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■19691 / inTopicNo.49)  ウィトゲンシュタイン全集
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/12/05(Sun) 17:57:43)
    こんばんは、うましかさん。以下のレスを見逃してました。
    ゴメンチャイ♪

    No18490に返信(うましかさんの記事)

    > pipitさん、パニチェさん、皆さん、こんにちはー
    > 昨日ご紹介した『コンタクト』はフィクションでしたが、本日の底なし沼探査レポはドキュメンタリー、それは或る若い兵士が戦場で書き綴った日記。
    > この日記他から作り上げられた作品が、この掲示板で最近話題にあがっている『論理哲学論考』です。
    > もちろん、或る兵士とはウィトゲンシュタイン。以下は1916年6月4日に始まる、いわゆる「ブルシーロフ攻勢」で死の危機に瀕する最中書かれた言葉です。
    > あ、パニチェさんは、きっとこれらにも造詣が深いですよね(・∀・)

    うましかさんは大修館書店『 ウィトゲンシュタイン全集1』持ってられるんですね。

    ウィトゲンシュタインが難解なのは前期と後期があること、これを繋ぐ青色本・茶色本、で哲学探究以降、最期の1年半に綴られた草稿(確実性の問題)と断片もあるからでしょうね。これに加えて1993年に発見された哲学宗教日記まであります。

    前期と後期の独我論は異なるし、おそらく一貫しているのは「私」という語が指し示す語りえない主体です。
    これを踏まえてウィトゲンシュタインを読解するか、またはこれをスルーして読解するかでかなり違った哲学になると思います。

    以下の草稿も含め、パニチェは永井均氏と同じく前期後期を通じて語りえぬ〈私〉を指し示していると読解しています。

    『私はこう言おう。「正直なところを言えば、たしかに、私には他の誰にもない何かがあると言わねばならない」、と。──だが、その私とは誰だ。──くそっ。私の言い方はまずいがそこに何かがあるんだ!君だって私の個人的な経験というものがあり、またそれには最も重要な意味での隣人というものがないことを否定すまい。──だが君はそれがたまたま孤独だと言うつもりではないだろう。君の言いたいのはその何かの文法上の位置が隣人のない場所にあるということだろう。「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6「個人的経験」および「感覚与件」について P.323より』

    もの凄く乱暴に言うと。語りえないということは前期・後期にわたり共通するが、言語の写像理論によって形而上学的主体としたものを言語ゲームでもって形而下に引きずりおろそうとした試みでもある。

    写像理論を前提とした似非独我論を経て真正独我論(永井均氏的には独在論)に至った。


引用返信/返信 削除キー/
■19690 / inTopicNo.50)  ただいま日記
□投稿者/ pipit -(2021/12/05(Sun) 16:30:17)
    > 「私は完全に無力」( No.18490 )<

    ウィトゲンシュタインさんの日記からの言葉だったのかー
引用返信/返信 削除キー/
■19686 / inTopicNo.51)  Re[32]: ひるシカ休憩沼日記・素材?
□投稿者/ pipit -(2021/12/05(Sun) 13:45:37)
    カントは、「わたし」は感情みたいなもの、みたいにどこかで書いてたらしいかもだけど、、、

    むむむむむむむ、、、
引用返信/返信 削除キー/
■19685 / inTopicNo.52)  Re[31]: ひるシカ休憩沼日記・素材?
□投稿者/ pipit -(2021/12/05(Sun) 13:43:16)
    女性が主、うましかさんが客、、、

    むむむむ、、、、


引用返信/返信 削除キー/
■19684 / inTopicNo.53)  ひるシカ休憩沼日記・素材?
□投稿者/ pipit -(2021/12/05(Sun) 13:39:08)
    うましかさん、こんにちは!

    >ただ私の中で一つ確実だったのは、ここで描かれる「世界(の出来事)」に対して私うましかは何ひとつ影響を与えることができないこと。
    「私は完全に無力」( No.18490 )なのでしたー(´;ω;`)ウッ…<

    お昼で日向ぼっこで、思ったことを!
    (返信なくても大丈夫ですよー^_^)

    素材はもうあった、ってことかな?素材と、素材の解釈(or 構成?)があるとすれば、素材自体には何も影響できない、ってことかなー?と思いました。

    でも、全然違うかもですねm(_ _)m
    ここらへん(主客とか)の話題って、考えだすと、なんか、わたしには難しいです。

引用返信/返信 削除キー/
■19683 / inTopicNo.54)  ひるシカ沼日記(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2021/12/05(Sun) 12:50:20)
    2021/12/05(Sun) 13:00:45 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー(/・ω・)/

    *******

    No.19670 (pipitさん)

    >体感的にpipitにはわかりませんが、
    >、、、、なんかいいなー(?)

