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■19723 / inTopicNo.25)  Z 第一部 説話[19]
  
□投稿者/ みのり -(2021/12/07(Tue) 08:23:10)
    2021/12/07(Tue) 08:32:22 編集(投稿者)

    [19] 毒ヘビのかみ傷について

    イチジクの木の下で眠っていたツァラトゥストラは、毒ヘビに頸を噛まれる。
    自分が噛んで入った毒によって、死にいたるだろうと毒ヘビはツァラトゥストラに告げたが、ツァラトゥストラは、「おまえは自分の毒を取り戻せ、おまえはそれをわたしに贈るほど豊かではない」というと、毒ヘビは彼の傷をなめた。
    というような記述から、この章ははじまっている。
    ・・・・・1 のまとめ 『ツァラトゥストラ』ちくま学芸文庫p121〜p122より

    まず、この寓話の意味するものについて、訳注も参考にして考えてみる。
    訳注p390に、「ひとに呪詛されるのに対して祝福をもって応えるのは、非人間的なことである」というのが『善悪の彼岸』181にあり、という記述がある。
    (19-6の解説として)

    6には、
    ・・・・・
    6 かくて、きみたちに一つの大きな不正が加えられたなら、それに対して、
     すみやかに五つの小さな不正を報いよ!
     不正をひとりわが身に負って苦しんでいる者は、見るからにおぞましい。
    ・・・・・
    とあり、

    こうしたことから考えると、ヘビの寓話は、
    「敵を愛し迫害する者のために祈れ」というキリスト教を背景とする奴隷道徳的な発想と対立する道徳観を表現するものとして出されているのだと思います。

    (噛んだヘビが自分の毒による呪いを伝えたのに対して、その行為をただ許すのではなく、自分にとってはなんの効力もないものであることを相手に伝えることにより、報いを与えている。)


    後日また内容に入り読んでいく中で変わるかもしれないけれど、現段階ではこのように読んでみます。




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■19765 / inTopicNo.26)   Z 第一部 説話[19]
□投稿者/ みのり -(2021/12/09(Thu) 13:01:17)
    [19] 毒ヘビのかみ傷について

    ・・・・・
    3 善にして義なる者たちは、わたしを道徳の破壊者と呼んでいる。
     わたしの物語は道徳的ではないのだ。
    ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p122より引用

    訳注p390に、
    Zの物語は古来の道徳と対立しており、その意味で「道徳的ではない」と言われる。
    とある。

    ・・・・・
    5 かくて、相手を恥じ入らせるよりも、むしろ腹を立てよ!
     かくて、きみたちが呪われるとき、わたしの気に入らないのは、きみたちが
     自分を呪う相手を祝福しようとすることだ。
     むしろ少しは、相手がきみたちを呪うのと調子を合わせて相手を呪え!
    ・・・・・同書 p122より引用

    相手を恥じ入らせる、というのは、悪に報いるに善をもってすることとあり(訳注p390より)、これは、「自分を呪う相手を祝福しようとすること」、と通ずるのだと思います。
    こうした偽善的、あるいは慇懃無礼とも言えるような方法をツァラトゥストラは、気に入らないとしたのだと私見ですが考えます。

    「むしろ少しは、相手がきみたちを呪うのと調子を合わせて相手を呪え!」
    とても人間的でいいですね。 なにより正直。

    この 5と、 先日引用した 6、
    ・・・・・
    6 かくて、きみたちに一つの大きな不正が加えられたなら、それに対して、
     すみやかに五つの小さな不正を報いよ!
     不正をひとりわが身に負って苦しんでいる者は、見るからにおぞましい。
    ・・・・・

    この二つがこの章のテーマとも言える、と訳注にあります。

    他の部分についてはさらっと目を通し、次の章に行きます。
    今年のうちにできたら第一部を終了したいので。


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■19766 / inTopicNo.27)  大豆ミート
□投稿者/ みのり -(2021/12/09(Thu) 13:13:24)
    先日、友人が「近くまで来たから〜」と、突然家に来た際。
    おしゃべりしてたらお昼時になったので、ありあわせの材料でカレーを作った。
    お肉がなかったのもあり、ちょうどあった大豆ミートをお肉代わりに入れて。

