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■21810 / inTopicNo.61)  パニチェさん、田秋さん、悪魔ちゃん
  
□投稿者/ みのり -(2022/03/28(Mon) 15:40:53)
    ☆田秋さんへ

    邪魔されたなんてとんでもないです〜。^^
    むしろ嬉しかったです。

    田秋さんは、しつこいのではなく根気強くいらっしゃるのだと思いますょ。


    ☆パニチェさん

    快くうけとめていただいてありがとうございます。
    作っていただいたトピ、残された分を自分なりに有効に使わせていただきますね。


    ☆悪魔ちゃん

    返答 → 違いますよ〜。

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■21811 / inTopicNo.62)  ミモザ(銀葉アカシア)
□投稿者/ みのり -(2022/03/28(Mon) 15:47:36)
    2020春に植えた際、高さ70センチぐらいだったミモザが今、2.5メートルほどになってたくさんの黄色い花をつけています。

    日本でミモザとして出回っているものは、本ミモザではなく銀葉アカシアなのだそうで、うちのもたぶんそうなんだと思います。

    枝を切ってきてスワッグにしました。

    花粉症の方は目が痒くなる色かも。
2048×1536 => 600×450

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■21823 / inTopicNo.63)  Re[50]: みのりさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/28(Mon) 20:10:21)
    >☆悪魔ちゃん 返答 → 違いますよ〜。<
    え、違ったのね。
    答えてくれてありがと。

    みのりさんって、ツァラトゥストラなんか読むことより、
    ■21811のようなのが素直っぽくていいかも?
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■21833 / inTopicNo.64)  スワッグ
□投稿者/ 田秋 -(2022/03/29(Tue) 10:11:19)
    おはようございます、みのりさん

    掲載の写真はスワッグなんですね。最初、こういう木なんだと思ってみてました。スワッグという言葉も知りませんでした。壁にぶら下がっている花束は見たことありますが、ドライフラワーを作ってるのだろうと思ってますた。

    「ミモザ」で思い出したことがあります。高校1年生の時、三重県出身の学生専用の学生会館が西荻窪にありました。駅のすぐそばに「ミモザ」という喫茶店があり、時々友達と行ってました。音の問題でこの学生会館は1年で出なくてはなりませんでしたが。

    少し前、自分のトピにひまわりの種を食べた記憶を何十年ぶりに思い出したことを書きましたが、このミモザもそれこそ50年ぶりくらいに思い出しました。
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■21849 / inTopicNo.65)  Re[52]: スワッグ
□投稿者/ みのり -(2022/03/29(Tue) 20:40:13)
    No21833に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんばんは〜。

    > 掲載の写真はスワッグなんですね。最初、こういう木なんだと思ってみてました。スワッグという言葉も知りませんでした。壁にぶら下がっている花束は見たことありますが、ドライフラワーを作ってるのだろうと思ってますた。

    ミモザの枝は長くてわりと弾力もあるので、枝をわっかにしてリースが作れるのですが、とりあえずは束ねてのスワッグにしました。

    憧れてたミモザ(正確には、銀葉アカシア)が庭でふさふさと茂ってて、喜んでます。

    黄色い花、それからブルーの花が昔から好きなんです。
    偶然にもウクライナカラーです。

    > 「ミモザ」で思い出したことがあります。高校1年生の時、三重県出身の学生専用の学生会館が西荻窪にありました。駅のすぐそばに「ミモザ」という喫茶店があり、時々友達と行ってました。音の問題でこの学生会館は1年で出なくてはなりませんでしたが。

    田秋さんは、高校は地元ではなく東京だったのですね。
    楽器の練習の音の関係で学生会館からは引っ越されたということなのでしょうか。

    > 少し前、自分のトピにひまわりの種を食べた記憶を何十年ぶりに思い出したことを書きましたが、このミモザもそれこそ50年ぶりくらいに思い出しました。

    あ〜、そういえば、ロムさせていただいたような・・・
    (詳しいところは憶えてませんが。)

