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■14837 / inTopicNo.73)  Re[12]: 日記
  
□投稿者/ pipit -(2021/07/11(Sun) 07:06:24)
    ああ!
    マンガ『はじめアルゴリズム6』三原和人さん著 講談社
    を読んでたら、p50-56が、すごくいいなぁ
    数字の【1】についての考察場面。

    セリフを、抜粋引用します。

    『多分「等しい」とか「差がある」っていう感覚が初めにあったんじゃないかな?
    でもそこではまだマンモスの肉も魚も違うものだったんだよ
    でもある時 誰かがそこに同じ「等しさ」があるって気がついたんだ
    その人はすごく驚いたんじゃないかと思うんだ

    それがイチ・・・?

    多分まだそれだけじゃ1にならなくて・・・・・・
    驚いた「それ」を誰かに伝えたいって思った時に
    イ・・・チ・・・
    が生まれたんじゃないかって思うんだ
    それでもまだ何か足りない気がするんだ
    数学の1はそれからさらに・・・
    僕には1さえまだハッキリわかんないんだ
    1+1=2が何でそうなのかも僕はまだわかんないんだよ!?
    数学ってやっぱり面白い・・・

    (略)

    ハジメ見てると俺には見えない何つうか・・・
    「窓の外」の景色を見ている感じがするんだよな

    窓の外・・・

    うらやましいってことだよ!

    確かに僕とカンタは違う・・・
    不思議だけど・・・

    あ?

    でももしカンタが野球選手とかお坊さんになって
    僕が数学者でそれぞれ別々になったとしても
    見てる景色は一緒なんだよ
    あ・・・ひょっとしたら「1」ってそういうことなのかも・・・』
    引用終了

    今、カントの、対象一般を思考する、って考え方を考えてて、

    別箇所での正確な英訳ではなかったかもの、リデュース、という単語も思い出してて、

    個別の思考対象から個性を消去していって残るものを考えていて。

    どんどん削減していく。

    個性から一般へ、削減すると対象を示す上位概念が何になっていくのか、など

    そんなことをチラリと考えてて。

    その時たまたまパラパラとめくったこのページが、わぁいいなぁと思ったのでした。

    マンガの意味を勘違いしてるかもだけど、
    ある人が手に持つマンモスの肉 にも 「1」という概念への コネクトの可能 があり、
    別の人が手に持つ魚 にも 「1」という概念への コネクトの可能 がある。
    そんなことをマンガの場面から思い起こしていました。


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■14827 / inTopicNo.74)  日記
□投稿者/ pipit -(2021/07/10(Sat) 19:42:50)
    仕事の休憩中に入力したメモ↓
    『眼識などから客体を規定するアルゴリズムが純粋悟性概念(カテゴリー)
    はどうかな?
    判断』

    今、検索で、
    【カント アルゴリズム カテゴリー】と打つと
    論文などが何件かヒットするね。論文の中身まだわからないけど。

    演繹論、めちゃめちゃ難しいけど、なんとかカントの伝えたかったことをわかりたいなー

    難攻不落。。。御子柴善之先生の解説本に挟まれてた宣伝にあった記憶が。。。

    難攻不落の大著がついに読める!みたいな (; ̄ェ ̄)

    スミマセン、マダヨメテマセン ヽ(;▽;)ノ




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■14790 / inTopicNo.75)  Re[10]: 『空間と時間を媒介にすることで』
□投稿者/ pipit -(2021/07/09(Fri) 00:15:44)
    No.14743

    >人間にとって、時間と空間はアプリオリ(経験に依らない)にもかかわらず、
    どのように、経験的客体と関わりを持つのか、というと、
    経験的客体成立の条件として、アプリオリな時間空間が関与してる、ということかな。<

    アプリオリなものが、客体と関わりをもつ一例は、そのアプリオリが客体の条件となってる場合。

    直観の形式とする時間空間が客体の条件というのはある意味わかりやすいけど、
    思考の形式が客体の条件と論ずること、これがカントにとっては難問だったのかな。

    感受したものを思考して、『知る・対象』の作成。

    思考そのものが、客体の条件とはいえるのかな、どうかなぁ。

    カントの場合、思考は、概念と概念のコネクトみたいなかんじかな。
    あ、直観と概念のコネクトも含めてたな、多分。


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■14789 / inTopicNo.76)  根性の演繹論読解
□投稿者/ pipit -(2021/07/08(Thu) 23:55:57)
    中山元先生段落番号135、136部分に対する感想。

