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■15213 / inTopicNo.1)  白猫様には敵わない 3
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/25(Sun) 08:48:27)
    トピ主:みのりさん

    No12834のみのりさんの記事より

    五感を通して、感じ、考えたことを等身大の文章で綴っていく内容にしたいです。

    具体的には、日常で見聞したものから感じ考えたこと、本を読んでの感想(哲学に関する本も)、映画などの感想、世の中で起きていることについて感じ思うこと、などです。

    引き続きよろしくお願いします。
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■15218 / inTopicNo.2)  Re[1]: 白猫様には敵わない 3
□投稿者/ みのり -(2021/07/25(Sun) 09:59:12)
    パニチェさん、ありがとうございます。


    ほんと、12月には70℃くらいにならないのを願うばかりです。(^▽^;)

    (ロムの方は、「ニークラについて」トピを参照ください。)
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■15379 / inTopicNo.3)  Z 第一部 説話[4]
□投稿者/ みのり -(2021/08/02(Mon) 09:41:38)
    [4]身体を軽蔑する者たちについて

    続きです。
    17〜23までを見ていきます。 23でこの章は終わりです。

    ここでは、身体を軽蔑する者たちも没落することを意欲する、そしてだからこそ、彼らにおいては身体を軽蔑する者たちとなったのであり、それはツァラトゥストラが自己超克して超人となるために没落するのとは意味が違う、ということについて語られていると思います。

    ・・・・・
    22 わたしはきみたちの道を行かない、きみら身体を軽蔑する者たちよ!
    きみたちは私にとって超人への橋ではないのだ! ─

    23 このようにツァラトゥストラは語った。
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 p64より引用

    人間の本来的意志は、自分を超えて創造することへの意志である。
    しかし、人間がこれを十全に実現することは難しいが、その本来的意志を積極的に実現しようとすることは可能である。
    身体を軽蔑する者たちは、この好機をとらえそこなった人々であり、そのため、本来的意志への絶望のゆえに没落することを欲する。
    それは、生に背き死に向かう意志であり、ツァラトゥストラの自分を超えて創造しようとする自己超克の道とは種類を異にする。

    (同書p338〜p339 訳注を参考にしました。)


    次回から、[5]歓楽と情熱とについて に入ります。

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■15398 / inTopicNo.4)  Z 第一部 説話[5]
□投稿者/ みのり -(2021/08/03(Tue) 10:38:13)
    [5]歓楽と情熱とについて

    このタイトルでどういうことが語られるのだろう、と読み始めてみたら、「徳」についてでした。
    というわけで見ていきます。

    ・・・・・
    1 わたしの兄弟よ、きみが一つの徳を持ち、そしてそれがきみの徳であるならば、きみはその徳を誰とも共有していない。
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p65より引用

    徳はあくまで自分の実存に基づく固有のものであることが語られています。
    (同書p340 訳注を参考にしました。)

    2〜8では、社会生活で認められるためであったり、神からの掟を従順に守るためであったり、この世界で幸福になるためであったり、といった物事のために徳は持たれるのではないということが語られていると思います。

    ・・・・・
    9 だが、この鳥はわたしのもとに自分の巣を作った。それゆえ、わたしはそれを愛し、胸に抱き締めるのだ、─ いまやそれは、わたしのもとにいて、そのかずかずの金の卵を抱いている。」
    ・・・・・
    同書p65より引用

    個人に特有の徳は、賢さによって考案されたものではなく、理性によって要求されたものでもなく、純粋に偶然的に発生するものであることが語られていると思います。

    金の卵という比喩は、徳のはらむ可能性、とりわけ自己超克の可能性を暗示するものだそうです。
    (同書p341 訳注を参考にしました。)




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■15438 / inTopicNo.5)   Z 第一部 説話[5]
□投稿者/ みのり -(2021/08/05(Thu) 11:25:07)
    [5]歓楽と情熱とについて

    ・・・・・
    17 そして今後は、もうなんの悪さもきみから生じない、きみの諸徳の戦いから生じる悪を除いては。

    18 わたしの兄弟よ、きみが幸運であれば、きみは一つの徳を持ち、それより多くを持たない。そうであれば、きみは軽々と橋を渡って行くのだ。
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p66より引用

    17の「きみの諸徳の戦い」というのがもう一つわからないのですが、この前の部分からの判断も加えると・・・。
    欲望(情熱)と、欲望を一面的に悪と考え抑制しようとする側の徳が一人の人間の内にある際の葛藤。
    それが「きみの諸徳の戦い」なのかな、と考えています。

    18の内容はそれを受け、幸運であるなら葛藤することなく、軽々と自己超克して超人になろうと意欲するだろう、と語っているのかな、と考えました。

    25では、そう軽々とはいかない場合について語っているのだと思います。
    自分の中で相反する徳に対しての葛藤が激しくて戦闘のように自分を攻撃し破滅するかのようにしてやっと超克に向かうようになる。
    なので、相反する諸徳について葛藤することは愛されるべきなのだ。
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■15465 / inTopicNo.6)  Re[5]: Z 第一部 説話[5]
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/08/07(Sat) 19:05:48)
    みのりちゃん、お邪魔するね。
    ■15398 、「徳」っていうのわたしにとっては見なれない語。
    なにそれ?ってネットで調べてみたんだけど、よくわかんなかった。
    ま、これはいいわ。