    No.19639 (pipitさん)

    >このMVは、女性からの視界が描かれたアニメーションで、女性の眼自体とかはうつってないかも? 

    https://youtu.be/Sw1Flgub9s8
    ヨルシカさん
    ♪春泥棒


    *******

    (;´・ω・)

    私はこのアニメーションが「女性の視界」から描かれたものということを、予めpipitさんから得て鑑賞にのぞんだわけですが、そもそもこの事前情報がなければ、何によってそれを知り得るのでしょうか?(;´・ω・)

    それは曲が開始して間もなく出てくる「(コーギー?に差し出される)女性の手」によってだとおもうんです。

    もしこの「女性の手」、それからその手と関係づけられるコーギーの動作が無ければ、ここに映し出される画面世界が、何らか志向する誰かの視界であると私単純うましかはおもうことはなかったとおもいます。

    開始早々舞い散る桜に見惚れて主客があいまいな状況で作品をながめていた私うましかですが、先の装置、つまり女性の視点・視界(主体・主観)の挿入によって、いったん主(女性)・客(うましか)が分離し、あとは鑑賞する私うましかが自らの解釈の脳内循環に巻き込まれていきました。ただ私の中で一つ確実だったのは、ここで描かれる「世界(の出来事)」に対して私うましかは何ひとつ影響を与えることができないこと。

    「私は完全に無力」( No.18490 )なのでしたー(´;ω;`)ウッ…





引用返信/返信 削除キー/
■19682 / inTopicNo.55)  超越論的感性論 第三項:W−6
□投稿者/ うましか -(2021/12/05(Sun) 10:44:15)
    2021/12/05(Sun) 10:45:12 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございますー

    今日も朝から(/・ω・)/溺れております。

    *******

    ◆ b) 空間は、単なる外的な感官の全ての現象の形式、言いかえれば、私たちにはそのもとでのみ外的直観が可能であるような感性の主観的条件以外の何ものでもない。ところで、対象によって触発されるという主観の受容性は、必然的にこの客観の全ての直観に先行する。それゆえ、いかにして全ての現象のこの空間という形式が、全ての現実的な知覚に先立ち、したがってア・プリオリに心の内に与えられるのか、また、いかにしてこの形式が、全ての諸現象がそこで規定されざるを得ない一つの純粋な直観として、それらの諸対象の諸関係の諸原理を、全ての経験に先立ち含み得るのかが理解できるのである。

    --- No.19668からの続き---

    ◆したがって私たちは、人間の立場からのみ、空間とか拡がりのあるもの等について語ることができる。私たちが、その〔主観的条件の〕下でのみ、対象によって触発されるだろう外的直観を得ることができるという、そのような主観的条件を捨て去るならば、空間についての表象は全く無意味となる。

    ◇空間というこの述語〔Praedikat〕は、諸物が私たちに現象するかぎりにおいてのみ、言いかえれば、諸物が感性の対象であるかぎりにおいてのみ、それらの諸物に付加される。

     ※1 「空間というこの述語」(;´・ω・)? "Sは空間である。"みたいな?(・・;)

    ◇私たちが感性と名づけるこの受容性の恒常不変の形式は、諸対象がそこで外なるものとして直観される全ての関係の一つの必然的条件であり、これらの諸対象が捨象されるときには、一つの純粋な直観であり、この純粋な直観に空間という名称が使われるのである。

    ◇私たちは感性の特殊な諸条件を、事象の可能性の諸条件にすることはできず、事象の現象の可能性の諸条件にすることができるに過ぎないので、私たちはおそらくこういうことができる。

    ◇空間は、私たちに外的に現象し得る全ての物を包括し〔befasse〕はするが、たとえ物自体が直観されるにしても、直観されないにしても、或いはまたいかなる主観によって直観されるとしても、全ての物自体を包括しはしない、と。

    ◇なぜなら、私たちは、私たち以外の思考する存在者〔Wesen〕の直観については、私たちの直観を制限し〔einschraenken〕、私たちにとって普遍的に妥当するのと同じ諸条件に、はたしてそれらの存在者が拘束されている〔gebunden〕かどうかを全然判断することができないからである。

     ※2 「私たちは、私たち以外の思考する存在者〔Wesen〕の直観については、」… 私たち以外の存在者って何だろう?(;゚Д゚)?!


    † 原佑訳上巻、p.156参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682

引用返信/返信 削除キー/
■19674 / inTopicNo.56)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/12/04(Sat) 21:40:43)
    マジモンさん、こんばんはー
    ( ^ω^ )♪

    No19673
    >おじさんがおじさんをつくる…、なぜ、おじさんですか? (笑)<

    生産者と生産物という組み合わせをイメージしてる時、
    知人の生産農家さんのおじさんをなんとなく思い浮かべてました。

    そういえば、マジモンさんも野菜を作ってるとマジモンさんの記事で読んだ覚えがあります。
    自分で作った野菜は特別?かわいいんじゃないかなー、美味しいんじゃないかなー、と想像してます。

    おつかれさまです(^_^)


引用返信/返信 削除キー/
■19673 / inTopicNo.57)  Re[28]: おーとぽいえーしすっ日記
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/12/04(Sat) 20:39:25)
    No19656に返信(pipitさんの記事)
    > みなさまおはようございます
    >
    > 『知恵の樹』途中でわからなくなって、そのまま期間も空いてしまっていたので、また最初から読み直してます。
    >
    > 感想変わるかもだけど、思ったことを。
    >
    > 生産者が生産物をつくる。
    > 例えば、おじさんがカブをつくる。
    >
    > オートポイエーシスの場合は、
    > 生産者と生産物が同時的在り方で、
    > おじさんがおじさんをつくる。