    困難な問題

    例えば、因果関係という概念、は、空虚な概念なのではないか(主観的な概念であり、客観的妥当性は無い)、という疑念が生まれる余地はいつでもある。

    原因という概念は人間の思考にあるだけで、原因という概念に対応する現象は、思考以外には起きてない、みたいな感じかな。
    マーヤーという単語を思い出すな。

    (wiki『マーヤー』より抜粋引用: インドの宗教やインド哲学に現れる概念である。
    元来、ブラフマーなどが用いる神の力・神秘的な力を意味し、その後、幻影という意味に変化した。人を幻惑させる力という意味で、「幻力」と訳されることもある。
    インド哲学では、シャンカラなどにより、現実世界がマーヤー(幻影)であり、真実の世界を覆い隠しているとされ、ショーペンハウアーも『意志と表象としての世界』にて物自体である意志の単一性・本質を覆い隠している、物自体の客体である表象における数多性(個別化の原理)の説明としてマーヤーを用いている。)引用終了

    カントの文章の引用
    『(略)、そして原因という概念については、それが知性のうちに完全にアプリオリな形で根拠をもたねばならないか、あるいはたんなる妄想としてこれを完全に放棄しなければならないか、そのいずれかを選ばねばならないということである。』
    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p102.103より引用

    次は137からー

    おやすみなさーい ☆彡




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■14746 / inTopicNo.77)  第二版純粋悟性概念の演繹論
□投稿者/ pipit -(2021/07/07(Wed) 11:57:45)
    めちゃめちゃややこしい。。。。
    論の構造や運び方(構成)がすごーくわかりにくく感じる。。。。

    第二版である部分は書き換えたり、ある部分は第一版のまま残して使ったり、と
    つぎはぎしてるからだろうか。

    今は第二版の演繹論から読んでるんだけど、初版の演繹論から読んだ方がいいのかなー
    こ、こんなにわかりにくくするなんてっ、ひどいなぁ。。(´;ω;`)


    カント先生はおっしゃるのだろうか
    o(・x・)/ のんのん、ボクの論述、理路整然ー!

    カント先生の思考回路の流れ方(路)を知ることがかなったら
    おもしろいだろうなー
引用返信/返信 削除キー/
■14743 / inTopicNo.78)  『空間と時間を媒介にすることで』
□投稿者/ pipit -(2021/07/07(Wed) 09:37:41)
    中山先生段落番号 134
    カントの文章
    『対象は、人間の感性の純粋な形式である空間と時間を媒介にすることで、初めてわたしたちに対象として現れることができ、これによって対象が経験的な直観の客体となることができるのである。』
    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p99より引用
    B122あたり

    人間にとって、時間と空間はアプリオリ(経験に依らない)にもかかわらず、
    どのように、経験的客体と関わりを持つのか、というと、
    経験的客体成立の条件として、アプリオリな時間空間が関与してる、ということかな。

    以上は直観に関与する時間空間についての話だけど、
    今から読む『純粋悟性概念の演繹』は、
    思考の範囲の話で、
    アプリオリな純粋悟性概念(カテゴリー)が、どのように経験的客体との関わりを持つというのか、その関与の仕方は必然的な要素で構成されるものなのか、概念の使用法に客観に妥当すると主張できる権利、根拠はあるのか、
    などについてのカントの論述、かな、と今の時点では思いました。
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■14740 / inTopicNo.79)  触発
□投稿者/ pipit -(2021/07/07(Wed) 00:18:57)
    >素材がまずあるんだ。。。 
    素材を【加工】というよりは、山下和也先生の本(『カントとオートポイエーシス』)の中で出てくる【攪乱】という概念が、
    認識の過程をイメージするにはしっくりくるな。
    加工だと、もう時空間上の形をもったものを加工するイメージが入っちゃう気がして。
    (カントはそう意図はしてないかもだけど、例えば、感覚器官で生じた刺激を素材としたら、脳内でその素材に時間空間の秩序を与えて意識化する、なんて例も、上記引用文の一例としては考えられるかな、と思いました。)<

    あ!

    【【触発】】。。。 (OvO)
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■14739 / inTopicNo.80)  演繹論
□投稿者/ pipit -(2021/07/07(Wed) 00:15:15)
    中山元先生段落132

    カントの文章の日訳
    『感覚能力にある印象が与えられると、それが最初の誘因となって、全体の認識能力が作動し始め、それによって経験が生まれることが分かる。
    この経験にはきわめて異質な二種類の要素が含まれている。
    一つは感覚能力から与えられた認識の素材であり、
    もう一つはこうした素材に秩序を与える形式である(この形式は純粋な直観と純粋な思考を内的な源泉として生まれたものである)。
    これらの純粋な直観と思考は、[感覚から]素材を与えられたことをきっかけとして働き始めて、そこから概念が生み出される。』
    『純粋理性批判2』中山元先生訳、p95より引用

