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■21892 / inTopicNo.73)  漢字
  
□投稿者/ みのり -(2022/03/31(Thu) 10:27:11)
    昨日、Twitterで見たんだけど。

    小1の漢字テストで、「土」「目」などの漢字の採点がとても厳しくて、どこが間違えているのか解らないレベルで×がつけられてて、その子の採点は18点だった。

    例えば、「土」なら、上の横線の方が下の横線より長く書かれていたら「士」と読み間違えられてしまうから、それは×になるだろうけど、どこがどう間違えているというのかわからないレベルでの×というのは、子どものやる気を逆に削いでしまうんじゃないか、と感じました。

    諸外国では、例えばアルファベットが整った美しい文字で書かれることに重きを置く指導ってなされているんでしょうか?

    読めればいいって感じで、そういうのにはあまり拘らないと聞いたことがあるようにも思うのですが・・・。

引用返信/返信 削除キー/
■21919 / inTopicNo.74)  Re[58]: 漢字
□投稿者/ 田秋 -(2022/04/01(Fri) 09:24:09)
    2022/04/01(Fri) 09:48:43 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん

    漢字テストについての意見や疑問は昔からありました。ボクが漢検に挑戦していた頃よく見ていた掲示板にもさまざま書き込みがありました。そのうち二つをご紹介します。

    1.島という字
    親御さんからの書き込みで子供が書いた島という字が×だったが、どこが間違いかわからない。それで先生に尋ねたところ
    「山という字の1画目の縦棒がその上にある横棒から離れている」
    という答えだったそうです。
    その親御さんならずとも、ボクもそれはおかしい!と思いました。ところが殆どの印刷字体はくっついているのです。それで先生はそのように考えたのでしょうが、明らかに漢字についての基礎知識が欠如していると言わざるを得ません。山が上の横棒にくっつく必然性は全くありません。漢字は部品から成り立っていて山と上の横棒は異なる部品だからです。下の図の楷書体の島は離れています(ここを離して書いたからといって教科書体ではないとは言えないと思います)。

    2.練という字
    下図の練の糸偏の下が点、点、点を見て
    「これは間違っている」
    という書き込みが何度もありましたが、実はこれが正しい楷書体なのです。
    楷書体というと何かの申し込み用紙に
    「楷書体で丁寧に書いて下さい」
    とあるように、多くは読み手が読めるような字体で(草書体ではなく)書くことを言っているように思います。

    但し、ただの糸は楷書体でも糸です^^

    あと、旁の東、ここでは縦棒をハネていますね。教科書体ではハネません。こういうところも本来自由なはずですが、テストになると恰好の〇×問題となります。

    漢字というのは奥が深くそれを添削する側にはそれ相応の造詣が必要ですが、そこまで小学校の先生に求めるのは酷かもしれません。

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■22000 / inTopicNo.75)  Re[59]: 漢字
□投稿者/ みのり -(2022/04/03(Sun) 08:06:41)
    No21919に返信(田秋さんの記事)
    > 2022/04/01(Fri) 09:48:43 編集(投稿者)

    田秋さん、おはようございます。
    投稿ありがとうございます。


    > 漢字テストについての意見や疑問は昔からありました。ボクが漢検に挑戦していた頃よく見ていた掲示板にもさまざま書き込みがありました。そのうち二つをご紹介します。

    あ、そういえば漢検のお話、書かれていたのなんとなく憶えてます。


    > 1.島という字
    > 親御さんからの書き込みで子供が書いた島という字が×だったが、どこが間違いかわからない。それで先生に尋ねたところ
    > 「山という字の1画目の縦棒がその上にある横棒から離れている」
    > という答えだったそうです。
    > その親御さんならずとも、ボクもそれはおかしい!と思いました。ところが殆どの印刷字体はくっついているのです。それで先生はそのように考えたのでしょうが、明らかに漢字についての基礎知識が欠如していると言わざるを得ません。山が上の横棒にくっつく必然性は全くありません。漢字は部品から成り立っていて山と上の横棒は異なる部品だからです。下の図の楷書体の島は離れています(ここを離して書いたからといって教科書体ではないとは言えないと思います)。