    健康志向の友人なんで、まぁまぁ合うんではないかな、と思い、食べながら、大豆ミートの味を尋ねてみたら、「食感は悪くないけど、後に大豆の味がちゃんとするね。」というなかなかに正直な感想を教えてくれた。

    そう、そうなのだ。 噛んだ食感は工夫されててお肉に近い歯ごたえなのだけど、
    枝豆を食べたみたいな味わいがやはり残る。
    でも、カレーには悪くないなと思った。
    枝豆を入れたカレーと思えば。

    お肉メニューの一工夫として、お肉と大豆ミートを半量ずつにして使ったりしたら、辛くならずにヘルシーにできるかもしれない。


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■19819 / inTopicNo.28)  Z 第一部 説話[20]
□投稿者/ みのり -(2021/12/11(Sat) 09:35:55)
    2021/12/11(Sat) 09:59:15 編集(投稿者)



    [20] 子供と結婚について

    一通り読んで、主旨と思われるものを、この章ではまとめてみます。

    まず。標題(タイトル)において、子供が結婚に先立って表されているのは、ニーチェ ─ ツァラトゥストラにとって、子供が結婚の本質であるがゆえ、と研究者が解していると、訳注p392にあります。

    たやすく結婚して子をもうける人間が多いけれど、ニーチェが本来の結婚と呼ぶべきものは、精神的に自立・自律した者どうしが結婚し、超人への憧憬を抱くような子を産み育てることである。
    このような結婚観がニーチェにとっての理想のようです。

    結婚をしない人も増えてきて、また、結婚と子供を結びつける考え方が一般的とも言えなくなっている現代の感覚からすると、一種の時代錯誤的な感覚とも言えるとは思います。
    こういうのを知るとニーチェ、考えが古いなぁ。。と、思う人ももしかしたら多いのかな。
    まぁ、実際、昔の人だし、現代の感覚とは違って当然なのだけど。

    しかし。結婚して、産まれた子供を安易に虐待してしまう場合というのが、昔も今もあるのはたしかで、そうした意味で、結婚して子をもうけるに際しての責任を自覚せよ、というニーチェの言葉から、厳しさだけを取るのではなく、そこに愛を感じたいと思います。

    少し引用します。

    ・・・・・
    7 きみは自分を生み殖やすにとどまらないで、生み高めるべきだ!
     そのためにこそ、結婚の園はきみの助けとならんことを!

    8 きみは一つのより高い身体を、一つの第一運動を、一つの自力でころがる
     車輪を創造すべきだ、─ きみは一人の創造者を創造すべきなのだ。

    9 結婚、とわたしが呼ぶのは、創造した者たち以上の者なる一者を創造しよう
     とする、二人の意志だ。
     このような意志を意欲する者に対する畏敬としての、相互の畏敬を、わたし
     は結婚と名づける。
    ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p125〜p126より引用 

    ニーチェの理想に反するものに対しての否定が、引用外のこの章の文章でも際立っていて、ある意味においては独善的とも言えるし、嫌悪を覚える人もいるのだと思います。
    私も、嫌悪ではないけれど、独善的だなぁ。。と感じる部分は、ニーチェの言葉に感じることはあります。
    逆に言えば、ニーチェの妥協なしの心からの言葉が語られているということでもあり、それと対峙して、こちらも安易に妥協せずの感想を感じた際には、それをそのまま感じてみる。
    それでいいのではないか、と思います。





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■19820 / inTopicNo.29)  初冬の庭
□投稿者/ みのり -(2021/12/11(Sat) 09:46:42)
    コブシ、ミモザの新しい芽がもうだいぶしっかりと育ち、春を待っている。
    スイセンの蕾も黄色い色づきを見せて、冷たくなった空気の中にひっそりとたたずんでいる。

    採らずに残しておいた渋柿が熟れて甘くなったところを、野鳥が来て啄んでくれるので、枝の柿が残り少なくなった。


    見ていない間にも、一心に今を生き、それぞれの自然を続けているんだな。



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■19821 / inTopicNo.30)  Re[28]: Z 第一部 説話[20]
□投稿者/ パニチェ -(2021/12/11(Sat) 10:26:00)
    おはようございます、みのりさん。
    横レス失礼します。

    No19819に返信(みのりさんの記事)

