| 以下、ツァラトゥストラの「友人について」にちなんでニーチェの友人に関するアフォリズムを引用しますが他意はありません。
『二人の友人。──友人同士がいた。しかし彼らは友人でなくなり、どちらの側からも同時にその親交を解いた。一方は、自分が誤解されすぎたと思ったからであり、他方は、自分が知られ過ぎたと思ったからである。──しかし両方ともその際間違っていた!──彼らのうちのどちらも、自分自身を十分には知っていなかったからである。(ニーチェ著「曙光 第287番」より)』
『もはや望ましくない友人。──その希望をかなえてやれない友人は、むしろ敵であることを人は望む。(同書 第313番より)』
自分への理解を他者に望めば望むほど失望する。 自分自身が自分を理解している人などほとんどいないし、日によって気分によって同じことに対して異なる感情や心情をもつのは常である。 脳は可塑性に支配され同じ状態を再現することは不可能である。
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