    山だけが上の横棒から離れていて、別の文字かぐらいの距離なら×でもしかたないでしょうけれど、くっつけないと×というのはおかしいですよね。

    > 2.練という字
    > 下図の練の糸偏の下が点、点、点を見て
    > 「これは間違っている」
    > という書き込みが何度もありましたが、実はこれが正しい楷書体なのです。
    > 楷書体というと何かの申し込み用紙に
    > 「楷書体で丁寧に書いて下さい」
    > とあるように、多くは読み手が読めるような字体で(草書体ではなく)書くことを言っているように思います。
    >
    > 但し、ただの糸は楷書体でも糸です^^

    そうなんですか。知りませんでした。^^

    > あと、旁の東、ここでは縦棒をハネていますね。教科書体ではハネません。こういうところも本来自由なはずですが、テストになると恰好の〇×問題となります。

    書道で書く時など、はねると見栄えがする気がします。

    > 漢字というのは奥が深くそれを添削する側にはそれ相応の造詣が必要ですが、そこまで小学校の先生に求めるのは酷かもしれません。

    現代は手書きの文字を書く機会も減り、小学校から英語学習もする時代です。
    覚えなくてはならないこともとても多いです。

    重箱の隅をつつくような、どこを間違えたのかわからないようなところを×にしたり、卒業式の起立練習を何度も繰り返すようなことに時間を費やさず、その分を有意義に使えたほうがいいんじゃないのかな、と思います。
    整った美しい文字を書きたいと思えば、一人で大人になってからでも練習できます。

    書道の時の炭の匂いが好きで・・・
    上手じゃないですけど、たまに書いてみたくなります。
引用返信/返信 削除キー/
■22346 / inTopicNo.76)  日記
□投稿者/ みのり -(2022/04/11(Mon) 20:17:30)
    桜が見頃になった。

    桜舞い散る麗らかな朝。
    ひらひら落ちてくるたくさんの花びらが夢のように美しく、たまたま一緒に見たその当時大キライだった男子学生の顔さえもとても輝いてたなぁー。

    とあるバス停でバスを待つ間に、観た桜の光景は、何十年経っても鮮明な記憶。


    カントの平和論の解説本、興味深く読み進めています。
    後日、感想を少し書こうと思っています。


    先日、アートポットさんのポをボと打ってしまってました。
    ごめんね〜。


引用返信/返信 削除キー/
■22367 / inTopicNo.77)  永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/04/12(Tue) 10:19:41)
    カントは、晩年の著書『永遠平和のために』で、人間にとって永遠平和は自然状態ではなく、また、戦争を好む傾向が人間に生まれつき備わった特性のように思える、ということも述べているそうです。

    そのため、自然状態では発生しやすい敵対行為を取り締まる法律が必要となるが、そうした法律は、国民主権を基礎とした国家において作成されたものであることが肝要となる、このようにカントは考えたようです。

    絶対王政下では、国土、人民は王の持ち物だったのを、カントは、「国家は人間が集まって結成したもの」という考え方に移行させるべきとし、法律という契約を人間同士で締結し、自らの自由と尊厳を自分たちで遵守していく、そういうあり方を理想としたのだと考えます。


    「常備軍はいずれ全廃すべきである」という章が『永遠平和のために』の中にあるそうで、この「常備軍」と言うのは絶対王政下で王に雇われていた傭兵のことなのだそうです。
    自国を守るために国民が自ら軍隊を組織することについては認めていた、のだそうです。
    他国からの侵略に備えて国民たちが自ら自分たちを守るために備えておくことについては賛同していた、ということになるのだと思います。
    このあたりついては、たんなる理想論が語られる内容ではなく、現実に即した考え方をカントがしていたということがうかがわれるのでしょう。


    カントはまた、植民地支配について批判していたそうです。
    国家とはその土地に根差した人々が集まって結成されたものであり、他の国家の所有とされてはならない、と考えるカントにとって、植民地支配は相いれないものだったのだろうと書かれています。


    カントが平和実現を希求して書物に残してくれたものは、後の国際組織の結成や、民主国家の法律に多大な影響を与えたとされますね。
    しかし、その願いもなかなかかなわず、以降も列強と呼ばれた各国は植民地を求めて、日本でいうと明治から昭和前半の時代までその政策は公然と行われてきた部分もあります。


