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パニチェ的底なし沼探査レポ(/・ω・)/
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□投稿者/ パニチェ -(2021/12/05(Sun) 21:53:23)
| 2021/12/06(Mon) 07:34:32 編集(投稿者)
こんばんは、うましかさん。
■No19702に返信(pipitさんの記事) > みなさまこんばんはー > どなた様もお気軽に書き込みくださいませー(o^^o)♪
pipitさんありがとう!
■No19701に返信(うましかさんの記事) > 勝手に「底なし沼探査」の隊長さんにしてしまってすみませんですm(__)m > ちょっとうれしくて(・∀・)
いえいえ、隊長と言ってもらえるのは光栄ですが、私は隊長の器ではないでしょうね。 こちらこそレスありがとうございます。
> >うましかさんは大修館書店『 ウィトゲンシュタイン全集1』持ってられるんですね。 > はい、というか全集を持っております。 > 大昔お小遣いためて買いました。
凄い!全集全てですか! 私は1・6・8・9巻の4冊だけです。
> そうなんですね!(◎_◎;) > 私の場合そもそも理解できる素養などないので、マンガ感覚で拾い読みして楽しんでいました。 > 永井均の『ウィトゲンシュタイン入門』はたしか持っています。これも懐かしいですねー。もう内容は思い出せませんが、お世話になった本のひとつです。
うましかさんが素養がないとは思いませんが、逆にウィトゲンシュタインのことを完全に理解していると豪語する人は信用する気はしません(笑)
> 永井はパニチェさんの語りえぬ〈私〉と同じことを指し示していると、パニチェさんは考えているということですね! > でも私は永井の方は知らないからなー(;´・ω・)
なんか微妙に違和感があるところもポツポツとあるんですが、それはパニチェの知識不足のせいなのか、それとも永井均氏の〈私〉とパニチェの〈私〉との温度差なのかよく分からないところです。
> でも引用してくださった『私はこう言おう。…』はとても興味深い言葉ですね! > ただ私にはそれをどう解釈してよいか分かりません(´;ω;`)ウゥゥ
参考までにパニチェの解釈は。。。 Panietzsche Room > 探究 > 独我論 > 7.在我と我空にまとめました。
> >もの凄く乱暴に言うと。語りえないということは前期・後期にわたり共通するが、言語の写像理論によって形而上学的主体としたものを言語ゲームでもって形而下に引きずりおろそうとした試みでもある。 > うーん。。。 > 私の場合は印象に過ぎないのですが、形而上学的な主体というのはあくまでも彼のその時の哲学的探求における要請として出てきた観念であって、当の哲学(『論考』)の一部が崩壊してしまった?以上、御本体を「獄舎」(『倫理学講話』全集5、p.394参照)の中に置き去りにし、何処かに霧散してしまったんじゃないかと。
はい。霧散してしまったという解釈も十分あると思います。全集5、p.394参照を引用してもらえると有難いです。お手間ならスルーしてもらってもいっこうに構いません。
> では何処に?(;・∀・) > 私はパニチェさんの「〈私〉」が、それを知るヒントになるかもしれないと、現時点ではおもっています、、、的外れかもしれないけど。永井の「独在論」については、全く知りませんので、すみませんです。
パニチェの「比類なき先言の<私>」はそんな大そうなものではないのですが。。。 結論から言ってしまえば、“それ”は何らかの思考や論理によって帰結するような代物ではないし、今、ここに、在るものであって、それに気づくか気づかないかだけのものなんですね。 それが何であるかは(厳密にはそれが何でないかを論じることにより指し示すことは)思考や論理の対象になるのかもしれませんし、ひょっとしたら思考や論理の対象にすらならないのかもしれません。
最も身近で何よりも知ってるはずのものであるにもかかわらず、150憶光年先の宇宙空間よりも不可解なまさしく底なし沼でつ(笑)
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