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Re[55]: ハエについての解釈
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□投稿者/ みのり -(2021/09/14(Tue) 21:11:42)
| ■No16306に返信(パニチェさんの記事) > 2021/09/14(Tue) 20:28:52 編集(投稿者)
パニチェさん、投稿ありがとうございます。 お手数おかけしました。 > > ■No16300に返信(みのりさんの記事) > >>「ハエ」と「毒バエ」で分けたほうがわかりやすいのかな、って思い始めて、私の単独投稿にそのあたり書いてみました。 >>「ハエ」ってどちらにも取れるし、その都度でどちらをも表してるようにも感じられるんですよ〜。 >>もしかしたらですが、私の書いたものにパニチェさんからの修正が入るかもですから、その際はそちらを参考になさってくださいね。 > > ■No16280に返信(みのりさんの記事) > >>いや、違うようだな、と気づいた。 >>ただのハエではなく、「毒もつハエども」ね。 >>この、毒をもっているハエたちっていうのは、ただのハエとはまた違うんだと思う。 >>それを「世論をリードするジャーナリストや評論家」としているのだと思う。 > > ほぼ同意です。 > 毒をもつハエを市場にいるハエの一種として毒をもって高貴な人を刺すハエと考える解釈と、市場にいるハエの全てが毒をもつハエと解釈する二通りがあると思います。 > 私は後者を考えています。
毒をもつハエを市場にいるハエの一種として毒をもって高貴な人を刺すハエと考える解釈、というのもあるんですね。 いろいろあるものですね。 でもこちらだとなんだかピンとこない気はします。
「市場にいるハエの全てが毒をもつハエと解釈する」、こちらのほうがすんなり納得できます。
そして、 「ハエ」と「毒バエ」は別のものではなく、同じだということになるのですね。 ここ、それぞれに別と分けたほうがいいのかな、とも思ったのですが、それについては拘るところではないようですね。 それよりも、文章ごとに「発信者」側のハエについて書かれているのか、「受信者」側のハエとして書かれているのかを見ていけばいいのかな、と考えました。
[いわゆる]偉大な人々、俳優、道化師などの喩えもありますし、それらはすべて「発信者」ですね。
> 市場のハエとは「孤独が終わるところ、そこに市場がはじまる(ツァラトゥストラ 市場のハエどもについて3)」、その市場に集まるハエのことで、自分のアイデンティティーやスタンス、信念や行動規範などを持たず、例えばクソマスゴミ(全てのマスメディアがゴミとは思いませんが)にたかるハエ、社会ゴミにようなマスコミが垂れ流すニュースや論調、無責任で人気取りしか考えていないようなアホコメンテーターなどの論評、プロパガンタやカルト宗教のドクマ等々にすぐ洗脳されるような人間、熱しやすく冷めやすく、世相に右往左往する畜群のような大衆が市場のハエだと解釈します。
はい。
> 特に現代では一般人も情報発信源になりえるわけで、例えばSNSなどで自分を安全圏に置きながら特定の人間を評論家気取りで批判したり、こきおろしたり攻撃する低俗な輩どもは人を刺す毒バエでもあるわけで、個人的にはニーチェクラブは市場のハエどもが寄り付けない強風が吹き荒れる(同意や同調することはあっても、群れることを是としない)サイトでありたと考えています。
一般人も普通に「発信者」になっているのが現代では普通ですものね。
> 少し補足すれば哲学を知っているとか多くの知識があるなんてことよりも、自立かつ自律した君主道徳の実験道場みたいな場になればいいな、と勝手に考えていますが、これはあくまでも私の希望であって、これを押し付ける気は毛頭ありません。 > > でも毒バエとか畜群は寄せ付けたくない。 > だからいつまでたっても不特定多数が集う場にはならないような気はします(笑)←思いっきり脱線御免!^^
投稿してみたいな〜、と思ってらっしゃる方はいらっしゃるような気がしますよ。 私がそうだったように。^^
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