    5歳ぐらいの時、テレビで観たベトナムの少女の悲痛な少女の表情にくぎ付けになって以来、言い古された言葉ではありますが戦争の悲惨さについては事あるごとに考えさせられてきました。
    今回読んでいる「NHKブックス100分de名著 カント 永遠平和のために」の第1章を読んでそれをもとにまとめさせていただきました。
    続きについてもそうさせていただこうかな、と考えています。


引用返信/返信 削除キー/
■22457 / inTopicNo.78)  永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/04/15(Fri) 09:03:03)
    NHKブックス100分de名著『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著
    を読んでいます。 その第2章を今回はまとめさせていただきます。

    まず、先日まとめた第1章の最後のあたりの補足。
    ※カントは平和を実現するためには国家は不可欠だと考えていた。なぜなら、国家とはその領域内で「法的な状態」を確立することで存立するものだから。言い換えるなら、国家が存立しているのは、戦争状態である自然状態がその領域内で克服された結果であるから。
    同書p46〜p47からまとめ。

    本来、自然状態では敵対行為に向かいやすい人間も、法に基づいて敵対行為を取り締まる公権力が存在することにより敵対行為が起きにくくなる、その結果として、その領域での内乱は起きにくくなる、ということ。

    ここから第2章。
    人間の本性は戦争に向かいやすい傾向性を宿しているので、平和実現のためには、戦争が起こりにくくなる社会の仕組みづくりが必要となる。
    カントの本著でも第2章で「国家間における永遠平和のための確定条項」として3つの条項を提示していて、これらは本著の主要部分となる考察だそうです。

    以下、1つづつ見ていきます。

    ※第一確定条項 どの国の市民的な体制も、共和的なものであること

    共和的な体制を構成する3つの条件として、
    @ 各人が社会の成員として自由であるという原理が守られること。ここでの自由とは、「他人に迷惑や危害を与えなければ何をしてもいい」という意味の自由ではなく、権力者が一方的に決定した法に人々が一方的に従うのではなく、法の決定に際して間接的にであっても関与できる、ということ。

    共和的な体制が戦争回避に有効な理由として。国民に主権があれば、国民の同意を得なければ戦争を起こせないし、敗戦などがあった場合の莫大な負担、自らが戦争に向かう必要がある(傭兵による軍隊をカントは批判していた)などから、戦争に対して慎重になる。

    日本でも憲法第九条を改正しようとする動きはあるけれど、その改正には反対も多いですね。


     一旦切って次に進みます。
引用返信/返信 削除キー/
■22459 / inTopicNo.79)   永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/04/15(Fri) 09:52:51)
    A社会のすべての成員が臣民として、唯一で共同の法に従属するという原則が守られること。

    B社会のすべての成員が国家の市民として、平等であるという法則が守られることである。

    法の下での平等という言葉がありますが、こうしたこともカントたち先人が考えた内容から導かれてきたのだと思います。

     カントが、平和実現のためには共和的な体制が必須と考えていたというのは既に書きましたが、とりわけ、立法権と行政権の分離が重要と考えていたようです。
    そうしたことから、カントは直接民主制(カントの本著では、これを「民主制」と書いているそうです。)は否定していたとのことです。
    人間の本性を邪悪なものと考えていたカントにとって、「立法者が同じ人格において、同時にその意志の執行者となりうる」民主制は「まともではない形式」だと考えられたとのこと。

    実際、5,6人しかいない国があったとしたら直接民主制も可能かもしれませんが、人口の多い国では明らかに不可能ですし、それぞれが自分に優位な法を主張しだしたら、敵対行為はすぐに発生します。

    日本や他の先進国で取られている間接民主制、これに当たるのが本著での「貴族制」と書かれているそうです。
    もう一つの制度は、支配する権力が一人である「君主制」。

    カントがどの支配の形式を取るべきと考えたかについては、読む限りでは書かれていませんが、君主制は絶対王政と同じようなものなのでだめだろうし、民主制(現在でいう直接民主制)もだめだと批判したということは、残された「貴族制」(現在でいう間接民主制)が適当であると考えていたのかな、と想像します。