    > ニーチェの理想に反するものに対しての否定が、引用外のこの章の文章でも際立っていて、ある意味においては独善的とも言えるし、嫌悪を覚える人もいるのだと思います。
    > 私も、嫌悪ではないけれど、独善的だなぁ。。と感じる部分は、ニーチェの言葉に感じることはあります。
    > 逆に言えば、ニーチェの妥協なしの心からの言葉が語られているということでもあり、それと対峙して、こちらも安易に妥協せずの感想を感じた際には、それをそのまま感じてみる。
    > それでいいのではないか、と思います。

    みのりさんは大人だなぁ〜。
    私が女性ならひょっとしたら本を投げ出して、ここから先は読まないかもしれません(笑)。
引用返信/返信 削除キー/
■19825 / inTopicNo.31)  Re[29]: Z 第一部 説話[20]
□投稿者/ みのり -(2021/12/11(Sat) 11:55:28)
    パニチェさん、こんにちは〜。 レスありがとうございます。

    No19821に返信(パニチェさんの記事)
    > おはようございます、みのりさん。
    > 横レス失礼します。
    >
    > ■No19819に返信(みのりさんの記事)
    >
    >>ニーチェの理想に反するものに対しての否定が、引用外のこの章の文章でも際立っていて、ある意味においては独善的とも言えるし、嫌悪を覚える人もいるのだと思います。
    >>私も、嫌悪ではないけれど、独善的だなぁ。。と感じる部分は、ニーチェの言葉に感じることはあります。
    >>逆に言えば、ニーチェの妥協なしの心からの言葉が語られているということでもあり、それと対峙して、こちらも安易に妥協せずの感想を感じた際には、それをそのまま感じてみる。
    >>それでいいのではないか、と思います。
    >
    > みのりさんは大人だなぁ〜。
    > 私が女性ならひょっとしたら本を投げ出して、ここから先は読まないかもしれません(笑)。


    偉大な哲学者ニーチェの言葉を書物から読むと、おこちゃまな私にも冷静な感想が出てきたりはします。(笑)
    でも、もしニーチェが甥っ子で(ありえない設定 ´艸`)、お正月かお盆にでも会った時、

    「 22 かずかずの短い愚行 ─ それがきみたちのもとでは恋愛と呼ばれる。
       そして、きみたちの結婚は、一つの長い愚事として、かずかずの短い
       愚行を終わらせる。                       」

    とかと、言ってきたら「君、彼女はできたの? (;^ω^)」と静かにキレると思います。(しゃべれないけどドイツ語で^^)

引用返信/返信 削除キー/
■19840 / inTopicNo.32)  Re[30]: Z 第一部 説話[20]
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/11(Sat) 19:26:03)
    ■19825、みのりさま、お邪魔します、ちょと思ったんで、

    >22 かずかずの短い愚行 ─ それがきみたちのもとでは恋愛と呼ばれる。そして、きみたちの結婚は、一つの長い愚事として、かずかずの短い愚行を終わらせる。<

    ザロメとニーチェの関係、ネットで調べたのね。

    ウィキによると、
    〔ルー・アンドレアス・ザロメ(Lou Andreas-Salomé、1861年2月12日 - 1937年2月5日)は、サンクトペテルブルク生まれのドイツの著述家、エッセイスト。ロシア語名ルイーザ・グスタヴォヴナ・サロメ。本名はルイーズ・フォン・ザロメ(Louise von Salomé)といい、"Henry Lou"の偽名を使うこともあった。〕