    ひまわりの種といえば、コロナ前はメジャーリーガーたちがベンチで食べてはペッってしてましたね。
    アーモンドやピスタチオじゃなく、ひまわりの種。
    昔からの伝統なのかな〜。

    日本のプロ野球だったら、ベンチで落花生の殻剥きしながらピーナッツ食べてたりしたらおもしろいかもです。^^

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■21851 / inTopicNo.66)  分水嶺
□投稿者/ 田秋 -(2022/03/29(Tue) 22:18:29)
    こんばんは、みのりさん

    >楽器の練習の音の関係で学生会館からは引っ越されたということなのでしょうか。
    クレームが出たのだと思います。学生会館にはアップライトのピアノが入った小部屋があってそこで練習していたのですが、防音ではなかったので
    1,音が気になる。練習というのは聴いててもつまらないですから。
    2,ピアノの入った部屋を独占していて、他の人も使いたい。
    そんなことで、出て行って欲しいと言われました。

    また何十年ぶりかの記憶が蘇りましたが、当時市内通話は10円で無制限でした。

    >田秋さんは、高校は地元ではなく東京だったのですね。
    よくぞ聞いてくださいました。長い話になりますが、絶対飽きさせませんのでどうぞお聞きくださいまし。

    中学3年の春、バイオリンの先生(当時はバイオリンを習っていました)が母に芸高に受かるだろうと仰ったのです。
    芸高というのは東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校というチョー長い名前の高校のことです。
    芸高という存在は知っていました。しかしそれは雲の上の話で、ボクには関係のない存在でした。それが突然関係ないとは言えない存在になったのです。

    その時ついていた先生は桐朋系の先生で、芸高受けるなら芸大系の先生の方がいいということで、8月から先生が変わり、9月に受験要綱が発表されました。受験は1月7日から1週間でした(1次、2次、学科、面接)。

    この期間が生涯で一番さらった時期です。一日7時間さらいました。学校行く前に2時間、学校から帰って夕食前に2時間、夕食後3時間です。なにしろ、どのくらい弾ければ受かるのか見当もつかないのです。
    毎週日曜日は東京までレッスンです。先生の方針で「君は何時から」というのを決めないのです。早いもの順、他の生徒のレッスンを聴くのもレッスンということです。

    朝6時ころの汽車に乗って先生のお宅に10時過ぎに着いたとしてもレッスンは3時ころでした。昼食、どうしたんでしょうね。サンドイッチかおにぎりか食べたのでしょうか。先生もお昼ご飯お食べになったでしょうからお昼休憩があったのだと思いますが、全く記憶がありません。

    家に戻るのは10時か11時でした。

    続く 後半はもっと面白いどすえ〜^^
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■21859 / inTopicNo.67)  Re[54]: 分水嶺
□投稿者/ 田秋 -(2022/03/30(Wed) 09:25:13)
    おはようございます、みのりさん

    続きです。

    当時芸高はお茶の水にあり、歩いて15分くらいのところに母と共に宿を取っていました。入試はヴァイオリンで受けました。1次はローデというエチュードでこれはうまくいきました。2次はラロのスペイン交響曲(名前は交響曲ですがヴァイオリンコンチェルトです)の1楽章でしたが、1ページ目の中ほどのパッセージで指がもつれ大失敗、もう舞い上がってしまい頭の中は真っ白、その後何をどう弾いたのか全く記憶がありません。

    もう絶対ダメだと確信しましたが、納得するため(?)発表を見に行きました。発表ボードの前は黒山の人だかりでしたが、合格者番号は順番に書いてあり、自分の番号が無いことはわかりました。

    あれほど厳しかった母が、失敗してダメだったと報告したとき怒らなかったのは当時としては意外でした。この母の心情が本当にわかったのは、自分が親になってからかもしれません。まあ、あとは家に戻るだけ、母と二人での帰りの車中のことも全く記憶にありません。

