| pipitさん、こんばんは。 気づくのが遅くなってすみません。
■No22103に返信(pipitさんの記事) > ふくろうさん、こんにちは! > > 論理ヲタさん??のふくろうさんに一度聞いてみたいなと思ってたのですが、 > 論理って、何だと思われてますか?? > > 前から、論理ってなにかなと考えることがあって。。。 > カントは知性の形式って言ってたかなあ(うろ覚えです(^^;;) > > もしよかったら教えてくださいませー > *********************** いえいえ、私は自分なりに論理学に関心は持っていますが、残念ながら、そんなに詳しくはないんですよ。
で、お尋ねの件ですが、まともに答えるのは結構大変なので、 とりあえず、当たりさわりのない感じで(標準的?)お答えします。
『論考』的観点から言うと、論理は思考・言語の形式でしょう。 この「形式」というのは、世界について真偽を有する文(命題)を用いて思考・記述するために、言語(思考)が従わねばならない規範法則=論理法則、と言い換えられると思います。 ウィトゲンシュタインは、「論理は超越論的」みたいに言ってたと思います。 で、論理は同時に、世界の形式・限界でもあります。 例えば、 >Aは、Aではないもの ではない。 というのは、――pipitさんが表現してらっしゃることを私が誤解していなければですが――古典論理で表現すると、 A≡¬¬A(“¬”という記号は、否定記号で、「ない」と読みます)。 のように表現されるのではないかと思いますが、これは古典論理では二重否定の論理法則として認められるものです。 だとしたら、『論考』の論理でももちろん認められます。 で、この論理法則は、命題Aが従う法則であるとともに、命題Aが記述する世界の事実Aが従う法則でもあります。 つまり、以上のような意味で、論理は、思考・言語の形式であるとともに、世界の形式(限界を画するもの)と言えるのではないかと思います。
「繋がりの自体の否定」については、ちょっと意味がよくわかりません、すみません。
あ、それと、カントにとっての論理は、基本的にアリストテレス論理学あるいは伝統的論理学と言われるもので、ウィトゲンシュタインの言う論理学(一階述語論理・古典論理学)の一部分にしか相当しませんので、ずっと狭いものです。 前提となる論理観も、根本的に異なると考えられます。
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