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■15225 / inTopicNo.85)  Re[3]: 「予定」と「選び」と「救い」
  
□投稿者/ knowing itself -(2021/07/25(Sun) 19:45:09)
    キリストはすべての人間のために十字架にかかった vs キリストは自分が予め救いに向けて選んだ少数の人間のためだけに十字架にかかった。

    後者がカルバン派。
引用返信/返信 削除キー/
■15217 / inTopicNo.86)  Re[5]: 小室直樹の愛読者さん
□投稿者/ toll -(2021/07/25(Sun) 09:31:17)

    おはようございます

    横から失礼します。
    愛満開さんは小室氏にハマってるんですね。
    これまでの
    あなたの予定説の書き込みは
    小室氏の予定説そのままといっても宜しいような?
    それ以上にもそれ以下でもないみたいです。
    なんかエポケー的で なんだかなぁ〜な気分ですよ。。。
    ( コーランにハマって仏壇の仏像を投げ捨てたのも小室氏の影響だったようですね)


     ななしさんが書いているのに興味を持って。
     勿忘草さんが書いていたから。
     ヴィトゲンシュタインの著書にあったから。
     あれこれあれこれ。


    ちょこちょこ誤魔化しで切り抜けている様子は
    パニチェさんでなくても気になるものです。
    ここのトピ主様とてお見通しですが 耐えて?^^穏やかにされているようでもありますし。

    パニチェさんのご質問への真摯に対応を私も期待します^^




    No15167に返信(愛満開さんの記事)
    > パニチェさん、エフニさん、いろいろ御意見があるかと思いますが、私は、ここで例えば布教伝道をしたとしても一銭も得には成らないんです。
    >
    > でも、誰かが、神やイエス様の御言葉に少しでも触れることが出来れば、それが、その方の糧となって行くことを望んでいるばかりです。
    >
    > また、knowing itselfさんには、拙い信仰生活の導きとなって戴き大変感謝しております。
    >
    > 予定説については、もともと、小室直樹先生の『資本主義原論』(キリスト教の予定説)を読んで目を開かれた気がしたからでした。
    >
    > これが、実は、カトリックや正教会などのオーソドックスな教理から離れていることは、後から判明したものでした。
    > なので、誰かを陥れるのでも、どこかの教会へ勧誘したり献金させるのでもありません。あくまで、皆様の幸福を願ってのお節介な書き込みでしたのでご容赦願いたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■15181 / inTopicNo.87)  Re[2]: 「予定」と「選び」と「救い」
□投稿者/ knowing itself -(2021/07/23(Fri) 19:51:02)
    > predestination (予定)
    >
    > election (選び)
    >
    > salvation (救い)

    > ローマ書9章についていえば、この章はイスラエルのelectionについて語っているのであって、個人であるヤコブやエサウのsalvationについて語っているのではない。ここでの、ヤコブを愛し、エサウを憎むという表現も、ヘブル語研究が進むとともに、感情的な好悪ではなく、どちらを選んだかというそれだけの意味しかないとされる。
    >
    > election(選び)とは、メシア的地位の継承のラインが特定されることであって、選ばれた共同体がそのまま救われることではまったくない。救いは、メシアを信じるかだけで決まるので、選ばれた共同体(イスラエル)に帰属するかどうかは関係なし。

    選びとは、オリンピック代表になるようなものだが、それと救いは基本的に関係ない。オリンピック代表が救いから漏れることがあって、ふつうの観客が救われることがあるのは当然。むしろ、オリンピック代表以外の遥かに広大な領域に救いを拡張したのが新約聖書。聖書におけるオリンピック代表とは、神の福音を伝える導管になることで、責任の方が大きい、むしろ損な役割。その究極、極限がイエスであるともいえる
引用返信/返信 削除キー/
■15170 / inTopicNo.88)  Re[5]: 真摯とは何ぞや?
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/23(Fri) 17:44:31)
    No15167に返信(愛満開さんの記事)
    > パニチェさん、エフニさん、いろいろ御意見があるかと思いますが、私は、ここで例えば布教伝道をしたとしても一銭も得には成らないんです。

