| A社会のすべての成員が臣民として、唯一で共同の法に従属するという原則が守られること。
B社会のすべての成員が国家の市民として、平等であるという法則が守られることである。
法の下での平等という言葉がありますが、こうしたこともカントたち先人が考えた内容から導かれてきたのだと思います。
カントが、平和実現のためには共和的な体制が必須と考えていたというのは既に書きましたが、とりわけ、立法権と行政権の分離が重要と考えていたようです。 そうしたことから、カントは直接民主制(カントの本著では、これを「民主制」と書いているそうです。)は否定していたとのことです。 人間の本性を邪悪なものと考えていたカントにとって、「立法者が同じ人格において、同時にその意志の執行者となりうる」民主制は「まともではない形式」だと考えられたとのこと。
実際、5,6人しかいない国があったとしたら直接民主制も可能かもしれませんが、人口の多い国では明らかに不可能ですし、それぞれが自分に優位な法を主張しだしたら、敵対行為はすぐに発生します。
日本や他の先進国で取られている間接民主制、これに当たるのが本著での「貴族制」と書かれているそうです。 もう一つの制度は、支配する権力が一人である「君主制」。
カントがどの支配の形式を取るべきと考えたかについては、読む限りでは書かれていませんが、君主制は絶対王政と同じようなものなのでだめだろうし、民主制(現在でいう直接民主制)もだめだと批判したということは、残された「貴族制」(現在でいう間接民主制)が適当であると考えていたのかな、と想像します。
立法権と行政権の分離について。 同書P63〜P64で、戦争をするしないかは国民自身が決められる仕組みであってもなお、戦争に突入する場合がある例として、ドイツのワイマール憲法があったにも関わらずナチスの暴走を許し第二次世界大戦に入ったことがあげられています。 ヒトラーの出現によって立法と行政の境目があやふやになった、とされます。 日本でも国家総動員法が敷かれ、立法の機能が行政府と軍部に吸収されてしまった、とあります。
後日引き続きます。
|