    〔1880年、ザロメは、チューリッヒ大学で宗教学、哲学、そして芸術史の勉強を始めた。1882年にパウル・レーと出会い、彼を介してフリードリッヒ・ニーチェと知り合う。ニーチェから求婚の申し出があるが、彼女はそれを拒絶した。のち同様に、ライナー・マリア・リルケからの求婚もやはり断っている。結局、1887年にイラン学者のフリードリッヒ・カール・アンドレアスと結婚している。
    ザロメはベルリンでは、フリードリッヒスハーゲン・グループに近づき、当時の著名人たちの知遇を得る。たとえば、ゲアハルト・ハウプトマン、フランク・ヴェーデキント、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、アルトゥル・シュニッツラー、ヤコブ・ヴァッサーマン、などである。こうした特別の交友関係を通して、彼女はライナー・マリア・リルケと知り合い、リルケとは2度ロシア旅行を共にしている。
    1911年、ザロメはヴァイマールで開催された国際精神分析会議に参加した後、フロイトの下で精神分析の知識を深めようとする。その後、彼女の夫がゲッティンゲン大学に招聘を受けたため、そのゲッティンゲンで彼女も精神分析の分析家として開業をする。彼女はゲッティンゲンで尿毒症により亡くなった。
    ザロメの広範囲にわたる学問的、文学的名著作は、20世紀後半に入って初めてその全体が収集、編集、校閲されて出版の運びにいたった。その文学作品や物語の中で彼女は、伝統的な世界の中で自分自身の道を歩み始めようとした近代的な女性たちのさまざまな問題を取り上げている。〕

    ニヒリズム、ネットで調べて見たのね。
    コトバンクでは、
    〔ニヒリズムNihilismus ドイツ語
    「虚無主義」と訳される。通説によれば、「ニヒリズム」はヤコービがフィヒテの知識学を非難して用いたのが最初だとされる。「ニヒリズム」はまた、19世紀の後半、ロシアの社会運動に現れた伝統的権威、政治社会上の諸制度、宗教などを否定し排斥する傾向をさし、盛んに用いられた。しかし今日、「ニヒリズム」ということばを耳にして普通念頭に浮かぶのは、もっぱらニーチェとその現代批判であろう。
    ニーチェによれば、「徹底したニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題になるようでは、生存は絶対的に不安定だという確信、およびそれに加えて、“神的”であり、道徳の化身でもあるような彼岸(ひがん)ないしは事物自体を調製する権利は、われわれには些(いささ)かもないという洞察のことである」が、現代はそのニヒリズムの到来の時代である。「私が語るのは来るべき20世紀の歴史である。私はやって来るもの、もはや別様にはやって来えないもの、つまりニヒリズムの到来を記すのだ」とニーチェは語る。〕

    ニーチェの、「ニヒリズム」って言われてるみたいだけど、
    22を見る限り、ひがみズムとしか思えないのよね、わたし。妬みも入っていそうだから妬みズムでもいいかも。

    『善悪の彼岸』は、じつは「善悪の僻み」だったりして。







引用返信/返信 削除キー/
■19886 / inTopicNo.33)  Re[31]: Z 第一部 説話[20]
□投稿者/ みのり -(2021/12/12(Sun) 08:31:56)
    2021/12/12(Sun) 08:36:16 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんにちは〜。

    No19840に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■19825、みのりさま、お邪魔します、ちょと思ったんで、
    >
    > >22 かずかずの短い愚行 ─ それがきみたちのもとでは恋愛と呼ばれる。そして、きみたちの結婚は、一つの長い愚事として、かずかずの短い愚行を終わらせる。<
    >
    > ザロメとニーチェの関係、ネットで調べたのね。
    >
    > ウィキによると、
    > 〔ルー・アンドレアス・ザロメ(Lou Andreas-Salomé、1861年2月12日 - 1937年2月5日)は、サンクトペテルブルク生まれのドイツの著述家、エッセイスト。ロシア語名ルイーザ・グスタヴォヴナ・サロメ。本名はルイーズ・フォン・ザロメ(Louise von Salomé)といい、"Henry Lou"の偽名を使うこともあった。〕
    >
    > 〔1880年、ザロメは、チューリッヒ大学で宗教学、哲学、そして芸術史の勉強を始めた。1882年にパウル・レーと出会い、彼を介してフリードリッヒ・ニーチェと知り合う。ニーチェから求婚の申し出があるが、彼女はそれを拒絶した。のち同様に、ライナー・マリア・リルケからの求婚もやはり断っている。結局、1887年にイラン学者のフリードリッヒ・カール・アンドレアスと結婚している。
    > ザロメはベルリンでは、フリードリッヒスハーゲン・グループに近づき、当時の著名人たちの知遇を得る。たとえば、ゲアハルト・ハウプトマン、フランク・ヴェーデキント、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、アルトゥル・シュニッツラー、ヤコブ・ヴァッサーマン、などである。こうした特別の交友関係を通して、彼女はライナー・マリア・リルケと知り合い、リルケとは2度ロシア旅行を共にしている。
    > 1911年、ザロメはヴァイマールで開催された国際精神分析会議に参加した後、フロイトの下で精神分析の知識を深めようとする。その後、彼女の夫がゲッティンゲン大学に招聘を受けたため、そのゲッティンゲンで彼女も精神分析の分析家として開業をする。彼女はゲッティンゲンで尿毒症により亡くなった。
    > ザロメの広範囲にわたる学問的、文学的名著作は、20世紀後半に入って初めてその全体が収集、編集、校閲されて出版の運びにいたった。その文学作品や物語の中で彼女は、伝統的な世界の中で自分自身の道を歩み始めようとした近代的な女性たちのさまざまな問題を取り上げている。〕

