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■19737 / inTopicNo.37)  Re[39]: 島人ぬ宝♪
  
□投稿者/ pipit -(2021/12/07(Tue) 21:01:23)
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■19735 / inTopicNo.38)  Re[38]: 島人ぬひとりごと
□投稿者/ pipit -(2021/12/07(Tue) 20:54:07)
    あー、なんかわからんけど、沖縄がチラホライメージにあがってたんだよね

    しまんちゅぬ宝かぁ

    thanks!
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■19731 / inTopicNo.39)  Re[37]: 島人
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/07(Tue) 20:39:08)
    ■19729、
    地球の島に住んでる人、しまんちゅ。
    あ、わたしのことね。
    ひょっとした、らうみんちゅいるかも?

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■19729 / inTopicNo.40)  島宇宙(しまうちゅう)
□投稿者/ pipit -(2021/12/07(Tue) 18:45:03)
    なんかかわいいネーミングだなー、と思いました。
    日訳のせいかな?


    島宇宙(しまうちゅう)
    island universe

    https://astro-dic.jp/island-universe/

    『現在の銀河を指す古い呼び名。ドイツの哲学者カント(I. Kant)による。1755年に出版された論文で、カントは、宇宙には星の集団が点在していると考え、その集団の一つ一つを大海に浮かぶ小島にたとえて島宇宙と呼んだ。ハーシェル(W. Herschel)は天の川が星の集団であることを示したが、当時はその集団、今日の天の川銀河(銀河系)、が宇宙そのものと考えられていた。1924年にハッブル(E. Hubble)が、アンドロメダ銀河は銀河系と同規模の恒星の大集団であり、このような大集団が宇宙に点在していることを示して、カントの島宇宙説は科学的根拠を得た。ただし、それらの恒星の大集団は現在では銀河と呼ばれ、島宇宙は歴史的用語となっている。』



引用返信/返信 削除キー/
■19727 / inTopicNo.41)  目次
□投稿者/ pipit -(2021/12/07(Tue) 12:40:39)
    No19721
    > そういえば、カントには『形而上学の夢によって解釈された視霊者の夢』(1766年)という著作がありますね(;゚Д゚)
    >
    > 講談社学術文庫、金森誠也訳があります。
    >
    > https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211641
    >
    >
    > 時間があったら開いてみたいけど、、、コワい(゚Д゚; )
    >

    ありがとうございます!

    なんか、目次の文言が、(もう?)おもしろいんですけど。。。
    気のせいでしょうか。。。。

    一例
    『詳述する前に、きわめてわずかなことしか約束しない前書き』
引用返信/返信 削除キー/
■19725 / inTopicNo.42)  Re[34]: 空想特撮的?カント沼メモ
□投稿者/ pipit -(2021/12/07(Tue) 12:30:51)
    うましかさん、こんにちはー

    全財産賭ける?とか、熱い?ですよねー

    全然詳しくないのだけど、カントも?かなり面白い宇宙論を展開してるかも???

    カントもデカルトも、たくさんの生命も、
    おもしろいなー、と、300年前くらいに現実に夜空見てたのかな、と、
    少し不思議な気持ちになります(*^_^*)
    ☆彡

    どなた様も、どんな話題でもpipitのことは気にせずにご自由に書き込みくださいませ!


引用返信/返信 削除キー/
■19721 / inTopicNo.43)  空想特撮的?カント沼メモ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2021/12/06(Mon) 22:58:16)
    pipitさん、こんばんはー

    No.19702 (pipitさん) には驚きました! (◎д◎;)

    興味深い情報をありがとうございますm(__)m

    >もし何らかの経験に基づいて、わたしたちが見ることのできる惑星のうちの少なくとも一つに、住人がいるかどうか確認する手段があるとすれば、わたしはそのことに[すなわち惑星に住人がいることに]自分の持っているすべてのものを賭けたいと考えている。だから別の世界にも住人がいるというわたしの考えは、たんなる臆見ではなく、強固な信念であると言いたい。そしてこの信念の正しさのためには、わたしは自分の生涯のさまざまな利益を賭ける用意があるのである。<

    そういえば、カントには『形而上学の夢によって解釈された視霊者の夢』(1766年)という著作がありますね(;゚Д゚)

    講談社学術文庫、金森誠也訳があります。

    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211641


    時間があったら開いてみたいけど、、、コワい(゚Д゚; )

    恐るべし!! カント沼(;゚Д゚)




引用返信/返信 削除キー/
■19720 / inTopicNo.44)  底なし沼探査レポ(/・ω・)/ その三
□投稿者/ うましか -(2021/12/06(Mon) 21:52:28)
    2021/12/06(Mon) 22:03:39 編集(投稿者)