    > でも、誰かが、神やイエス様の御言葉に少しでも触れることが出来れば、それが、その方の糧となって行くことを望んでいるばかりです。

    > また、knowing itselfさんには、拙い信仰生活の導きとなって戴き大変感謝しております。

    > 予定説については、もともと、小室直樹先生の『資本主義原論』(キリスト教の予定説)を読んで目を開かれた気がしたからでした。

    > これが、実は、カトリックや正教会などのオーソドックスな教理から離れていることは、後から判明したものでした。
    > なので、誰かを陥れるのでも、どこかの教会へ勧誘したり献金させるのでもありません。あくまで、皆様の幸福を願ってのお節介な書き込みでしたのでご容赦願いたいと思います。

    そんなことは聞いてません。
    以下の私のレスに誠意をもって返信する気はありませんか?


    No15154に返信(パニチェさんの記事)

    > ハンドルを変え、別人を装ってまで予定説を布教しようとする行為は「隣人について偽証してはいけないこと」という十戒を破る独善(偽善)でしかない、と先のレスで指摘してます。

    > 貴方はレス交換相手を騙し続けているのです。
    > これについての真摯な返信を、真摯に受け止めたなら、よろしく。
引用返信/返信 削除キー/
■15167 / inTopicNo.89)  Re[4]: 真摯とは何ぞや?
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/23(Fri) 17:28:41)
    パニチェさん、エフニさん、いろいろ御意見があるかと思いますが、私は、ここで例えば布教伝道をしたとしても一銭も得には成らないんです。

    でも、誰かが、神やイエス様の御言葉に少しでも触れることが出来れば、それが、その方の糧となって行くことを望んでいるばかりです。

    また、knowing itselfさんには、拙い信仰生活の導きとなって戴き大変感謝しております。

    予定説については、もともと、小室直樹先生の『資本主義原論』(キリスト教の予定説)を読んで目を開かれた気がしたからでした。

    これが、実は、カトリックや正教会などのオーソドックスな教理から離れていることは、後から判明したものでした。
    なので、誰かを陥れるのでも、どこかの教会へ勧誘したり献金させるのでもありません。あくまで、皆様の幸福を願ってのお節介な書き込みでしたのでご容赦願いたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■15155 / inTopicNo.90)  Re[5]: 「予定」と「選び」と「救い」
□投稿者/ エフニ -(2021/07/22(Thu) 22:59:28)
    神(イエス)御自身による予定説完全否定。

    これも入れて置くか。

    「あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、蛇を与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものをくださらないことがあろうか。」(マタイ7・9ー11)
引用返信/返信 削除キー/
■15154 / inTopicNo.91)  真摯とは何ぞや?
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/22(Thu) 22:42:38)
    No15129に返信(愛満開さんの記事)

    > また、パニチェさんまた、エフニさんの御指摘は、真摯に受け止めたいと思います。

    一体何をどう真摯に受け止めたのか?
    勿忘草さんと貴方こと愛満開さんは同一人物です。

    ハンドルを変え、別人を装ってまで予定説を布教しようとする行為は「隣人について偽証してはいけないこと」という十戒を破る独善(偽善)でしかない、と先のレスで指摘してます。

    貴方はレス交換相手を騙し続けているのです。
    これについての真摯な返信を、真摯に受け止めたなら、よろしく。
    口先だけ、上辺だけの綺麗ごとは十悪の綺語です。
引用返信/返信 削除キー/
■15153 / inTopicNo.92)  Re[4]: 「予定」と「選び」と「救い」
□投稿者/ エフニ -(2021/07/22(Thu) 22:41:08)
    神(イエス)御自身による予定説完全否定。

