□投稿者/ 田秋 -(2022/03/30(Wed) 09:25:13)
| おはようございます、みのりさん
続きです。
当時芸高はお茶の水にあり、歩いて15分くらいのところに母と共に宿を取っていました。入試はヴァイオリンで受けました。1次はローデというエチュードでこれはうまくいきました。2次はラロのスペイン交響曲(名前は交響曲ですがヴァイオリンコンチェルトです)の1楽章でしたが、1ページ目の中ほどのパッセージで指がもつれ大失敗、もう舞い上がってしまい頭の中は真っ白、その後何をどう弾いたのか全く記憶がありません。
もう絶対ダメだと確信しましたが、納得するため(?)発表を見に行きました。発表ボードの前は黒山の人だかりでしたが、合格者番号は順番に書いてあり、自分の番号が無いことはわかりました。
あれほど厳しかった母が、失敗してダメだったと報告したとき怒らなかったのは当時としては意外でした。この母の心情が本当にわかったのは、自分が親になってからかもしれません。まあ、あとは家に戻るだけ、母と二人での帰りの車中のことも全く記憶にありません。
家に帰ったのは12時近くでした。家に帰るなり父が、兎束先生(ボクの先生で当時校長でした)から電話があって、帰ったらすぐに電話せえ言うことやと言うのです。 何のことかわかりませんでしたが、本人が電話しろということだったのでとにかく電話しました。 「オマエ、どうして来なかったのだ!」 先生の第一声がこれでした。
その辺りの具体的な先生とのやり取りは覚えていませんが、どういうことかというと、合格発表のボードの一番下に「以下の者は教務に来るように」と書いてあり、そこにボクの番号があったのです。前にたくさん人がいて後ろからは見えなかったし、落ちたと確信していて合格者に自分の番号もなかったので、わざわざ人を押しのけて一番前までいかなかったのです。
先生の話は、転科の話でした。ビオラに変わらないかというのです。ビオラなら入れてやる(表現は違いましたが)、ビオラで芸高に入るか、もう3年勉強してヴァイオリンで芸大を受けるか、この電話で即答しろというのです。 入れるならビオラだろうがチャルメラだろうがなんでもいい、と思いました。実際実物のビオラはそれまで見たことありませんでした。 「ビオラでお願いします」
この深夜の電話でのやりとりがボクの人生の分水嶺でした。
言い訳ですが、転科については受験要綱に「面接の際に転科を勧めることがある」とありました。だから2次試験の時にはそれはなく、合否の発表だけだと思っていたのです。当時は携帯電話などありませんから、こういう絶対忘れられないエピソードが生まれました。
面接のとき教頭から「さあ、この慌て者の顔をみてやろう」と言われたのも忘れられません。 この受験譚とは関係ありませんが、この教頭が最初の授業(楽典)のとき 「お前らの未来は暗い」 と仰ったのも忘れられません。希望に燃えている新1年生にそういうこと言うか!? と思いましたが、就職は大変だぞという先生のご神託が実際大学を卒業するときに正しかったことがよくわかりました。
というわけで高校1年生から東京に出たのでした。 チャンチャン
おしまい
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