    パニチェさん、こんばんはー

    No.19704 (パニチェさん)

    >>私の場合は印象に過ぎないのですが、形而上学的な主体というのはあくまでも彼のその時の哲学的探求における要請として出てきた観念であって、当の哲学(『論考』)の一部が崩壊してしまった?以上、御本体を「獄舎」(『倫理学講話』全集5、p.394参照)の中に置き去りにし、何処かに霧散してしまったんじゃないかと。<<
    → うましか No.19701より

    >はい。霧散してしまったという解釈も十分あると思います。全集5、p.394参照を引用してもらえると有難いです。お手間ならスルーしてもらってもいっこうに構いません。<

    *******

    実は今日、パニチェさんが、ウィトゲンシュタイン全集の「1・6・8・9巻の4冊」をお持ちだという情報をいただいたことをおもいだして、あーこれは5巻(「ウィトゲンシュタインとウィーン学団」・『倫理学講話』を所収)をおすすめしたほうがよいのかなーとボンヤリ考えていました(;´・ω・)

    ほんとうは下の引用より前のp.393の最後あたりから読むといいのだけど、p.394の該当箇所だけを引用してみます。

    なお注意したいのは『論考』(1918年脱稿)が思考されたものの表現、つまり言語に限界設定することを目的に、主に有意義な命題について考察したのに対し、『倫講』(1929年)は倫理的ないしは宗教的言明(価値言明)について批判的に考察しているという点です。

    興味深いことに『倫講』の彼の主張はそれらの言明について、いわばその無意義さゆえの意義を認めるというものでした。しかも彼がそうした言語表現をすることによってしたいことは、「ただ、世界を越えてゆくこと=v「有意義な言語を超えてゆくこと」なのだと。

    にもかかわらず、『倫講』の結論部分でウィトゲンシュタインは次のように言います。

    >私の全傾向、そして私の信ずる所では、およそ倫理とか宗教について書きあるいは語ろうとしたすべての人の傾向は、言語の限界にさからって進むということでありました。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るということは、まったく、そして絶対に望みのないことであります。<
    →『倫理学講話』(全集5)、杖下隆英訳、p.394

    さて、『論考』の「形而上学的な主体」という言葉の出自は1916年の日記草稿にあるのではないかとおもいますが、この頃のウィトゲンシュタインの思索には、それ以前の記述とは異なり倫理的な主題が頻出します。後に「倫理の担い手」とされる意志は「完成したものとしての世界に、全く外側から近づく」のだと記されていますし、「永遠の相の下での」考察は、世界内の対象、「それらを外側から見る」ととも記されています。

    まとめになっているかどうかわかりませんが、お腹が減ったのでまとめます(;´・ω・)
    『論考』では、そのベースとなる思索の発展過程で、限界づけられた「世界」を、その外側から見ることを可能とする「主体」を要請したのだとおもいますが、『倫講』では、その「主体」の本体について、言語という「獄舎」(つまり「世界」)に囚われているという何とも悲しい罪人像を描いたという点で区別できるかな、と。

    囚人が牢獄の檻から外を飛翔する自分を想像し、そこからの眺望(もちろん想像)に満足していたのに、一片の綻びがもとでそれを眺める自分もろとも全て(もちろん想像)が霧散してしまい、後に残るのはそこから出られるよう祈る自分だけだった、、、みたいな( ノД`)シクシク…

    以上は久しぶりに拾い読みしてパッチワークした粗く不味い解釈ですので、詳しい方々からはトンチンカンと笑われる代物であろうとおもいますが。。。



    さあ、カント沼に戻らねば(;´・ω・)




引用返信/返信 削除キー/
■19704 / inTopicNo.45)  パニチェ的底なし沼探査レポ(/・ω・)/
□投稿者/ パニチェ -(2021/12/05(Sun) 21:53:23)
    2021/12/06(Mon) 07:34:32 編集(投稿者)

    こんばんは、うましかさん。

    No19702に返信(pipitさんの記事)
    > みなさまこんばんはー
    > どなた様もお気軽に書き込みくださいませー(o^^o)♪

    pipitさんありがとう!