    素材がまずあるんだ。。。 
    素材を【加工】というよりは、山下和也先生の本(『カントとオートポイエーシス』)の中で出てくる【攪乱】という概念が、
    認識の過程をイメージするにはしっくりくるな。
    加工だと、もう時空間上の形をもったものを加工するイメージが入っちゃう気がして。
    (カントはそう意図はしてないかもだけど、例えば、感覚器官で生じた刺激を素材としたら、脳内でその素材に時間空間の秩序を与えて意識化する、なんて例も、上記引用文の一例としては考えられるかな、と思いました。)

    ちなみに【攪乱】の記述を少しだけ引用します。
    『このような、相互浸透を介して環境がシステムに、システムが環境に引き起こす変化を「攪乱(irritationあるいはperturbation)」と呼んでいる。』
    『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、p9.10より引用。

    というわけで、次は132以降を、ふぁいとー o(・x・)/

    おやすみなさーい (-_-)zzz
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■14721 / inTopicNo.81)  図式論
□投稿者/ pipit -(2021/07/05(Mon) 20:51:47)
    > 実は、演繹論の後の、原則論も理解したいんです。<

    あ、図式論も。。。

    時間。。。。。

    ixtlanさんが、なんでこんな変なこと思いついたのか、みたいにおっしゃってた記憶があります。(違ったらすみませんm(_ _)m)



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■14720 / inTopicNo.82)  根性の演繹論
□投稿者/ pipit -(2021/07/05(Mon) 20:44:48)
    うぅぅう、、、もはや、カントの演繹論のどこまで勉強してたのか思い出せませぬ。。。
    _| ̄|○

    うましかさんも序論の読解がんばってられるから、
    わたしも、演繹論読解、再チャレンジでがんばってみようと思います !

    実は、演繹論の後の、原則論も理解したいんです。

    現象の、認知の、仕組み。。。 (・・?) フシギー ?
引用返信/返信 削除キー/
■14707 / inTopicNo.83)  沈黙の森日記(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2021/07/04(Sun) 19:58:22)
    pipitさん、こんばんはー
    おじゃまします。

    *******

    >私が森沼日記書いてた時に頭に浮かんでいたのは、
    >パーリ仏典の十二因縁とかのことでした。

    そうなんですねー(;´・ω・)
    教えてくださって、ありがとうございましたm(__)m

    >カントは、人間には知的直観は無理、って決めてそうですよね。
    >黒崎政男先生の解説本でもそのような話題があったかと思う

    p.110〜p.112あたりに書かれている内容でしょうか?(;´・ω・)

    「知的直観」とは、黒崎が「知性的直観」と書いているもののことをおっしゃっているのかな?ここでの黒崎の説明によればカントのいう「知性的直観」は以下のようなもの。

    @知性的直観は人間の直観ではない。人間の直観は感性的直観。
    Aもし知性的直観を有していたら、人間は物自体を知ることができるかもしれない。





    (-_-;)。。。


    森o(・x・)/





引用返信/返信 削除キー/
■14666 / inTopicNo.84)  Re[8]: pipit森のカント沼日記(;´・ω・)
□投稿者/ pipit -(2021/07/03(Sat) 17:27:55)
    うましかさん、こんばんはー


    No14660
    > →No.14643
    >
    > こういう分野の話しでしょうか…(;´・ω・)?
    >
    > https://metaninchi.net/page16.html
    >
    > >近年はマインドフルネスという瞑想方法が注目されていますが、この方法はメタ認知を高めるのに非常に効果的です。<

    私が森沼日記書いてた時に頭に浮かんでいたのは、
    パーリ仏典の十二因縁とかのことでした。

    カントは、人間には知的直観は無理、って決めてそうですよね。
    黒崎政男先生の解説本でもそのような話題があったかと思うんですけど。

    知りたいなーと思うのは理性の本能だけど、無理なんだよ、って
    カント先生ならおっしゃるのかなー

    マインドフルネスの記事のリンクをありがとうございます!
    これまた、どこかで、カント読解のヒントになるかも?と思いました。
    メタ認知。。。

    ひょっとすると関連する可能性あるかも??と思った(勘違いしてたらすみません)、いつか理解できたらいいなと思う論文を思い出しました。

    『客観的世界を経験するとはどういうことか 『純粋理性批判』第二類推についての考察 』
    岩井拓朗 さん
    //philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2016/05/b0c506bdaa5854a7f66c074cbfee5018.pdf


    沼o(・x・)/



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