておもしろいよね。<

    さっき、ビックバンのこと思い出したよ。
    違う本の前書きで、もともと同じ点だった私たちが今こんなに多様にわかれて、みたいな発想で書かれてて。

    そう思うと、最初の一点が、それぞれに進化して、今にある、
    と思う捉え方も可能だね、と、思いました。

    昔から思うんだけど、
    動物も魚も人間も、細胞は一緒なのかな?違うのかな?
    魚は違うのかな?
    あ、真核とか、その違いかな、
    それでも同じようなもので、それぞれの身体が構成されてるの
    不思議だなと思ってました。

    生物も、高校の時、全く勉強してなかったなあ。(−_−;)

引用返信/返信 削除キー/
■21209 / inTopicNo.86)  演繹論「結合一般の可能性について」
□投稿者/ pipit -(2022/03/01(Tue) 22:54:55)
    No21208
    まずは、

    第一五項 結合一般の可能性について

    から見てみます。

    ===================
    ★導きの系として、中山先生の段落タイトルを参考にさせていただきます。 

    以下https://www.kotensinyaku.jp/column/2011/09/005064/
    より引用
    『中山 元さんによる新訳『純粋理性批判 』では、すべての段落にタイトルと番号がつけてあり、解説はすべてこの番号で行われています。このタイトルと番号をピックアップして、タイトル・リストをPDFで作成しました。 訳者あとがきでもふれていらっしゃいますが、かつて中山さんご自身も理解を確かめるためにタイトル・リストを作成されていたそうです。 ぜひ、カントの思考を理解するための一助としてご活用ください。』

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    ==================
    中山先生による段落タイトル名

    第一五項 結合一般の可能性について
    142 知性による〈総合〉の根源性
    143 総合的な統一
    143n 像についての意識

引用返信/返信 削除キー/
■21208 / inTopicNo.87)  Re[10]: 『純粋理性批判』
□投稿者/ pipit -(2022/03/01(Tue) 22:42:06)
    No21207

    ということで、

    『純粋悟性概念の超越論的演繹』・・・通称〈根拠づけの館〉・・・


    『第二節 純粋知性概念の超越論的な根拠づけ』は、

    第一五項 結合一般の可能性について

    第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について





    第二七項 知性の概念の根拠づけからえられた結論

    と、カントがつけた項の15から27までです。

引用返信/返信 削除キー/
■21207 / inTopicNo.88)  『純粋理性批判』
□投稿者/ pipit -(2022/03/01(Tue) 22:36:08)
    みなさま、こんばんは。
    No21185まで読んできました。

    さて、現在地(純粋知性概念の根拠づけ[=演繹])の確認。
    (pipitが勝手に地方や県などにたとえてます)

    ※カント純粋理性国には、「原理論」「方法論」の二地方があり、今いるのは「原理論」地方。 



    ※「原理論」地方には、「感性論」と「論理学」の二つの県があり、今いるのは「論理学」県。



    ※「論理学」県には、「分析論」と「弁証論」の二つの市があり、今いるのは「分析論」市。



    ※「分析論」市には、「概念の分析論」と「原則の分析論」の二つの町があり、今いるのは「概念の分析論」町。



    ※「概念の分析論」町は、カント的カテゴリーについての二つの章から成り、
    内容で言うと
    第一章・カテゴリーの導出
    第二章・カテゴリーの演繹への準備&カテゴリーの演繹

    昨日まで読んできたのは、

    第二章の前半、準備部分
    「第一節第一三項超越論的な根拠づけ一般の原理について、と、第一四項カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行」

    で、これから読むのが、
    後半の、カテゴリーの演繹

    【 第二節 純粋知性概念の超越論的な根拠づけ 】

引用返信/返信 削除キー/
■21203 / inTopicNo.89)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/03/01(Tue) 20:28:10)
    ちなみに実体(と偶有)は関係のカテゴリーかな?

    主語の一側面?一変化?が述語みたいな?

    今、本読みたくなーい。

    から、記憶で書く、いいかげんな日記です!


    あーーー、それで主語か!!!

    悪魔ちゃん、ありがとー

    二つ表象があって、実体が主語像に、偶有が述語像にあてはめるのかな、ってを

    違うかもだけど、思った!!
引用返信/返信 削除キー/
■21202 / inTopicNo.90)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/01(Tue) 20:20:34)
    こんばんはー

    No21198
    > 「カテゴリー」と「概念concept」、わしも「分類」を考えてるときにいろいろ調べて見たのね。あ、これカントのとは違うのかもしれないけど、ちょっと書いて見るね。
    >
    > ネットから、
    >
    > 「概念」
    > 概念とは、個々の対象、いわゆる個物(個体)よりも複数の個物を包括的・概括的に捕捉する。
    >
    > 「カテゴリー」
    > もはやそれ以上に分けることができない、最も根本的・一般的な基本概念。
    >
    > って、わたししてるのね。
    >
    > たとえば、科学の生物界の三つのドメイン、古細菌、真正細菌、真核生物っていう分け方がカテゴリーで、
    > このこれ以上に分けることができないなかにおいて、界、門、網、目、科、属、種っていうのを設定して、これが概念に当たるんなんじゃないかしら?<


    ああ、おもしろいね。
    分け方の最小?が、カテゴリーだと思ってるんだね?