    No19701に返信(うましかさんの記事)
    > 勝手に「底なし沼探査」の隊長さんにしてしまってすみませんですm(__)m
    > ちょっとうれしくて(・∀・)

    いえいえ、隊長と言ってもらえるのは光栄ですが、私は隊長の器ではないでしょうね。
    こちらこそレスありがとうございます。

    > >うましかさんは大修館書店『 ウィトゲンシュタイン全集1』持ってられるんですね。
    > はい、というか全集を持っております。
    > 大昔お小遣いためて買いました。

    凄い!全集全てですか!
    私は1・6・8・9巻の4冊だけです。

    > そうなんですね!(◎_◎;)
    > 私の場合そもそも理解できる素養などないので、マンガ感覚で拾い読みして楽しんでいました。
    > 永井均の『ウィトゲンシュタイン入門』はたしか持っています。これも懐かしいですねー。もう内容は思い出せませんが、お世話になった本のひとつです。

    うましかさんが素養がないとは思いませんが、逆にウィトゲンシュタインのことを完全に理解していると豪語する人は信用する気はしません(笑)

    > 永井はパニチェさんの語りえぬ〈私〉と同じことを指し示していると、パニチェさんは考えているということですね!
    > でも私は永井の方は知らないからなー(;´・ω・)

    なんか微妙に違和感があるところもポツポツとあるんですが、それはパニチェの知識不足のせいなのか、それとも永井均氏の〈私〉とパニチェの〈私〉との温度差なのかよく分からないところです。

    > でも引用してくださった『私はこう言おう。…』はとても興味深い言葉ですね!
    > ただ私にはそれをどう解釈してよいか分かりません(´;ω;`)ウゥゥ

    参考までにパニチェの解釈は。。。
    Panietzsche Room > 探究 > 独我論 > 7.在我と我空にまとめました。

    > >もの凄く乱暴に言うと。語りえないということは前期・後期にわたり共通するが、言語の写像理論によって形而上学的主体としたものを言語ゲームでもって形而下に引きずりおろそうとした試みでもある。
    > うーん。。。
    > 私の場合は印象に過ぎないのですが、形而上学的な主体というのはあくまでも彼のその時の哲学的探求における要請として出てきた観念であって、当の哲学(『論考』)の一部が崩壊してしまった?以上、御本体を「獄舎」(『倫理学講話』全集5、p.394参照)の中に置き去りにし、何処かに霧散してしまったんじゃないかと。

    はい。霧散してしまったという解釈も十分あると思います。全集5、p.394参照を引用してもらえると有難いです。お手間ならスルーしてもらってもいっこうに構いません。

    > では何処に?(;・∀・)
    > 私はパニチェさんの「〈私〉」が、それを知るヒントになるかもしれないと、現時点ではおもっています、、、的外れかもしれないけど。永井の「独在論」については、全く知りませんので、すみませんです。

    パニチェの「比類なき先言の<私>」はそんな大そうなものではないのですが。。。
    結論から言ってしまえば、“それ”は何らかの思考や論理によって帰結するような代物ではないし、今、ここに、在るものであって、それに気づくか気づかないかだけのものなんですね。
    それが何であるかは(厳密にはそれが何でないかを論じることにより指し示すことは)思考や論理の対象になるのかもしれませんし、ひょっとしたら思考や論理の対象にすらならないのかもしれません。

    最も身近で何よりも知ってるはずのものであるにもかかわらず、150憶光年先の宇宙空間よりも不可解なまさしく底なし沼でつ(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■19702 / inTopicNo.46)  日記☆彡
□投稿者/ pipit -(2021/12/05(Sun) 20:26:08)
    みなさまこんばんはー

    どなた様もお気軽に書き込みくださいませー(o^^o)♪
    (ちなみに今日、柚子湯にしたから、宿題さんのこと思いましたよ!)

    No19682 の うましかさんの勉強ノートに便乗しまして(スミマセン!)
    気になって調べたこととか書きます☆彡

    まず、『述語』
    Wikipediaは知識のないpipitにはありがたやー
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/述語
    より抜粋引用します。(文字化けは別字や※に置き換えてます)

    『そもそも述語とは、形式論理学における命題<AはBである>のB(Aについて語る事柄)に当たるものを、アリストテレースがギリシア語で古希: κατηγορο※※※νον (kategorumenon)と表現したことにさかのぼるという。これが、その後ラテン語でpraedictumと表現され、論理学及び文法の用語として次第に定着、今日のヨーロッパ諸言語でも継承され(例えば英語predicate)、また他の言語でも用いられる様になり、日本でも述語と訳してきたものである(形式論理学では賓辞とも、文法では述部とも訳す)。特定の言語を超えてただ<AはBである>という形の命題だけを扱う形式論理学では、述語を上のように約束すればよいにしても、各言語の様々の文型を対象とする文法においては、果たして文法上の述語とは何かを改めて問う必要がある。だが、その文法上の述語とされてきたものは、実は論理学をいさかれて純粋に今日の言語学(文法理論)の観点から吟味し直してみても、確かに妥当な(そう認められるだけの根拠を持つ)ものの様である。ヨーロッパ諸言語が、文法上、際立った文成分を主語と呼んで他の文成分と別格に扱い、一般に、残りを述語と呼んで文を二分してきたのは、確かに自然なことであると頷ける。』

    ふむふむー
    主語Aの属性の説明とかも、述語になるのかなー???