    立法権と行政権の分離について。
    同書P63〜P64で、戦争をするしないかは国民自身が決められる仕組みであってもなお、戦争に突入する場合がある例として、ドイツのワイマール憲法があったにも関わらずナチスの暴走を許し第二次世界大戦に入ったことがあげられています。
    ヒトラーの出現によって立法と行政の境目があやふやになった、とされます。
    日本でも国家総動員法が敷かれ、立法の機能が行政府と軍部に吸収されてしまった、とあります。


     後日引き続きます。

引用返信/返信 削除キー/
■22478 / inTopicNo.80)  Re[64]: 永遠平和のために
□投稿者/ pipit -(2022/04/15(Fri) 21:27:33)
    みのりさん、こんばんは!
    おじゃましまーす
    いつも楽しみに読ませていただいてます(о´∀`о)

    pipitにとっては『永遠平和のために』は憧れの書で、(憧れゆえ)ずっと置きっぱなしだったのですが、みのりさんのおかげで、今回チラッとのぞいてみました。

    ちょうど『貴族』についての言葉があって、pipitは本当に文脈とれてないかもなんだけど、今回見た箇所では、役職としての名称的な意味で『貴族』と言ってるかも?と思って、
    それでみのりさんがまとめられているように

    > 日本や他の先進国で取られている間接民主制、これに当たるのが本著での「貴族制」と書かれているそうです。<

    ということになるのだ、と、一度目を通してたはずなのに、初めて知れたみたいに、嬉しく思いました。きっかけをありがとうございます!

    その箇所を少しだけ引用しますね。
    カントの文章を中山元先生が訳されたものです。

    『ところですべての世界市民の臣民としての平等な権利については、世襲貴族を認めることができるかという問いに答える必要がある。
    これは「国家がある臣民に他の臣民よりも高い地位を認める場合に、功績によって人に地位が与えられるのか、それとも地位があるから功績が生まれるのか」という問いに言い換えることができる。
     ところが生まれによって高い地位が認められるとすると、地位をえた人がその功績にふさわしく行動するかどうか、すなわち地位に定められた職務を巧みにこなし、職務に忠実であるかどうかは、不確かなものになってしまうのは明らかだ。
    そうなると、生まれによって優遇された人は、いかなる功績もなしに他者に命令するという地位を与えられることになる。
    しかしこれは、あらゆる権利の原理である根源的な契約のもとにある民族の普遍的な意志によっては、容認することのできないものであろう。
    貴族は生まれによって高貴な人間となるわけではないからだ。
    生まれによる貴族ではなく、高官の地位についた人を職務貴族と呼ぶことがあるが、これは功績によって獲得しなければならないものである。
    この地位は所有権として人物に所属するものではなく、職務としての地位に所属するものであり、国民の平等を損ねることはない。
    この職務を離れると、同時にこの職務貴族という地位も失って、国民の一人に戻るからである。』
    『永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編』カント、中山元先生訳、光文社古典新訳文庫p167.168より引用。

    > カントがどの支配の形式を取るべきと考えたかについては、読む限りでは書かれていませんが、君主制は絶対王政と同じようなものなのでだめだろうし、民主制(現在でいう直接民主制)もだめだと批判したということは、残された「貴族制」(現在でいう間接民主制)が適当であると考えていたのかな、と想像します。<

    中山先生訳本p170-に、区分法などについてもいろいろややこしく書いてあるのですが(汗)、
    pipitの読解では
    支配の形式 と 統治の形式 がそれぞれ別立てされていて、

    統治の形式が
    @共和的(行政権(統治権)が立法権と分離されている体制)
    A専制的(国家が自ら定めた法律を独断で執行する国家原理)
    として、