    ニーチェは、もともと友人だったパウル・レー(男性)からそのルー・ザロメという女性を紹介され、ほどなくして結婚を申し込み、断られたそうです。
    パウル・レーとルー・ザロメはもともと互いに好意を持っていたそう。
    ニーチェはそうしたことに気づいていたのかいなかったのかだけど、ザロメの提案での三人での共同生活もし、ほどなくそれは破綻したそうです。
    (100分de名著ブックス『ツァラトゥストラ』西 研 を参考にしました。)

    ルー・ザロメは異性にもてたし、交流も自由奔放だったのかもですね。



    > ニヒリズム、ネットで調べて見たのね。
    > コトバンクでは、
    > 〔ニヒリズムNihilismus ドイツ語
    > 「虚無主義」と訳される。通説によれば、「ニヒリズム」はヤコービがフィヒテの知識学を非難して用いたのが最初だとされる。「ニヒリズム」はまた、19世紀の後半、ロシアの社会運動に現れた伝統的権威、政治社会上の諸制度、宗教などを否定し排斥する傾向をさし、盛んに用いられた。しかし今日、「ニヒリズム」ということばを耳にして普通念頭に浮かぶのは、もっぱらニーチェとその現代批判であろう。
    > ニーチェによれば、「徹底したニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題になるようでは、生存は絶対的に不安定だという確信、およびそれに加えて、“神的”であり、道徳の化身でもあるような彼岸(ひがん)ないしは事物自体を調製する権利は、われわれには些(いささ)かもないという洞察のことである」が、現代はそのニヒリズムの到来の時代である。「私が語るのは来るべき20世紀の歴史である。私はやって来るもの、もはや別様にはやって来えないもの、つまりニヒリズムの到来を記すのだ」とニーチェは語る。〕
    >
    > ニーチェの、「ニヒリズム」って言われてるみたいだけど、
    > 22を見る限り、ひがみズムとしか思えないのよね、わたし。妬みも入っていそうだから妬みズムでもいいかも。
    >
    > 『善悪の彼岸』は、じつは「善悪の僻み」だったりして。


    キリスト教による価値観は、根柢にルサンチマンが隠されている奴隷道徳的なものであるとニーチェは考え、それに安住するように生きることを批判しました。
    自分で倫理道徳を含めた価値観を創造せず、作られたものを信じ従うことで安住しようとすることを批判したのですね。
    ただ、こうしたものを否定してしまうと、何を指針として生きていけばいいのか、という迷いも、人々のなかに出やすいです。
    (言い換えれば、ニヒリズムに陥りやすくなりもする、ということ。)

    そこで、ニーチェは、意味や価値を自ら創造して生きることを人々に提唱します。
    もともと、意味や価値というものは何も決められていなかったにも関わらず、宗教など既存の価値観を生み出すものの支配によって、人々の間でその価値観が常識のようになってきただけなのだということ。
    そうしたものを退け、無価値化して自ら創造せよ。
    このことが彼の哲学の核心としてあるものだと思います。

    『ツァラトゥストラ』を読んでいると、たしかにたまに随分と独善的だなぁ。。と感じる文章もたまにあるし、そうしたものを読む人の感想も様々だと思います。
    私も、昨日書いた通りの感想がありますしね。
    ただ、それを大きく上回る感銘があるということです。
    多くの人々に読まれてきたというのが、私的には納得できます。
引用返信/返信 削除キー/
■19887 / inTopicNo.34)  皆様!(笑)
□投稿者/ パニチェ -(2021/12/12(Sun) 09:03:23)
    2021/12/12(Sun) 09:06:09 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん、悪魔ちゃん、皆々様!(笑)
    横レス失礼します。

