| knowing itselfさんこんばんは。
また、パニチェさんまた、エフニさんの御指摘は、真摯に受け止めたいと思います。 皆さんに、いろいろ教えて戴いたことで、ますます信仰が高まり感謝しています。
> トピックに興味をもつみなさんへ > > predestination (予定) > > election (選び) > > salvation (救い) > > この三つの用語を分けて考える必要があると思います。融通のきかないごりごりの予定説は、三つを一緒くたに混同していると見受けられます。 > > ローマ書9章についていえば、この章はイスラエルのelectionについて語っているのであって、個人であるヤコブやエサウのsalvationについて語っているのではない。ここでの、ヤコブを愛し、エサウを憎むという表現も、ヘブル語研究が進むとともに、感情的な好悪ではなく、どちらを選んだかというそれだけの意味しかないとされる。 > > election(選び)とは、メシア的地位の継承のラインが特定されることであって、選ばれた共同体がそのまま救われることではまったくない。救いは、メシアを信じるかだけで決まるので、選ばれた共同体(イスラエル)に帰属するかどうかは関係なし。 > > 要するに、選ばれることと、救われることは、別の概念。予定されることは、さらにまた別の概念。
なるほど、そうなのですね。 そして、選びには「救い」と「役割」の2つがあるとも言われます。
神が予め救いに選んだ人は、どんな人なのか ?
まず 大事なことは 人類は 皆 罪人です。 全ての人は皆「滅び」るべきだったのです 。これが基本です 。
でも憐れみ深い神様は 救いの手を 伸ばすことにしました。 そして どういう人達を救うかを神様の主権によってお決めになりました。
つまり、救済は、神様の恵みを 自分の意思で 信じる人達を 救うというものです。 聖書には 救済の選びの他にもう一つの 選びがあるようです。 それは「 役割」の選びです。これは救われた人だけではありません。
この「役割」の選びは、ユダヤ人を中心として救われてない人も含めて全ての人を通して、神は救済計画を進めていることです。
でも多くのユダヤ人が救われるかは分かりません。 このように「役割」の選びは、「救い」とは関係ありません。
私たちがしなくてはならないのは、ただイエスキリストを信じること、そうすれば救われると言っています。(ヨハネ3章16節;ローマ10章9−10節)
聖書は、神の神秘さのうちで、予定説は、神に引き寄せられた人が共に働いて(ヨハネ6章44節)、その選ばれた人が、イエス様を信じて救われるのです。(ローマ1章16節)
神は救われる人を、あらかじめ決めておられるのですが、更に、救われるためには、私たちはキリストを選び信じる必要があります。
この神の選びと人間の自由意思との二つの事実は、同等に真理だと言えますね。
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