    支配形式の
    C民主制(直接民主制)は必然的にA専制的な政体となる。

    A君主制
    B貴族制

    は、@Aどちらの統治形式になる可能性があるが、代議的なシステムの精神にかなった統治方式に近づくことはできる、

    と言ってるみたいに思えます。

    カントの文章を引用しますね。
    『ところでほかの二つの国家体制も、民主制と同じような統治形式になる可能性を残しているかぎりでは、欠陥のあるものではあるが、それでも代議的なシステムの精神にかなった統治方式に近づくことはできる。たとえばフリードリヒ二世は少なくとも次のように語ったことがあるーー「朕は国家の最高の従僕にすぎない」と。これに対して、民主的な体制では、すべての人がみずからの意志の主人であろうとするために、このようなことは不可能なのである。
    だから国家権力にかかわる人格の数、すなわち支配者の数が少なければ少ないほど、そして支配者が代表する国民の数が多ければ多いほど、国家体制はそれだけ共和的な体制の可能性に近づくのであり、漸進的な改革をつうじて、いずれは共和的な体制にまで高まることが期待できるのである。
    このためこの唯一法的に完全な体制に到達する可能性がもっとも高いのは君主制であり、貴族制では実現が困難になり、民主制では、暴力による革命なしでは、実現不可能なのである。』
    p171.172.より引用。

    いろいろややこしいな、と感じ、中山先生の解説を読むと
    解説のほんの一部分ですが、
    『カントの国家はつねに、国民がほかの国民とともに構成するものとして考えられている。統治する権力はさまざまな場所にありうるが、主権者はその構成的な原理に基づいて、国民にあるのである。そしてこのような原理で統治される国家を、カントは共和制と呼ぶ。だからカントの共和制は現代の民主主義体制と異なるものではないのである。』
    p350より引用。

    とありました。

    みのりさんのおかげで、また『永遠平和のために』を読むきっかけを作っていただき感謝です!
    カントはもちろん、カント以外のみのりさんの書き込みを楽しみにしてまーす♪
    (^○^)v

引用返信/返信 削除キー/
■22488 / inTopicNo.81)  Re[65]: 永遠平和のために
□投稿者/ pipit -(2022/04/16(Sat) 06:41:59)
    2022/04/16(Sat) 07:03:00 編集(投稿者)

    みのりさん、おはようございます!
    めっちゃ私見で外れてるかもだけど、今朝思ったことを追加投稿します。

    No22478
    >このためこの唯一法的に完全な体制に到達する可能性がもっとも高いのは君主制であり、貴族制では実現が困難になり、民主制では、暴力による革命なしでは、実現不可能なのである。<

    文中に〈唯一法的に完全な体制〉とありますが、カントは、誰にでも公平に降りかかる(例外なく有効に機能する)【法による支配】を一つの理想としたのかな、と思いました。
    そんな夢みたいな体制(法が私利私欲を離れ立法され、純粋に機能し、万人の平和のために力を発揮する、法の支配体制)は、人間離れした強くやさしい人?でないと築くことは不可能で、それでまだ一番可能性あるのは、力を持った人格者が一人でもいれば実現できるかもという点で、君主制とカントは考えたのかな、と、思いました。

    ちなみに仏典でもそんな伝説の王様の話が出てくるようで、そのような王様を〈転輪聖王〉と呼んでるみたいです
    (*^▽^*)

    ※追伸
    No22489(仏教についてトピ)でwikiの『転輪聖王』の一部抜粋を投稿しました。


引用返信/返信 削除キー/
■22492 / inTopicNo.82)  Re[65]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/04/16(Sat) 07:55:28)
    No22478に返信(pipitさんの記事)

    pipitさん、投稿ありがとうございます。(^^♪

    > pipitにとっては『永遠平和のために』は憧れの書で、(憧れゆえ)ずっと置きっぱなしだったのですが、みのりさんのおかげで、今回チラッとのぞいてみました。
    >
    > ちょうど『貴族』についての言葉があって、pipitは本当に文脈とれてないかもなんだけど、今回見た箇所では、役職としての名称的な意味で『貴族』と言ってるかも?と思って、
    > それでみのりさんがまとめられているように
    >
    >>日本や他の先進国で取られている間接民主制、これに当たるのが本著での「貴族制」と書かれているそうです。<
    >
    > ということになるのだ、と、一度目を通してたはずなのに、初めて知れたみたいに、嬉しく思いました。きっかけをありがとうございます!