    No19886に返信(みのりさんの記事)

    > ■No19840に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    >>ザロメとニーチェの関係、ネットで調べたのね。

    >>ウィキによると、
    >>〔ルー・アンドレアス・ザロメ(Lou Andreas-Salomé、1861年2月12日 - 1937年2月5日)は、サンクトペテルブルク生まれのドイツの著述家、エッセイスト。ロシア語名ルイーザ・グスタヴォヴナ・サロメ。本名はルイーズ・フォン・ザロメ(Louise von Salomé)といい、"Henry Lou"の偽名を使うこともあった。〕

    >>〔1880年、ザロメは、チューリッヒ大学で宗教学、哲学、そして芸術史の勉強を始めた。1882年にパウル・レーと出会い、彼を介してフリードリッヒ・ニーチェと知り合う。ニーチェから求婚の申し出があるが、彼女はそれを拒絶した。のち同様に、ライナー・マリア・リルケからの求婚もやはり断っている。結局、1887年にイラン学者のフリードリッヒ・カール・アンドレアスと結婚している。
    >>ザロメはベルリンでは、フリードリッヒスハーゲン・グループに近づき、当時の著名人たちの知遇を得る。たとえば、ゲアハルト・ハウプトマン、フランク・ヴェーデキント、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、アルトゥル・シュニッツラー、ヤコブ・ヴァッサーマン、などである。こうした特別の交友関係を通して、彼女はライナー・マリア・リルケと知り合い、リルケとは2度ロシア旅行を共にしている。
    >>1911年、ザロメはヴァイマールで開催された国際精神分析会議に参加した後、フロイトの下で精神分析の知識を深めようとする。その後、彼女の夫がゲッティンゲン大学に招聘を受けたため、そのゲッティンゲンで彼女も精神分析の分析家として開業をする。彼女はゲッティンゲンで尿毒症により亡くなった。
    >>ザロメの広範囲にわたる学問的、文学的名著作は、20世紀後半に入って初めてその全体が収集、編集、校閲されて出版の運びにいたった。その文学作品や物語の中で彼女は、伝統的な世界の中で自分自身の道を歩み始めようとした近代的な女性たちのさまざまな問題を取り上げている。〕
    >
    > ニーチェは、もともと友人だったパウル・レー(男性)からそのルー・ザロメという女性を紹介され、ほどなくして結婚を申し込み、断られたそうです。
    > パウル・レーとルー・ザロメはもともと互いに好意を持っていたそう。
    > ニーチェはそうしたことに気づいていたのかいなかったのかだけど、ザロメの提案での三人での共同生活もし、ほどなくそれは破綻したそうです。
    > (100分de名著ブックス『ツァラトゥストラ』西 研 を参考にしました。)
    > ルー・ザロメは異性にもてたし、交流も自由奔放だったのかもですね。


    >>ニヒリズム、ネットで調べて見たのね。
    >>コトバンクでは、
    >>〔ニヒリズムNihilismus ドイツ語
    >>「虚無主義」と訳される。通説によれば、「ニヒリズム」はヤコービがフィヒテの知識学を非難して用いたのが最初だとされる。「ニヒリズム」はまた、19世紀の後半、ロシアの社会運動に現れた伝統的権威、政治社会上の諸制度、宗教などを否定し排斥する傾向をさし、盛んに用いられた。しかし今日、「ニヒリズム」ということばを耳にして普通念頭に浮かぶのは、もっぱらニーチェとその現代批判であろう。
    >>ニーチェによれば、「徹底したニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題になるようでは、生存は絶対的に不安定だという確信、およびそれに加えて、“神的”であり、道徳の化身でもあるような彼岸(ひがん)ないしは事物自体を調製する権利は、われわれには些(いささ)かもないという洞察のことである」が、現代はそのニヒリズムの到来の時代である。「私が語るのは来るべき20世紀の歴史である。私はやって来るもの、もはや別様にはやって来えないもの、つまりニヒリズムの到来を記すのだ」とニーチェは語る。〕