    家に帰ったのは12時近くでした。家に帰るなり父が、兎束先生(ボクの先生で当時校長でした)から電話があって、帰ったらすぐに電話せえ言うことやと言うのです。
    何のことかわかりませんでしたが、本人が電話しろということだったのでとにかく電話しました。
    「オマエ、どうして来なかったのだ!」
    先生の第一声がこれでした。

    その辺りの具体的な先生とのやり取りは覚えていませんが、どういうことかというと、合格発表のボードの一番下に「以下の者は教務に来るように」と書いてあり、そこにボクの番号があったのです。前にたくさん人がいて後ろからは見えなかったし、落ちたと確信していて合格者に自分の番号もなかったので、わざわざ人を押しのけて一番前までいかなかったのです。

    先生の話は、転科の話でした。ビオラに変わらないかというのです。ビオラなら入れてやる(表現は違いましたが)、ビオラで芸高に入るか、もう3年勉強してヴァイオリンで芸大を受けるか、この電話で即答しろというのです。
    入れるならビオラだろうがチャルメラだろうがなんでもいい、と思いました。実際実物のビオラはそれまで見たことありませんでした。
    「ビオラでお願いします」

    この深夜の電話でのやりとりがボクの人生の分水嶺でした。

    言い訳ですが、転科については受験要綱に「面接の際に転科を勧めることがある」とありました。だから2次試験の時にはそれはなく、合否の発表だけだと思っていたのです。当時は携帯電話などありませんから、こういう絶対忘れられないエピソードが生まれました。

    面接のとき教頭から「さあ、この慌て者の顔をみてやろう」と言われたのも忘れられません。
    この受験譚とは関係ありませんが、この教頭が最初の授業(楽典)のとき
    「お前らの未来は暗い」
    と仰ったのも忘れられません。希望に燃えている新1年生にそういうこと言うか!?
    と思いましたが、就職は大変だぞという先生のご神託が実際大学を卒業するときに正しかったことがよくわかりました。

    というわけで高校1年生から東京に出たのでした。 チャンチャン

    おしまい

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■21873 / inTopicNo.68)  Re[55]: 分水嶺
□投稿者/ みのり -(2022/03/30(Wed) 20:17:40)
    No21859に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんばんは〜。 投稿ありがとうございます。

    東京にある芸校への進学を先生に勧められるほど才能あふれた田秋さんが猛練習しても試験に通ることができなかったというのは、かなりハイレベルでのしのぎの削り合いだったのですね。

    > 家に帰ったのは12時近くでした。家に帰るなり父が、兎束先生(ボクの先生で当時校長でした)から電話があって、帰ったらすぐに電話せえ言うことやと言うのです。
    > 何のことかわかりませんでしたが、本人が電話しろということだったのでとにかく電話しました。
    > 「オマエ、どうして来なかったのだ!」
    > 先生の第一声がこれでした。
    >
    > その辺りの具体的な先生とのやり取りは覚えていませんが、どういうことかというと、合格発表のボードの一番下に「以下の者は教務に来るように」と書いてあり、そこにボクの番号があったのです。前にたくさん人がいて後ろからは見えなかったし、落ちたと確信していて合格者に自分の番号もなかったので、わざわざ人を押しのけて一番前までいかなかったのです。
    >
    > 先生の話は、転科の話でした。ビオラに変わらないかというのです。ビオラなら入れてやる(表現は違いましたが)、ビオラで芸高に入るか、もう3年勉強してヴァイオリンで芸大を受けるか、この電話で即答しろというのです。
    > 入れるならビオラだろうがチャルメラだろうがなんでもいい、と思いました。実際実物のビオラはそれまで見たことありませんでした。
    > 「ビオラでお願いします」
    >
    > この深夜の電話でのやりとりがボクの人生の分水嶺でした。
    >
    > 言い訳ですが、転科については受験要綱に「面接の際に転科を勧めることがある」とありました。だから2次試験の時にはそれはなく、合否の発表だけだと思っていたのです。当時は携帯電話などありませんから、こういう絶対忘れられないエピソードが生まれました。
    >
    > 面接のとき教頭から「さあ、この慌て者の顔をみてやろう」と言われたのも忘れられません。
    > この受験譚とは関係ありませんが、この教頭が最初の授業(楽典)のとき
    > 「お前らの未来は暗い」
    > と仰ったのも忘れられません。希望に燃えている新1年生にそういうこと言うか!?
    > と思いましたが、就職は大変だぞという先生のご神託が実際大学を卒業するときに正しかったことがよくわかりました。
    >
    > というわけで高校1年生から東京に出たのでした。 チャンチャン
    >
    > おしまい

