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■15841 / inTopicNo.85)  Re[15]: Z 第一部 説話[8]
  
□投稿者/ みのり -(2021/08/27(Fri) 11:58:31)
    [8] 山の木について

    まだら牛と呼ばれる町の付近で出会った一人の若者とツァラトゥストラの会話として書かれている内容になります。

    この青年は、急激な自己超克の過程にいるため、それに戸惑ったり、周りの人たちと嚙み合わなくなったような孤独感を感じているようです。

    ・・・・・
    26 精神の自由を得た者もなお自分を清めなくてはならない。彼のうちには、まだ多分に、牢獄やかびくさい湿気が残っている。今後なお彼の目は清らかにならなくてはならないのだ。
    ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫p79より引用

    ツァラトゥストラのように自由な身、自己超克を成したいと考える若者をツァラトゥストラは励まします。

    36からの一文。
    ・・・・・
    きみの魂のなかの英雄を投げ捨てるな!
    きみの最高の希望を神聖なものとして尊重せよ!
    ・・・・・
    同書 p81より引用


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■15775 / inTopicNo.86)   Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ みのり -(2021/08/23(Mon) 11:20:15)
    2021/08/23(Mon) 11:32:14 編集(投稿者)

    [7] 読むことと書くことについて


    16〜26は、「精神の三変化」(駱駝、獅子、幼子)について、言い換えて表現しているところなのだそうです。
    (訳注p350 を参考にしました。)

    なかでも気に入った一節を引用してみます。

    ・・・・・
    20 そして、生に愛情をいだいているわたしにも、チョウたちや、シャボン玉や、人間たちのなかでそれらと同じたぐいの者が、最も多く幸福というものを知っているように思われる。

    21 これらの軽やかで、愚かで、可憐で、活発な、小さい魂の持ち主たちが、ひらひらと飛んでいるのを見ると ─ ツァラトゥストラは心をそそられて、涙を流し、もろもろの歌を歌う。
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p75より引用


    20にあるように、ツァラトゥストラ(=ニーチェ)は生きることを愛している。

    蝶、シャボン玉というのは、幼子の精神の比喩なのだと思います。


    23,24に「重力の精」というのが出てきます。
    重力の精とは、自分(それぞれの人)の背中に飛び乗って、その人が自己超克に向かうのを妨げようとする、自分の中に現れる精(妖精などの意味と思います。)のことのようです。
    (訳注p350 を参考にしました。)





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■15736 / inTopicNo.87)  Re[13]: Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/21(Sat) 16:07:34)
    こんにちは、田秋さん。レスありがとうございます。

    No15725に返信(田秋さんの記事)

    > >自らのものとなった血肉がないと、血で書けないと思います。
    > まさに音楽もそうで、同じバッハを弾いても人によって様々な演奏になるのは演奏家の血肉がそれぞれ違うからだと思います。

    なるほど、田秋さんが言うと説得力がありますね。

    > 《血肉》は《魂》や《心》と似ていると思うのですが、お弟子さんが、たとえ技術的には拙くても、心がこもった演奏をした時は褒めることにしています。ボクはバッハを聴くのと同じくらいにお弟子さんを聴きたいのです。

    > ニーチェが「わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け」と言ったのは、心底、自分の叫びを書けと言っているのだとも思います。この辺り、音楽と全く同じなのではないでしょうか。

    同意です。
    音楽も美術も他の芸術も、《魂》や《心》からほとばしる表現は、ニーチェが言うところの血でもって書かれた文字に匹敵する心打たれるものです。
引用返信/返信 削除キー/
■15728 / inTopicNo.88)  Re[13]: Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ みのり -(2021/08/21(Sat) 12:22:11)
    No15725に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/08/21(Sat) 09:48:20 編集(投稿者)

    田秋さん、こんにちは。 レスありがとうございます。

    > >自らのものとなった血肉がないと、血で書けないと思います。

    > まさに音楽もそうで、同じバッハを弾いても人によって様々な演奏になるのは演奏家の血肉がそれぞれ違うからだと思います。

    > 《血肉》は《魂》や《心》と似ていると思うのですが、お弟子さんが、たとえ技術的には拙くても、心がこもった演奏をした時は褒めることにしています。ボクはバッハを聴くのと同じくらいにお弟子さんを聴きたいのです。

    「血肉」を言い換えるなら、「魂」「心」になるだろうと私も思います。

    それぞれのお弟子さんの持ち味、演奏の良いところを褒めて伸ばす先生。
    お弟子さんたちものびのびと練習できそうです。


    > ニーチェが「わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け」と言ったのは、心底、自分の叫びを書けと言っているのだとも思います。この辺り、音楽と全く同じなのではないでしょうか。

    そうですね。 私の印象としても、ニーチェは隠し立てや上辺ではない生きた肉声、叫び、そうしたものしか人の心を打ちはしない、と考えていたと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■15725 / inTopicNo.89)  Re[12]: Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ 田秋 -(2021/08/21(Sat) 09:46:55)
    2021/08/21(Sat) 09:48:20 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん、パニチェさん

    >自らのものとなった血肉がないと、血で書けないと思います。
    まさに音楽もそうで、同じバッハを弾いても人によって様々な演奏になるのは演奏家の血肉がそれぞれ違うからだと思います。

    《血肉》は《魂》や《心》と似ていると思うのですが、お弟子さんが、たとえ技術的には拙くても、心がこもった演奏をした時は褒めることにしています。ボクはバッハを聴くのと同じくらいにお弟子さんを聴きたいのです。

    ニーチェが「わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け」と言ったのは、心底、自分の叫びを書けと言っているのだとも思います。この辺り、音楽と全く同じなのではないでしょうか。