    これも入れて置くか。

    「何でも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう。」(マルコ11・24)
引用返信/返信 削除キー/
■15150 / inTopicNo.93)  Re[5]: カールバルト「ローマ書講解」
□投稿者/ エフニ -(2021/07/22(Thu) 22:23:00)
    No15147に返信(愛満開さんの記事)
    > 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」
    >
    > このことを、カールバルトは、何か教会の問題のことを中心に述べているので、教会の問題が、明確によく分からない自分としては、大変分かりづらいですね。
    >
    > しかし、なぜ「エサウを憎んだ」のでしょうか? 
    >
    > 価値あるものや大切なものを失ってはじめて分かるという経験があります。
    > 不合格という現実があるから、合格の喜びがある。
    > 捨てられることがあるから、選ばれることがありがたく思えるのです。
    >
    > 神は、このように、人が愛されていることを経験させるために、あえて「選ぶ」のですね。
    >
    > つまり、神の救いのご計画の中には、ヤコブを愛しエサウを憎むという、光と闇のような両面がある。
    >
    > 両者が表裏で置かれていないと、人間は分からないのです。
    >
    > イエス様には、神の選びと永遠の生命があり、同時に、神から見捨てられた滅びがあります。
    >
    > そのためにパウロは15節で「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」という旧約聖書の言葉を引用しています。
    >
    > そしてそれを受けて16節で「従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです」と言っています。
    >
    > つまり、神の自由な選びによる神の御計画は、人間の意志や努力に対する見返りとしてではなくて、ただ神の一方的な憐れみによって人を救おうとする恵み、恩寵なのだ、ということです。
    >
    > それは、本来は滅ぼされるべき罪人を、その罪にもかかわらず、ただ神の自由な憐れみによって赦し、恵みと慈しみを与えて下さるということです。
    >
    > 神の選びとは、気紛れにある人を選び、他の人を捨てる、ということではありません。
    >
    > 神は、滅びるべき罪人を選んで、恵みを与え、救いにあずからせて下さるのです。


    >ただ神の自由な憐れみによって赦し<

    ここも却下。

    赤点。

    パウロの基本がまるで解っていませんね。

    パウロのこの辺の話も全て条件命題。

    人間がどうするかで全て左右されます。

    「イエスは主であると口で言い表し、神はイエスを死からよみがえらせたもうたと心で信じなさい。そうすれば、あなたは救われる。」(ロマ書第10章ー9)
引用返信/返信 削除キー/
■15148 / inTopicNo.94)  Re[3]: 「予定」と「選び」と「救い」
□投稿者/ エフニ -(2021/07/22(Thu) 22:05:45)
    No15129に返信(愛満開さんの記事)
    > knowing itselfさんこんばんは。
    >
    > また、パニチェさんまた、エフニさんの御指摘は、真摯に受け止めたいと思います。
    > 皆さんに、いろいろ教えて戴いたことで、ますます信仰が高まり感謝しています。
    >
    >>トピックに興味をもつみなさんへ
    >>
    >>predestination (予定)
    >>
    >>election (選び)
    >>
    >>salvation (救い)
    >>
    >>この三つの用語を分けて考える必要があると思います。融通のきかないごりごりの予定説は、三つを一緒くたに混同していると見受けられます。
    >>
    >>ローマ書9章についていえば、この章はイスラエルのelectionについて語っているのであって、個人であるヤコブやエサウのsalvationについて語っているのではない。ここでの、ヤコブを愛し、エサウを憎むという表現も、ヘブル語研究が進むとともに、感情的な好悪ではなく、どちらを選んだかというそれだけの意味しかないとされる。
    >>
    >>election(選び)とは、メシア的地位の継承のラインが特定されることであって、選ばれた共同体がそのまま救われることではまったくない。救いは、メシアを信じるかだけで決まるので、選ばれた共同体(イスラエル)に帰属するかどうかは関係なし。
    >>
    >>要するに、選ばれることと、救われることは、別の概念。予定されることは、さらにまた別の概念。
    >
    > なるほど、そうなのですね。
    > そして、選びには「救い」と「役割」の2つがあるとも言われます。
    >
    > 神が予め救いに選んだ人は、どんな人なのか ?
    >
    > まず 大事なことは 人類は 皆 罪人です。
    > 全ての人は皆「滅び」るべきだったのです 。これが基本です 。
    >
    > でも憐れみ深い神様は 救いの手を 伸ばすことにしました。
    > そして どういう人達を救うかを神様の主権によってお決めになりました。
    >
    > つまり、救済は、神様の恵みを 自分の意思で 信じる人達を 救うというものです。
    > 聖書には 救済の選びの他にもう一つの 選びがあるようです。
    > それは「 役割」の選びです。これは救われた人だけではありません。
    >
    > この「役割」の選びは、ユダヤ人を中心として救われてない人も含めて全ての人を通して、神は救済計画を進めていることです。
    >
    > でも多くのユダヤ人が救われるかは分かりません。
    > このように「役割」の選びは、「救い」とは関係ありません。
    >
    > 私たちがしなくてはならないのは、ただイエスキリストを信じること、そうすれば救われると言っています。(ヨハネ3章16節;ローマ10章9−10節)
    >
    > 聖書は、神の神秘さのうちで、予定説は、神に引き寄せられた人が共に働いて(ヨハネ6章44節)、その選ばれた人が、イエス様を信じて救われるのです。(ローマ1章16節)
    >
    > 神は救われる人を、あらかじめ決めておられるのですが、更に、救われるためには、私たちはキリストを選び信じる必要があります。
    >
    > この神の選びと人間の自由意思との二つの事実は、同等に真理だと言えますね。
    >