    ニーチェの場合を見て見るね。
    >18 わたしの兄弟よ…<
    ってあるみたいだけど、ここんとこよくわかんないんのね。

    あ、これ、無視していいよ。



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■15478 / inTopicNo.7)  Re[6]: Z 第一部 説話[5]
□投稿者/ みのり -(2021/08/08(Sun) 06:46:49)
    悪魔ちゃん、こんにちは。

    No15465に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > みのりちゃん、お邪魔するね。
    > ■15398 、「徳」っていうのわたしにとっては見なれない語。
    > なにそれ?ってネットで調べてみたんだけど、よくわかんなかった。
    > ま、これはいいわ。

    徳(とく、希: ἀρετή アレテー, 羅: virtūs, 英: virtue)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。
    ・・・・・・ 
    というように、徳についてWikipediaでは書いてありました。

    例をあげるなら、誠実、勇気、寛容、優しさ、などなどがあげられると思います。


    > ニーチェの場合を見て見るね。
    > >18 わたしの兄弟よ…<
    > ってあるみたいだけど、ここんとこよくわかんないんのね。
    >
    > あ、これ、無視していいよ。

    「わたしの兄弟よ」と、聴衆に呼びかけているんだと思うよ。
引用返信/返信 削除キー/
■15479 / inTopicNo.8)  電車
□投稿者/ みのり -(2021/08/08(Sun) 07:00:15)
    航空機に乗車する前には、手荷物検査がある。
    電車にも導入するしかないのかな。
    料理をするための包丁を買って電車に乗る、なんていう場合はいくらでもあると思うので、導入は難しい部分もあるとは思うけど、安心には変えられないのではないか。



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■15658 / inTopicNo.9)  Z 第一部 説話[6]
□投稿者/ みのり -(2021/08/17(Tue) 12:00:30)
    [6] 青白き犯罪者について

    本文と訳注を読んで、この章の論旨と思われるところをまとめます。
    この章は、「大いなる軽蔑」によって自己否定が極まり、自己超克に向かうというこれまでにも出ているツァラトゥストラの言説を、犯罪者(ここでは普通の意味での犯罪者)のその狂気(苦悩のことかなと思います。)が没落(自己超克を目指すこと)への機縁になるなら評価すべしと語っているようです。

    一方、「善人」が自らを善人と思い、そこに甘んじていることには「吐き気を催す」と語られていると思います。

    (今回は本文からの引用なしで投稿します。)


    あくまで私の感想なのですが。
    悪人正機説をなぜか思い出してしまいました。

    背後世界を前提とする親鸞の教えと、背後世界否定のニーチェの「犯罪者が自己超克に向かう時」についての考えに似ている部分があるようにも思え、興味深いです。

    ニーチェの場合、あくまで大地しかない(現実世界しかない)のだから、この生を何者にも依存することなく自ら創造せよ、ということなのでそこでの相違は大きいですね。
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■15710 / inTopicNo.10)   Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ みのり -(2021/08/20(Fri) 11:26:37)
    [7] 読むことと書くことについて

    ・・・・・
    1 すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p72より引用

    この文章そのものが、血をもって書かれているみたいです。

    血が精神であること、というのは、身体こそが自己であるという一貫したニーチェの考えから出ていると思います。

    ・・・・・
    5 かつて精神は神であった。次いで精神は人間になった。そして今は、それどころか、精神は賤民にさえなる。
    ・・・・・
    同書 p73より引用

    形而上学的な考え方が支配だった時代には、精神の働きは超人間的な物と考えられていたが、近代になり、精神の働きは人間そのものの働きにほかならず、精神を人間に吹き込む神は存在しないと考えられるようになった。(《神の死》)
    そして近代が深まるにつれ、卑俗な大衆の意見が支配権を握ろうとしている、そうしたことについてここで語られています。
    (訳注p347〜p348 を参考にしました。)


    血でもって書け。名言だな〜。


     この章の続きは次回に。

     
引用返信/返信 削除キー/
■15711 / inTopicNo.11)  移籍
□投稿者/ みのり -(2021/08/20(Fri) 11:33:13)
    日ハムの中田翔さんが巨人に移籍するらしい。
    確定の情報ではないようだけど、もし本当なら、心機一転でやっていくのを期待したい。
引用返信/返信 削除キー/
■15720 / inTopicNo.12)  Re[10]: Z 第一部 説話[7]
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/20(Fri) 19:49:21)
    No15710に返信(みのりさんの記事)
    > [7] 読むことと書くことについて
    >
    > ・・・・・
    > 1 すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。
    > ・・・・・
    > 『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p72より引用
    >
    > この文章そのものが、血をもって書かれているみたいです。
    >
    > 血が精神であること、というのは、身体こそが自己であるという一貫したニーチェの考えから出ていると思います。
    >
    > ・・・・・
    > 5 かつて精神は神であった。次いで精神は人間になった。そして今は、それどころか、精神は賤民にさえなる。
    > ・・・・・
    > 同書 p73より引用
    >
    > 形而上学的な考え方が支配だった時代には、精神の働きは超人間的な物と考えられていたが、近代になり、精神の働きは人間そのものの働きにほかならず、精神を人間に吹き込む神は存在しないと考えられるようになった。(《神の死》)
    > そして近代が深まるにつれ、卑俗な大衆の意見が支配権を握ろうとしている、そうしたことについてここで語られています。
    > (訳注p347〜p348 を参考にしました。)
    >
    >
    > 血でもって書け。名言だな〜。


    激同!

    自らの血肉としたもは血でもって書けるんでしょうね。
引用返信/返信 削除キー/

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