□投稿者/ みのり -(2021/08/20(Fri) 11:26:37)
| [7] 読むことと書くことについて
・・・・・ 1 すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。 ・・・・・ 『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p72より引用
この文章そのものが、血をもって書かれているみたいです。
血が精神であること、というのは、身体こそが自己であるという一貫したニーチェの考えから出ていると思います。
・・・・・ 5 かつて精神は神であった。次いで精神は人間になった。そして今は、それどころか、精神は賤民にさえなる。 ・・・・・ 同書 p73より引用
形而上学的な考え方が支配だった時代には、精神の働きは超人間的な物と考えられていたが、近代になり、精神の働きは人間そのものの働きにほかならず、精神を人間に吹き込む神は存在しないと考えられるようになった。(《神の死》) そして近代が深まるにつれ、卑俗な大衆の意見が支配権を握ろうとしている、そうしたことについてここで語られています。 (訳注p347〜p348 を参考にしました。)
血でもって書け。名言だな〜。
この章の続きは次回に。
|
|