    だから、ヨハネ6ー44もロマ書1ー16も、予定説とは全く関係ない話なのです。

    ここは洗礼を受け、聖霊が内奥に臨在する人たち、つまりイエスの兄弟たちの話です。

    天地創造前の話ではありません。

    条件命題だという私の話を聞いてましたか。

    カルバンが言い出した「二重予定説」は、聖書や信条に根拠はありません。

    これをあるとするのは、相当に文章リテラシーがありません。

    カルバンは否定神学をベースにして、独自の「存在の可能性」の、思考の構築をしたのです。

    なぜ、全てのクリスチャンは予定説を完全否定しているのか。

    それは神(イエス)御自身が、予定説を否定しているからです。

    「神を信じなさい。まことに汝らに告ぐ。だれでもこの山に、動き出して、海の中に入れと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、その通りになるであろう。」(マルコ11・22ー23)
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■15147 / inTopicNo.95)  Re[4]: カールバルト「ローマ書講解」
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/22(Thu) 22:03:59)
    「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」

    このことを、カールバルトは、何か教会の問題のことを中心に述べているので、教会の問題が、明確によく分からない自分としては、大変分かりづらいですね。

    しかし、なぜ「エサウを憎んだ」のでしょうか? 

    価値あるものや大切なものを失ってはじめて分かるという経験があります。
    不合格という現実があるから、合格の喜びがある。
    捨てられることがあるから、選ばれることがありがたく思えるのです。

    神は、このように、人が愛されていることを経験させるために、あえて「選ぶ」のですね。

    つまり、神の救いのご計画の中には、ヤコブを愛しエサウを憎むという、光と闇のような両面がある。

    両者が表裏で置かれていないと、人間は分からないのです。

    イエス様には、神の選びと永遠の生命があり、同時に、神から見捨てられた滅びがあります。

    そのためにパウロは15節で「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」という旧約聖書の言葉を引用しています。

    そしてそれを受けて16節で「従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです」と言っています。

    つまり、神の自由な選びによる神の御計画は、人間の意志や努力に対する見返りとしてではなくて、ただ神の一方的な憐れみによって人を救おうとする恵み、恩寵なのだ、ということです。

    それは、本来は滅ぼされるべき罪人を、その罪にもかかわらず、ただ神の自由な憐れみによって赦し、恵みと慈しみを与えて下さるということです。

    神の選びとは、気紛れにある人を選び、他の人を捨てる、ということではありません。

    神は、滅びるべき罪人を選んで、恵みを与え、救いにあずからせて下さるのです。
引用返信/返信 削除キー/
■15131 / inTopicNo.96)  Re[3]: 「予定」と「選び」と「救い」
□投稿者/ knowing itself -(2021/07/22(Thu) 20:22:47)
    やはりこれまでとまったく同じ予定説を主張されていて、それではいつまでたっても並行線だと思いますよ。
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