    校長先生からの連絡が何かの手違いで田秋さんに届かなかったりしたら、また、転科を田秋さんが希望されなかったら、音楽とは違う道に進まれていた可能性もあったかもしれず。。。
    まさに分水嶺ですね。^^

    貴重なお話をありがとうございました。


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■21875 / inTopicNo.69)  食料の自給などについて
□投稿者/ みのり -(2022/03/30(Wed) 20:39:02)
    ロシア産の小麦を輸入することができなくなり、今後不足することが予想されるという話が出たと思ったら、今度はロシア産の蕎麦の実も入らなくなったので、蕎麦の価格も上昇するだろう、と報道されていました。

    蕎麦は冷涼な土地であれば肥沃な土でなくても作れるのじゃなかったかな?
    日本でも今後、たくさん生産していけばいいのじゃない。

    小麦粉の代替として米粉が考えられると思うのだけれど、この米粉というのは、販売価格が高いです。
    米の消費量が減少しているのでもっと消費してほしい、という声はよく聞くのに、なぜ小麦粉より米粉の価格が高いのか。。
    どういうカラクリなのかな?
    米からは米油も作れて、これは身体にも優しいとされているのに、やはり価格はサラダ油(トウモロコシを主原料としてるものが多いのかな)よりだいぶ高いのだ。
    米、余ってるんじゃないのですかね〜?

    牛乳も需要と供給のバランスが崩れて、生産が多く見込まれる4月には、更に廃棄分が増えざるをえないと聞いたのだけど。。。
    価格をグンと引き下げれば売れ行きは上がるんじゃないのかな。
    赤字にしてまで出荷したくないから、それはしないと言われればそれまでか。。

    食料の自給率は上げておくほうがいいんじゃないか、と
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■21876 / inTopicNo.70)  Re[56]: 分水嶺
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/30(Wed) 20:54:59)
    お邪魔します〜。

    田秋さんの分水領のお話し、とってもおもしろかったで〜す。
    実体験がゆえに、かな。

    自己の欲望と社会の在り方とのかかわり方のなかで分水領、
    わたし、振り返ってみたんだけど、とくになかったみたい。

    ところで、みのりさんはどうなのかしら?

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■21882 / inTopicNo.71)  Re[57]: 分水嶺
□投稿者/ 田秋 -(2022/03/30(Wed) 21:33:29)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    読んでくれてありがとう!

    悪魔ちゃんの人生のターニングポイント、これからあるかもよ。



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■21890 / inTopicNo.72)  Re[57]: 分水嶺
□投稿者/ みのり -(2022/03/31(Thu) 10:11:47)
    No21876に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > 自己の欲望と社会の在り方とのかかわり方のなかで分水領、
    > わたし、振り返ってみたんだけど、とくになかったみたい。
    >
    > ところで、みのりさんはどうなのかしら?

    悪魔ちゃん、投稿ありがとうございます。

    答えとして十分なものになるかわからないけど・・・
    20代の半ば頃に、物理的と経済的にも分水嶺となることはありましたよ。
    それまでふわふわと甘い考えで生きていたけど、それが通用しなくなり、ハードに働いた(当初は働かざるをえなくなった、という感じでもあったな)ことにより得るものがあった、ということです。

    具体的な書き方じゃなくてごめんね。


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