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No22478 の記事


■22478 / )  Re[64]: 永遠平和のために
□投稿者/ pipit -(2022/04/15(Fri) 21:27:33)
    みのりさん、こんばんは!
    おじゃましまーす
    いつも楽しみに読ませていただいてます(о´∀`о)

    pipitにとっては『永遠平和のために』は憧れの書で、(憧れゆえ)ずっと置きっぱなしだったのですが、みのりさんのおかげで、今回チラッとのぞいてみました。

    ちょうど『貴族』についての言葉があって、pipitは本当に文脈とれてないかもなんだけど、今回見た箇所では、役職としての名称的な意味で『貴族』と言ってるかも?と思って、
    それでみのりさんがまとめられているように

    > 日本や他の先進国で取られている間接民主制、これに当たるのが本著での「貴族制」と書かれているそうです。<

    ということになるのだ、と、一度目を通してたはずなのに、初めて知れたみたいに、嬉しく思いました。きっかけをありがとうございます!

    その箇所を少しだけ引用しますね。
    カントの文章を中山元先生が訳されたものです。

    『ところですべての世界市民の臣民としての平等な権利については、世襲貴族を認めることができるかという問いに答える必要がある。
    これは「国家がある臣民に他の臣民よりも高い地位を認める場合に、功績によって人に地位が与えられるのか、それとも地位があるから功績が生まれるのか」という問いに言い換えることができる。
     ところが生まれによって高い地位が認められるとすると、地位をえた人がその功績にふさわしく行動するかどうか、すなわち地位に定められた職務を巧みにこなし、職務に忠実であるかどうかは、不確かなものになってしまうのは明らかだ。
    そうなると、生まれによって優遇された人は、いかなる功績もなしに他者に命令するという地位を与えられることになる。
    しかしこれは、あらゆる権利の原理である根源的な契約のもとにある民族の普遍的な意志によっては、容認することのできないものであろう。
    貴族は生まれによって高貴な人間となるわけではないからだ。
    生まれによる貴族ではなく、高官の地位についた人を職務貴族と呼ぶことがあるが、これは功績によって獲得しなければならないものである。
    この地位は所有権として人物に所属するものではなく、職務としての地位に所属するものであり、国民の平等を損ねることはない。
    この職務を離れると、同時にこの職務貴族という地位も失って、国民の一人に戻るからである。』
    『永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編』カント、中山元先生訳、光文社古典新訳文庫p167.168より引用。

    > カントがどの支配の形式を取るべきと考えたかについては、読む限りでは書かれていませんが、君主制は絶対王政と同じようなものなのでだめだろうし、民主制(現在でいう直接民主制)もだめだと批判したということは、残された「貴族制」(現在でいう間接民主制)が適当であると考えていたのかな、と想像します。<

    中山先生訳本p170-に、区分法などについてもいろいろややこしく書いてあるのですが(汗)、
    pipitの読解では
    支配の形式 と 統治の形式 がそれぞれ別立てされていて、

    統治の形式が
    @共和的(行政権(統治権)が立法権と分離されている体制)
    A専制的(国家が自ら定めた法律を独断で執行する国家原理)
    として、

    支配形式の
    C民主制(直接民主制)は必然的にA専制的な政体となる。

    A君主制
    B貴族制

    は、@Aどちらの統治形式になる可能性があるが、代議的なシステムの精神にかなった統治方式に近づくことはできる、

    と言ってるみたいに思えます。

    カントの文章を引用しますね。
    『ところでほかの二つの国家体制も、民主制と同じような統治形式になる可能性を残しているかぎりでは、欠陥のあるものではあるが、それでも代議的なシステムの精神にかなった統治方式に近づくことはできる。たとえばフリードリヒ二世は少なくとも次のように語ったことがあるーー「朕は国家の最高の従僕にすぎない」と。これに対して、民主的な体制では、すべての人がみずからの意志の主人であろうとするために、このようなことは不可能なのである。
    だから国家権力にかかわる人格の数、すなわち支配者の数が少なければ少ないほど、そして支配者が代表する国民の数が多ければ多いほど、国家体制はそれだけ共和的な体制の可能性に近づくのであり、漸進的な改革をつうじて、いずれは共和的な体制にまで高まることが期待できるのである。
    このためこの唯一法的に完全な体制に到達する可能性がもっとも高いのは君主制であり、貴族制では実現が困難になり、民主制では、暴力による革命なしでは、実現不可能なのである。』
    p171.172.より引用。

    いろいろややこしいな、と感じ、中山先生の解説を読むと
    解説のほんの一部分ですが、
    『カントの国家はつねに、国民がほかの国民とともに構成するものとして考えられている。統治する権力はさまざまな場所にありうるが、主権者はその構成的な原理に基づいて、国民にあるのである。そしてこのような原理で統治される国家を、カントは共和制と呼ぶ。だからカントの共和制は現代の民主主義体制と異なるものではないのである。』
    p350より引用。

    とありました。

    みのりさんのおかげで、また『永遠平和のために』を読むきっかけを作っていただき感謝です!
    カントはもちろん、カント以外のみのりさんの書き込みを楽しみにしてまーす♪
    (^○^)v

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