    ここ、正確には「当たる」ではなく、「近い」でした。訂正します。
    (萱野さんの同書p60より。)

    > その箇所を少しだけ引用しますね。
    > カントの文章を中山元先生が訳されたものです。
    >
    > 『ところですべての世界市民の臣民としての平等な権利については、世襲貴族を認めることができるかという問いに答える必要がある。
    > これは「国家がある臣民に他の臣民よりも高い地位を認める場合に、功績によって人に地位が与えられるのか、それとも地位があるから功績が生まれるのか」という問いに言い換えることができる。
    >  ところが生まれによって高い地位が認められるとすると、地位をえた人がその功績にふさわしく行動するかどうか、すなわち地位に定められた職務を巧みにこなし、職務に忠実であるかどうかは、不確かなものになってしまうのは明らかだ。
    > そうなると、生まれによって優遇された人は、いかなる功績もなしに他者に命令するという地位を与えられることになる。
    > しかしこれは、あらゆる権利の原理である根源的な契約のもとにある民族の普遍的な意志によっては、容認することのできないものであろう。
    > 貴族は生まれによって高貴な人間となるわけではないからだ。
    > 生まれによる貴族ではなく、高官の地位についた人を職務貴族と呼ぶことがあるが、これは功績によって獲得しなければならないものである。
    > この地位は所有権として人物に所属するものではなく、職務としての地位に所属するものであり、国民の平等を損ねることはない。
    > この職務を離れると、同時にこの職務貴族という地位も失って、国民の一人に戻るからである。』
    > 『永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編』カント、中山元先生訳、光文社古典新訳文庫p167.168より引用。

    生まれが高貴かどうかではなく、職務功績によって高官についた人々を職務貴族と呼ぶことがある、と書かれていますね。
    そして、それはあくまで職務としての地位であるので、国民の平等を損ねるものではない、ともありますね。
    血縁や縁故によって権力が譲られていくのは、腐敗の温床になりやすいし、なにより公平性に欠けます。

    >>カントがどの支配の形式を取るべきと考えたかについては、読む限りでは書かれていませんが、君主制は絶対王政と同じようなものなのでだめだろうし、民主制(現在でいう直接民主制)もだめだと批判したということは、残された「貴族制」(現在でいう間接民主制)が適当であると考えていたのかな、と想像します。<
    >
    > 中山先生訳本p170-に、区分法などについてもいろいろややこしく書いてあるのですが(汗)、
    > pipitの読解では
    > 支配の形式 と 統治の形式 がそれぞれ別立てされていて、
    >
    > 統治の形式が
    > @共和的(行政権(統治権)が立法権と分離されている体制)
    > A専制的(国家が自ら定めた法律を独断で執行する国家原理)
    > として、
    >
    > 支配形式の
    > C民主制(直接民主制)は必然的にA専制的な政体となる。
    >
    > A君主制
    > B貴族制
    >
    > は、@Aどちらの統治形式になる可能性があるが、代議的なシステムの精神にかなった統治方式に近づくことはできる、
    >
    > と言ってるみたいに思えます。
    >
    > カントの文章を引用しますね。
    > 『ところでほかの二つの国家体制も、民主制と同じような統治形式になる可能性を残しているかぎりでは、欠陥のあるものではあるが、それでも代議的なシステムの精神にかなった統治方式に近づくことはできる。たとえばフリードリヒ二世は少なくとも次のように語ったことがあるーー「朕は国家の最高の従僕にすぎない」と。これに対して、民主的な体制では、すべての人がみずからの意志の主人であろうとするために、このようなことは不可能なのである。
    > だから国家権力にかかわる人格の数、すなわち支配者の数が少なければ少ないほど、そして支配者が代表する国民の数が多ければ多いほど、国家体制はそれだけ共和的な体制の可能性に近づくのであり、漸進的な改革をつうじて、いずれは共和的な体制にまで高まることが期待できるのである。
    > このためこの唯一法的に完全な体制に到達する可能性がもっとも高いのは君主制であり、貴族制では実現が困難になり、民主制では、暴力による革命なしでは、実現不可能なのである。』
    > p171.172.より引用。

    萱野さんの著書でも、支配の形式 と 統治の形式に分けて解説がありました。
    pipitさんに引用いただいたのを読み少し驚いたのは、
    > このためこの唯一法的に完全な体制に到達する可能性がもっとも高いのは君主制であり、貴族制では実現が困難になり、民主制では、暴力による革命なしでは、実現不可能なのである。』
    この部分です。
    カントは民主制と共に君主制についても批判的なのではないか、と想像していたからです。
    ですので、引用いただいてとても勉強になりました。