    それから、

    > ※2 「私たちは、私たち以外の思考する存在者〔Wesen〕の直観については、」… 私たち以外の存在者って何だろう?(;゚Д゚)?!<

    ちょっと変わったおもしろいとこ?いくと、『宇宙人』、、人?、、とか?!

    B854あたり。中山先生本第七巻(独自番号966)
    (カントの文章)
    『もし何らかの経験に基づいて、わたしたちが見ることのできる惑星のうちの少なくとも一つに、住人がいるかどうか確認する手段があるとすれば、わたしはそのことに[すなわち惑星に住人がいることに]自分の持っているすべてのものを賭けたいと考えている。だから別の世界にも住人がいるというわたしの考えは、たんなる臆見ではなく、強固な信念であると言いたい。そしてこの信念の正しさのためには、わたしは自分の生涯のさまざまな利益を賭ける用意があるのである。』
    引用終了

    なんかカントっぽくなくて?かわいい??



引用返信/返信 削除キー/
■19701 / inTopicNo.47)  底なし沼探査レポ(/・ω・)/ 隊長降臨!!
□投稿者/ うましか -(2021/12/05(Sun) 20:24:44)
    パニチェさん、こんばんはー

    勝手に「底なし沼探査」の隊長さんにしてしまってすみませんですm(__)m

    ちょっとうれしくて(・∀・)

    >うましかさんは大修館書店『 ウィトゲンシュタイン全集1』持ってられるんですね。

    はい、というか全集を持っております。
    大昔お小遣いためて買いました。

    >ウィトゲンシュタインが難解なのは前期と後期があること、これを繋ぐ青色本・茶色本、で哲学探究以降、最期の1年半に綴られた草稿(確実性の問題)と断片もあるからでしょうね。これに加えて1993年に発見された哲学宗教日記まであります。

    そうなんですね!(◎_◎;)
    私の場合そもそも理解できる素養などないので、マンガ感覚で拾い読みして楽しんでいました。

    永井均の『ウィトゲンシュタイン入門』はたしか持っています。これも懐かしいですねー。もう内容は思い出せませんが、お世話になった本のひとつです。

    >以下の草稿も含め、パニチェは永井均氏と同じく前期後期を通じて語りえぬ〈私〉を指し示していると読解しています。

    なるほどー

    永井はパニチェさんの語りえぬ〈私〉と同じことを指し示していると、パニチェさんは考えているということですね!
    でも私は永井の方は知らないからなー(;´・ω・)

    でも引用してくださった『私はこう言おう。…』はとても興味深い言葉ですね!
    ただ私にはそれをどう解釈してよいか分かりません(´;ω;`)ウゥゥ

    >もの凄く乱暴に言うと。語りえないということは前期・後期にわたり共通するが、言語の写像理論によって形而上学的主体としたものを言語ゲームでもって形而下に引きずりおろそうとした試みでもある。

    うーん。。。

    私の場合は印象に過ぎないのですが、形而上学的な主体というのはあくまでも彼のその時の哲学的探求における要請として出てきた観念であって、当の哲学(『論考』)の一部が崩壊してしまった?以上、御本体を「獄舎」(『倫理学講話』全集5、p.394参照)の中に置き去りにし、何処かに霧散してしまったんじゃないかと。

    では何処に?(;・∀・)

    私はパニチェさんの「〈私〉」が、それを知るヒントになるかもしれないと、現時点ではおもっています、、、的外れかもしれないけど。永井の「独在論」については、全く知りませんので、すみませんです。






引用返信/返信 削除キー/
■19700 / inTopicNo.48)  Re[31]: ウィトゲンシュタイン全集
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/05(Sun) 19:49:01)
    お邪魔するね。

    pipitさまにじゃなくて、ごめんね。
    うましかさんに、ね。

    うましかさんはわたしが聞いたことには答えない、っていうことわかってるから、
    おもしろいからまた聞いちゃうね。

    パニさんが、
    >うましかさんは大修館書店『 ウィトゲンシュタイン全集1』持ってられるんですね
    って言ってるけど、
    うましかさんは『それ』持ってるの?
引用返信/返信 削除キー/

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