| > predestination (予定) > > election (選び) > > salvation (救い)
> ローマ書9章についていえば、この章はイスラエルのelectionについて語っているのであって、個人であるヤコブやエサウのsalvationについて語っているのではない。ここでの、ヤコブを愛し、エサウを憎むという表現も、ヘブル語研究が進むとともに、感情的な好悪ではなく、どちらを選んだかというそれだけの意味しかないとされる。 > > election(選び)とは、メシア的地位の継承のラインが特定されることであって、選ばれた共同体がそのまま救われることではまったくない。救いは、メシアを信じるかだけで決まるので、選ばれた共同体(イスラエル)に帰属するかどうかは関係なし。
選びとは、オリンピック代表になるようなものだが、それと救いは基本的に関係ない。オリンピック代表が救いから漏れることがあって、ふつうの観客が救われることがあるのは当然。むしろ、オリンピック代表以外の遥かに広大な領域に救いを拡張したのが新約聖書。聖書におけるオリンピック代表とは、神の福音を伝える導管になることで、責任の方が大きい、むしろ損な役割。その究極、極限がイエスであるともいえる
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