    おもしろいね。
    カント版カテゴリーは大枠では四つだよ。

    対象(世界の中の何か)についての分け方
    量、質、関係、様相、の四つ。。。

    量がない対象、
    あ、『無の表』があったなぁ。



    > ちなみに、「生物分類学」によると、
    > ヒトのばあい、
    > ドメインは真核生物
    > 界は動物界
    > 門は脊椎動門
    > 網は哺乳網
    > 目はサル目
    > 科はヒト科
    > 属はヒト科
    > 種はHomo sapiens
    >
    > Homo sapiensはラテン語で「賢い人間」の意味。現在人類が属する種の学名。ヒト属で現存する唯一の種。
    >
    > こういうの、ネットにあった。
    >
    > 生物分類学によると、「私」は真核生物で、賢い人間(H.sapiens)になるみたい。
    > なんか、この分類の仕方、怪しい。<


    これ、前にちょっとおもしろい見方、本で読んだんだよ。
    端折って引用するけど、更科功さんの『美しい生物学講義』という本で、
    『たしかに、体の構造を考えれば、私たちは細菌よりも複雑な生物だ。でも、私たちも細菌も、生命が誕生してから約四十億年という同じ時間をかけて進化してきた生物だ。どちらの方が進化しているとか、どちらの方が高等だとか、そういうことはない。』p123

    それからこれはイラストのページだから、更科さんの文じゃないかもだけど、
    メロンの網みたいな上に人間がのってて、
    『進化というと一方向を想像しがちだけど、、、
    実際の進化は網目のように進むのかもね』p233

    一直線の進化じゃないっておもしろいよね。

    力と力の関係で、人間は特別(唯一)と捉えられてる?面もあるのかもしれないね。

    言葉にはそれを発したものがいる、という言葉を思い出したよ。

    この言葉は、わたしが紡ぎ出したもの、かぁ
    そしてそこにはいろいろな影響が入っている

    教えてもらわないと、言葉、わからない、かな。


引用返信/返信 削除キー/
■21198 / inTopicNo.91)  Re[6]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/01(Tue) 19:19:30)
    お邪魔しちゃうね。

    「カテゴリー」と「概念concept」、わしも「分類」を考えてるときにいろいろ調べて見たのね。あ、これカントのとは違うのかもしれないけど、ちょっと書いて見るね。

    ネットから、

    「概念」
    概念とは、個々の対象、いわゆる個物(個体)よりも複数の個物を包括的・概括的に捕捉する。

    「カテゴリー」
    もはやそれ以上に分けることができない、最も根本的・一般的な基本概念。

    って、わたししてるのね。

    たとえば、科学の生物界の三つのドメイン、古細菌、真正細菌、真核生物っていう分け方がカテゴリーで、
    このこれ以上に分けることができないなかにおいて、界、門、網、目、科、属、種っていうのを設定して、これが概念に当たるんなんじゃないかしら?

    ちなみに、「生物分類学」によると、
    ヒトのばあい、
    ドメインは真核生物
    界は動物界
    門は脊椎動門
    網は哺乳網
    目はサル目
    科はヒト科
    属はヒト科
    種はHomo sapiens

    Homo sapiensはラテン語で「賢い人間」の意味。現在人類が属する種の学名。ヒト属で現存する唯一の種。

    こういうの、ネットにあった。

    生物分類学によると、「私」は真核生物で、賢い人間(H.sapiens)になるみたい。
    なんか、この分類の仕方、怪しい。

引用返信/返信 削除キー/
■21188 / inTopicNo.92)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/03/01(Tue) 00:11:39)
    全然外れてるかもしれないので、日記とします。

    考察日記

    カテゴリーとは対象一般の概念であり、

    そのカテゴリーによって、

    (ある対象の)直観は、判断の論理的機能の一つとの関係で決定されると考えられている。


    カテゴリーが適応されたタイプによって、判断機能も決められてくる。

    が、論理機能ということだけによると、どちらを主語にするか述語にするかは未規定。

    が、実体(と偶有)のカテゴリーの下に物体が位置付けられると、


    主語と述語が位置付けられる。

    直観←----実体のカテゴリー

    実体概念が適用された直観を示す対象、が、主語となる。

    ふむー。。。。

    認識対象としての決定、に、おもえるんだよね。
    だから、主語になる。
    ◯◯は△△という判断を起こすとき、
    まず、◯◯を思考対象にする。そこから、思考が広がる。

    だから、実体概念を適用した対象は、主語の位置に座る。

    一応そう考えとこうかな。

引用返信/返信 削除キー/
■21186 / inTopicNo.93)  Re[4]: 超越論的な根拠づけへの移行
□投稿者/ pipit -(2022/02/28(Mon) 23:24:19)
    ここ、もしかしたら英訳が少し、中山先生の捉え方と違うかもで、中山先生の日本語訳を引用して考えてみます。