    > いろいろややこしいな、と感じ、中山先生の解説を読むと
    > 解説のほんの一部分ですが、
    > 『カントの国家はつねに、国民がほかの国民とともに構成するものとして考えられている。統治する権力はさまざまな場所にありうるが、主権者はその構成的な原理に基づいて、国民にあるのである。そしてこのような原理で統治される国家を、カントは共和制と呼ぶ。だからカントの共和制は現代の民主主義体制と異なるものではないのである。』
    > p350より引用。
    >
    > とありました。
    >
    > みのりさんのおかげで、また『永遠平和のために』を読むきっかけを作っていただき感謝です!
    > カントはもちろん、カント以外のみのりさんの書き込みを楽しみにしてまーす♪
    > (^○^)v

    長文での引用、ほんとうにありがとうございました。^^

引用返信/返信 削除キー/
■22494 / inTopicNo.83)  Re[66]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/04/16(Sat) 08:21:50)
    No22488に返信(pipitさんの記事)
    > 2022/04/16(Sat) 07:03:00 編集(投稿者)
    >
    > みのりさん、おはようございます!
    > めっちゃ私見で外れてるかもだけど、今朝思ったことを追加投稿します。
    >
    > No22478
    > >このためこの唯一法的に完全な体制に到達する可能性がもっとも高いのは君主制であり、貴族制では実現が困難になり、民主制では、暴力による革命なしでは、実現不可能なのである。<
    >
    > 文中に〈唯一法的に完全な体制〉とありますが、カントは、誰にでも公平に降りかかる(例外なく有効に機能する)【法による支配】を一つの理想としたのかな、と思いました。
    > そんな夢みたいな体制(法が私利私欲を離れ立法され、純粋に機能し、万人の平和のために力を発揮する、法の支配体制)は、人間離れした強くやさしい人?でないと築くことは不可能で、それでまだ一番可能性あるのは、力を持った人格者が一人でもいれば実現できるかもという点で、君主制とカントは考えたのかな、と、思いました。
    >
    > ちなみに仏典でもそんな伝説の王様の話が出てくるようで、そのような王様を〈転輪聖王〉と呼んでるみたいです
    > (*^▽^*)
    >
    > ※追伸
    > No22489(仏教についてトピ)でwikiの『転輪聖王』の一部抜粋を投稿しました。

    前の投稿で、驚いたと書いた部分ですね。^^

    素晴らしい賢人による君主体制かぁ。
    その人が永久に不滅だったりしたらいいのかもしれないけど、限りある命ですしねぇ。。。
    暗殺でもされたら、後の混乱というのもすぐに発生しそうです。
    せっかくカントが考えてくれたものにケチつけて申し訳ないですけど・・(^▽^;)
    でも、意見として自由に出すのについては、カント先生も受け止めてくださるかな。

    実現困難だと言われた貴族制に近い間接民主制が取られている国が現在多く、実際、国内でも国際関係でも様々な難問をそれぞれの国が抱えているのが現状なのだと思います。
    それでも、国民の代表者である議員たちによる採決で決定されていく仕組みが、現状では一番現実的なのかな、と考えています。

    ともあれ、カントがいろいろと考えてくれたことを知るのは楽しいですね。^^

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■22536 / inTopicNo.84)  ニーチェの言葉から
□投稿者/ みのり -(2022/04/17(Sun) 11:23:12)
    読解は途中終了しますが、ニーチェの言葉からあらためて学んだ私にとって切実なこと。

    人の悪意からは全力で逃げる、逃げられない場合は冷静な対処をする。
    自分も他者に悪意を持って接しない。

    強い風の中にいたいです。

    ニーチェの考え方には、相容れない点もありましたが、上に書いた点を期せずして再確認するようになって、振り返ればとてもいい経験だったのだと思います。

    詳細に渡って内容を知りたいき持ちが薄れてしまったのが、途中で終了した理由です。

    最近またニーチェクラブに投稿させていただくようになり、やはり楽しいです。
    自分の感じた考えたあれこれを拙い文章だけど、それによって綴る楽しさです。

    このトピスマホにて。

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