    せっかくニーチェクラブにおりますのでニーチェの生い立ちは。。。
    NIETZSCHE WONDERLAND > ニーチェ伝 を

    ニーチェ用語については
    NIETZSCHE WONDERLAND > 哲学的テーマをご参照下さい。


    ん?信用できないって?(笑)
    ニーチェ伝は私だけが書いたものではないし、ニーチェ用語はニーチェ辞典から引用しています。

    そこいらに転がってる解説よりはマシです。^^


引用返信/返信 削除キー/
■19890 / inTopicNo.35)  引用
□投稿者/ みのり -(2021/12/12(Sun) 09:56:39)
    2021/12/12(Sun) 10:01:42 編集(投稿者)

    パニチェさん、投稿ありがとうございます。

    ニーチェとルー・ザロメ、パウル・レーの関係性について。
    パニチェさんがまとめられたものと、私が読んでいたものから書かせていただいたものでは、内容に相違がありますね。
    パニチェさんが書かれているものは詳細ですし、興味のある方はそちらを読まれるといいと思います。
    (個人的には、ニーチェのこうした交友関係にはそれほど興味はなかったのですが、たまたま悪魔ちゃんへのレスとして触れました。そういえばあの本に少し書いてあったな〜、という感じで。)

    ニーチェにとってのニヒリズムについての文章、パニチェさんの書かれたものの一部分を引用させていただきます。
    (全文については直接にご覧ください。)


    ・・・・・・・・・・
    ニーチェが考えるところのニヒリズムの超克はニヒリズムの徹底と価値転換である。

    世界や生(人生)は無意味にして無価値、無目的であるからこそ、世界や生を認識し解釈することが可能な私たち(または個々人)にとって、意味や価値を創出できるような無垢なるキャンパスでありえる。

    神によってトップダウン的に与えられた世界や生の意味や価値や目的は神の死によって喪失するが(受動的ニヒリズム=ペシミズム)、今度は神に代わって私たちが世界に意味や価値や目的を付与するという世界創造(世界の人間化)へと向う。

    自ら意味や価値を与えた世界は自分自身が世界の主人であることにおいて、一切肯定の「運命愛」に到達する。(能動的ニヒリズム)
    ・・・・・・・・・・
引用返信/返信 削除キー/
■19891 / inTopicNo.36)  Re[34]: 引用
□投稿者/ パニチェ -(2021/12/12(Sun) 10:09:30)
    No19890に返信(みのりさんの記事)

    > パニチェさん、投稿ありがとうございます。

    > ニーチェとルー・ザロメ、パウル・レーの関係性について。
    > パニチェさんがまとめられたものと、私が読んでいたものから書かせていただいたものでは、内容に相違がありますね。
    > パニチェさんが書かれているものは詳細ですし、興味のある方はそちらを読まれるといいと思います。
    > (個人的には、ニーチェのこうした交友関係にはそれほど興味はなかったのですが、たまたま悪魔ちゃんへのレスとして触れました。そういえばあの本に少し書いてあったな〜、という感じで。)

    > ニーチェにとってのニヒリズムについての文章、パニチェさんの書かれたものの一部分を引用させていただきます。
    > (全文については直接にご覧ください。)


    > ・・・・・・・・・・
    > ニーチェが考えるところのニヒリズムの超克はニヒリズムの徹底と価値転換である。

    > 世界や生(人生)は無意味にして無価値、無目的であるからこそ、世界や生を認識し解釈することが可能な私たち(または個々人)にとって、意味や価値を創出できるような無垢なるキャンパスでありえる。
    >
    > 神によってトップダウン的に与えられた世界や生の意味や価値や目的は神の死によって喪失するが(受動的ニヒリズム=ペシミズム)、今度は神に代わって私たちが世界に意味や価値や目的を付与するという世界創造(世界の人間化)へと向う。

    > 自ら意味や価値を与えた世界は自分自身が世界の主人であることにおいて、一切肯定の「運命愛」に到達する。(能動的ニヒリズム)
    > ・・・・・・・・・・

    みのりさん、引用ありがとうございます。
    お気遣いいただき、すんまそん♪
    先のレスは半分は冗談っぽくカキコしたつもりでした。^^;
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