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■15723 / inTopicNo.90)  Re[11]: Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ みのり -(2021/08/21(Sat) 07:24:15)
    No15720に返信(パニチェさんの記事)

    > 激同!
    >
    > 自らの血肉としたもは血でもって書けるんでしょうね。

    たしかに。^^ 自らのものとなった血肉がないと、血で書けないと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■15720 / inTopicNo.91)  Re[10]: Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/20(Fri) 19:49:21)
    No15710に返信(みのりさんの記事)
    > [7] 読むことと書くことについて
    >
    > ・・・・・
    > 1 すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。
    > ・・・・・
    > 『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p72より引用
    >
    > この文章そのものが、血をもって書かれているみたいです。
    >
    > 血が精神であること、というのは、身体こそが自己であるという一貫したニーチェの考えから出ていると思います。
    >
    > ・・・・・
    > 5 かつて精神は神であった。次いで精神は人間になった。そして今は、それどころか、精神は賤民にさえなる。
    > ・・・・・
    > 同書 p73より引用
    >
    > 形而上学的な考え方が支配だった時代には、精神の働きは超人間的な物と考えられていたが、近代になり、精神の働きは人間そのものの働きにほかならず、精神を人間に吹き込む神は存在しないと考えられるようになった。(《神の死》)
    > そして近代が深まるにつれ、卑俗な大衆の意見が支配権を握ろうとしている、そうしたことについてここで語られています。
    > (訳注p347〜p348 を参考にしました。)
    >
    >
    > 血でもって書け。名言だな〜。


    激同!

    自らの血肉としたもは血でもって書けるんでしょうね。
引用返信/返信 削除キー/
■15711 / inTopicNo.92)  移籍
□投稿者/ みのり -(2021/08/20(Fri) 11:33:13)
    日ハムの中田翔さんが巨人に移籍するらしい。
    確定の情報ではないようだけど、もし本当なら、心機一転でやっていくのを期待したい。
引用返信/返信 削除キー/
■15710 / inTopicNo.93)   Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ みのり -(2021/08/20(Fri) 11:26:37)
    [7] 読むことと書くことについて

    ・・・・・
    1 すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p72より引用

    この文章そのものが、血をもって書かれているみたいです。

    血が精神であること、というのは、身体こそが自己であるという一貫したニーチェの考えから出ていると思います。

    ・・・・・
    5 かつて精神は神であった。次いで精神は人間になった。そして今は、それどころか、精神は賤民にさえなる。
    ・・・・・
    同書 p73より引用

    形而上学的な考え方が支配だった時代には、精神の働きは超人間的な物と考えられていたが、近代になり、精神の働きは人間そのものの働きにほかならず、精神を人間に吹き込む神は存在しないと考えられるようになった。(《神の死》)
    そして近代が深まるにつれ、卑俗な大衆の意見が支配権を握ろうとしている、そうしたことについてここで語られています。
    (訳注p347〜p348 を参考にしました。)


    血でもって書け。名言だな〜。


     この章の続きは次回に。

     
引用返信/返信 削除キー/
■15658 / inTopicNo.94)  Z 第一部 説話[6]
□投稿者/ みのり -(2021/08/17(Tue) 12:00:30)
    [6] 青白き犯罪者について

    本文と訳注を読んで、この章の論旨と思われるところをまとめます。
    この章は、「大いなる軽蔑」によって自己否定が極まり、自己超克に向かうというこれまでにも出ているツァラトゥストラの言説を、犯罪者(ここでは普通の意味での犯罪者)のその狂気(苦悩のことかなと思います。)が没落(自己超克を目指すこと)への機縁になるなら評価すべしと語っているようです。

    一方、「善人」が自らを善人と思い、そこに甘んじていることには「吐き気を催す」と語られていると思います。

    (今回は本文からの引用なしで投稿します。)


    あくまで私の感想なのですが。
    悪人正機説をなぜか思い出してしまいました。

    背後世界を前提とする親鸞の教えと、背後世界否定のニーチェの「犯罪者が自己超克に向かう時」についての考えに似ている部分があるようにも思え、興味深いです。

    ニーチェの場合、あくまで大地しかない(現実世界しかない)のだから、この生を何者にも依存することなく自ら創造せよ、ということなのでそこでの相違は大きいですね。
引用返信/返信 削除キー/
■15479 / inTopicNo.95)  電車
□投稿者/ みのり -(2021/08/08(Sun) 07:00:15)
    航空機に乗車する前には、手荷物検査がある。
    電車にも導入するしかないのかな。
    料理をするための包丁を買って電車に乗る、なんていう場合はいくらでもあると思うので、導入は難しい部分もあるとは思うけど、安心には変えられないのではないか。



引用返信/返信 削除キー/
■15478 / inTopicNo.96)  Re[6]: Z 第一部 説話[5]
□投稿者/ みのり -(2021/08/08(Sun) 06:46:49)
    悪魔ちゃん、こんにちは。

    No15465に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > みのりちゃん、お邪魔するね。
    > ■15398 、「徳」っていうのわたしにとっては見なれない語。
    > なにそれ?ってネットで調べてみたんだけど、よくわかんなかった。
    > ま、これはいいわ。

    徳(とく、希: ἀρετή アレテー, 羅: virtūs, 英: virtue)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。
    ・・・・・・ 
    というように、徳についてWikipediaでは書いてありました。

    例をあげるなら、誠実、勇気、寛容、優しさ、などなどがあげられると思います。


    > ニーチェの場合を見て見るね。
    > >18 わたしの兄弟よ…<
    > ってあるみたいだけど、ここんとこよくわかんないんのね。
    >
    > あ、これ、無視していいよ。

    「わたしの兄弟よ」と、聴衆に呼びかけているんだと思うよ。
引用返信/返信 削除キー/

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