    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p110より抜粋引用します。[]は中山先生による補足です。

    『141 判断表の概念とカテゴリー表の概念の違い――実体の概念を例として
    (略)
    このために対象の直観は、判断という論理的な機能に関して、カテゴリーによって規定されるのである。
    だから[判断表の「判断の関係」の部門の]断言判断の機能は、主語と述語の関係を規定するものである(たとえば「すべての物体は分割可能なものである」という命題のように)。(略)』

    、、、あ、ここまで引用して、ちょっと、微かに見えたかも、、で、いったんここで投稿します。
引用返信/返信 削除キー/
■21185 / inTopicNo.94)  Re[3]: 超越論的な根拠づけへの移行
□投稿者/ pipit -(2022/02/28(Mon) 23:13:44)
    No21070の続きです。
    みなさま、こんばんは。

    第一四項の最後、
    5.判断表の概念とカテゴリー表の概念の違い――実体の概念を例として141★
    です。

    ここ、ちょっと意味が掴みきれていません。
    難しい。。。

    Translator: J. M. D. Meiklejohn

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap39

    I shall merely premise an explanation of what the categories are. They are conceptions of an object in general, by means of which its intuition is contemplated as determined in relation to one of the logical functions of judgement. The following will make this plain. The function of the categorical judgement is that of the relation of subject to predicate; for example, in the proposition: “All bodies are divisible.” But in regard to the merely logical use of the understanding, it still remains undetermined to which Of these two conceptions belongs the function Of subject and to which that of predicate. For we could also say: “Some divisible is a body.” But the category of substance, when the conception of a body is brought under it, determines that; and its empirical intuition in experience must be contemplated always as subject and never as mere predicate. And so with all the other categories.

    DeepL機械翻訳
    ここでは、カテゴリーとは何かということについて、単に説明をすることを前提にする。カテゴリーとは、ある対象についての一般的な概念であり、それによって、その直観が判断の論理的機能のひとつとの関係で決定されることが企図されている。以下は、このことを明確にするものである。範疇的判断の機能は、主語と述語の関係のことであり、たとえば、命題では、次のようになる。「すべての身体は分割可能である」しかし、理解力の単なる論理的な使用に関しては、これらの2つの概念のうち、どちらに主語の機能が属し、どちらに述語の機能が属するかは、まだ未決定のままである。というのも、私たちはこうも言えるからです。"ある可分なものは体である "とねしかし、物質というカテゴリーは、身体という概念がその下に置かれるとき、それを決定する。そして、経験におけるその経験的直観は、常に主語として、決して単なる述語として観想されねばならない。そして、他のすべてのカテゴリーについても同様である。

引用返信/返信 削除キー/
■21169 / inTopicNo.95)  Re[6]: MINDFULNESS
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/28(Mon) 18:19:01)
引用返信/返信 削除キー/
■21157 / inTopicNo.96)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/27(Sun) 21:48:42)
    2022/02/28(Mon) 16:29:22 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんはー

    マインドフルネスの定義もいろいろあるみたいとpipitは思ってるよ。
    pipitもマインドフルネスのことには詳しくなくて、熊野先生の対談相手の一人がわたしの好きなお坊さま(仏教)だったので、YouTubeみてたよ。

    熊野先生的マインドフルネスを知るために検索してみたよ。
    例えばこのページはどうかな?

    熊野宏昭研究室
    (行動医学)

    https://www.waseda.jp/prj-hum30/30+beyond/labo/489/
     
    ※以下の引用文章は熊野先生の執筆ではなく、熊野先生の研究室を紹介する文章です。
    『「マインドフルネス」という言葉をご存じだろうか。簡単にいうと、瞑想を通して、今この瞬間に心を向け、あるがままの自分を観察する方法だ。
    (略)
    瞑想には、集中瞑想と観察瞑想という2種類がある。何か一つのことに意識を集中して心を研ぎ澄ますのが集中瞑想。一方、意識を外に向けて、まわりの世界を隅々まで感じ取ろうとするのが観察瞑想だ。マインドフルネス瞑想は、後者にあたる。
     (略)
     瞑想は、個人の内的な体験のため科学の対象となりにくかったが、ようやく20年ほど前から、脳科学などの分野で研究が進むようになった。熊野研究室では臨床心理学の観点から、瞑想熟達者の脳波を記録し、別の認知実験のデータなどと照らし合わせながら、集中瞑想と観察瞑想の違いや、マインドフルネスの状態の時、脳がどのような働きをしているのかといったことを解明しようとしている。
    (略)』

    あと、熊野先生個人のかな?ホームページがあったよ。↓

    h
    ttp://hikumano.umin.ac.jp/

    マインドフルネスは賞賛される記事も、逆に問題点が指摘されている記事も、両方読んだ記憶があるよ。

    なんでも包丁と一緒で、有用な面も、危険な面もあるのかもだね。
引用返信/返信 削除キー/

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