| 2021/09/14(Tue) 11:41:17 編集(投稿者)
・・・・・・ > ちなみに白水社版の訳注では「毒もつハエども」は世論をリードするジャーナリストや評論家となっていました。
そうでしたか。 本によって違うものなのですね。 ・・・・・・ パニチェさんが私に説明してくださった投稿からの引用。
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いや、違うようだな、と気づいた。
ただのハエではなく、「毒もつハエども」ね。 この、毒をもっているハエたちっていうのは、ただのハエとはまた違うんだと思う。 それを「世論をリードするジャーナリストや評論家」としているのだと思う。
・・・・・ 3 孤独が終わるところ、そこに市場が始まる。そして、市場が始まるところ、そこに[いわゆる]偉大な俳優たちの騒ぎや、毒バエたちの唸り声もまた始まる。 ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 p93より引用
やはり、そうだった。
「ただのハエども」は、民衆のこと。 「毒もつハエども」は、世論をリードするジャーナリストや評論家のこと。
本や研究者による解釈の違いではなく、それぞれ違うものだってこと。
しかし、ところが。 38では、「君の隣人たちはつねに毒バエであるだろう。」とも書いてあるんだよね。
(ここまではまだ読んでなかったんだけど。)
ということは、「ハエ」=「毒ハエ」であるとも言える、と。 一般人(大衆)が、ただのハエのようにぶんぶんしてるのみならず、隣人にとっての毒ハエとなりうるというのも語っているようです。
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