    面白かったので、質問します。

    おじさんがおじさんをつくる…、なぜ、おじさんですか? (笑)
引用返信/返信 削除キー/
■19672 / inTopicNo.58)  Re[8]: 超越論的感性論 第三項:W−5
□投稿者/ pipit -(2021/12/04(Sat) 19:31:18)
    哲勉?おつかれさまです!
    No19668

    > ↓( ノД`)↑(# ゚Д゚)<

    それはー、きっとー、カント先生のせいです、、、と言うと、カント先生が

    ↓( ノД`)↑(# ゚Д゚) ゴメby pipit

    ※※※※※※※※

    > ◇私たちが、その〔主観的条件の〕下でのみ、対象によって触発されるであろう外的直観を得ることができるという、そのような主観的条件から離れるならば、空間についての表象は全く意味が無い〔*1〕。

     *1 原典と照らしあわせ文意がよくわからなかったため、石川文康訳【上】p.82他を参考にした。<

    原典文もややこしいのでしょうか?
    今考えてみたことを書いてみますね。
    (主観的条件=感性)
    と考えてみて、

    > ◇私たちが、(略)
    主観的条件から離れるならば、空間についての表象は全く意味が無い〔*1〕。<

    うーん、
    該当部分から少し先で、カントはいろいろ述べたいみたいですね。
    今の箇所では様子見でも問題ないのかな???

    お、、、、おつかれさまですつ!!

    Σ−=≡(ノ・∀・)ノ



引用返信/返信 削除キー/
■19670 / inTopicNo.59)  よるシカ♪再び
□投稿者/ pipit -(2021/12/04(Sat) 19:01:33)
    うましかさん、こんばんは!

    No19662
    > なるほどなーと鑑賞はじめ舞い散る桜に見惚れた直後、一瞬?(;´・ω・)
    >
    > 映像のなかに手が出てきて、手の動きと映像の動きが私うましかの「視線」(パースペクティブ?)と重なったんです。そうしたら映像のフレームいっぱいあふれる主体(主観)を、客観的に感じ取ることができたようにおもったのですねー
    >
    > そうすると、いわば主客分離−結合…、映像で描かれる「世界」をめぐる解釈学的循環状態でもうたいへん!<

    なになにー??!!?
    体感的にpipitにはわかりませんが、
    、、、、なんかいいなー(?)


    >
    > (;゚Д゚)うま?しか?(゚Д゚(◎_◎;); ) <


    (うま(シカ)?)

    、、、いいなー



引用返信/返信 削除キー/
■19668 / inTopicNo.60)  超越論的感性論 第三項:W−5
□投稿者/ うましか -(2021/12/04(Sat) 17:55:55)
    2021/12/04(Sat) 17:56:59 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    私の作業はとても「読解」なんて言える代物ではありませんよー(´;ω;`)ウッ…

    今日も原佑訳の文に??、原典をみて↓( ノД`)↑(# ゚Д゚)、最後に全ては自分の力不足故と悲しみの淵に沈みました。



    轟沈沼〜(/・ω・)/

    *******

    ●前述の諸概念からの結論
    ◆ a) 空間が示して見せるのは、何らかの諸物自体〔Dinge an sich〕の性質、或いはそれらの相互関係における諸物自体では全然ない。言いかえれば、対象自身に付着していて直観のあらゆる主観的条件が捨象されても残るような、諸物自体の規定では全然ない。なぜなら、絶対的な規定も相対的な規定も、その規定が帰属すべき物の現存在に先立ち、したがってア・プリオリには直観され得ないからである。

    --- No.19542からの続き---

    ◇ b) 空間は、単なる外的な感官の全ての現象の形式、言いかえれば、私たちにはそのもとでのみ外的直観が可能であるような感性の主観的条件以外の何ものでもない。

    ◇ ところで、対象によって触発されるという主観の受容性は、必然的にこの客観のすべての直観に先行する。
    それゆえ、いかにして全ての現象のこの空間という形式が、全ての現実的な知覚に先立ち、したがってア・プリオリに心の内に与えられるのか、
    また、いかにしてこの形式が、全ての諸現象がそこで規定されざるを得ない一つの純粋な直観として、それらの諸対象の諸関係の諸原理を、全ての経験に先立ち含み得るのか
    が理解できるのである。

    ◇したがって私たちは、人間の立場からのみ、空間とか拡がりのあるもの等について語ることができる。

    ◇私たちが、その〔主観的条件の〕下でのみ、対象によって触発されるであろう外的直観を得ることができるという、そのような主観的条件から離れるならば、空間についての表象は全く意味が無い〔*1〕。

     *1 原典と照らしあわせ文意がよくわからなかったため、石川文康訳【上】p.82他を参考にした。



    † 原佑訳上巻、p.155〜p.156参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−4 No.19542、W−5 No.19668
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668

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