| [21] 自由な死について
・・・・・ 11 わたしはきみたちに向かって、わたしの死を称える。それは、わたしが欲する がゆえに、わたしのところへやってくる、自由な死だ。
12 して、わたしはいつ欲するであろうか? ─ 一つの目標と一人の継承者とを 持つ者は、目標と継承者にとって然るべき時に死を欲するのだ。 ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p130より引用
2 では、「然るべき時に死ね」ということが語られていて、また、15では、「歯の抜けた口には、もはやいかなる真理を口にする権利もない」ということも語られていて、ニーチェの「死」に対する考え方が垣間見えるものになっていると思います。 大地において成すべきことを成したなら、自分が欲する時に死んでいきたい、という一つの美学のようにも私には感じられます。 こういうところにも、ニーチェの理想の炎が燃えているのを感じますね。
死ぬも生きるも自分の意志だけではどうすることもできない、というのが一般的な考え方というか観方なんじゃないかな、思うのですが、そうしたことを押しのける激しさがニーチェなのだろうな。
この章、次回、最後まで読んでまとめます。 投稿の時間がなかなか取れず、もしかしたら今年のうちに第一部を終えられないかもしれないけど、それはそれでということでやっていこうと思います。 考えてみれば、諸価値は自分で創造せよ、とニーチェも言ってるんですものね。 マイペースで行こう!
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