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■14395 / inTopicNo.25)  Re[44]: 復習
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/24(Thu) 18:57:26)
    ごめんね、ノーセルフさん。
    わたし「聖体」の意味知らなかった。
    コトバクンで調べて見ました。
    それで了解しました。

    最後の晩餐、そう、キリストさんが”死ぬ前”の彼の「教え」みたいね。
    「パンは人の体をつくるものである」、とか、「食べることは生命維持に必須だ」っていう。
    でも、こういうのってキリストさんだけがそう思ってることじゃないと思うよ。

    あ、ガン無視して。
    ちょっと言いたかっただけだから。
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■14383 / inTopicNo.26)  Re[43]: 復習
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/24(Thu) 06:12:30)
    何度も何度も書いているように、聖体の秘跡の場合、「食べる」とは感覚的な質料としての人間の体を「食べる」ことの徹底否定の上に成り立つ。感覚的な質料として食べるのは、あくまでも、徹頭徹尾、パン。しかし、実体として同化するのは、徹頭徹尾、キリストの体。

    この期に及んでは、カニバリズムだという言いがかりはガン無視です。
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■14372 / inTopicNo.27)  Re[42]: 復習
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/23(Wed) 21:58:05)
    お邪魔しま〜す。

    復習におけるわたしの問い。

    1.キリストは人間である。
    2.キリストという名の人は、マリアという名の人間から生まれた。
    3.人は誰かに育てられなければ生きてゆけない。
    4.3とすると、キリストを育てた人間がいるはず。
    5.一般的に子どもおを育てるのは親。
    6.キリストの場合、人間の父親は存在しなてない。
    7.6とすると、キリストを育てたのは主としてマリアというキリストの母親。

    初歩的な質問でごめんなさいね。
    答えてくれなくてもいいよ。

    >聖体というキリストの体を「食べる」<
    なにこれ?
    キリストが殺された瞬間にすでに「聖体」になったの?
    だとしたら、

    その体(聖体)を食べる人がいたのね。
    死にたての人は腐ってはいないからおなかこわさないかも。

    で、その体をど食べた人はどうやって食べたのかしら?
    キリストの体に直接かぶりつき、むしゃむしゃ。
    ナイフで肉を削ぎ、そのままむしゃむしゃ。
    あるいはバーベキュー的に、焼いてなんかたれをつけて食べたり。
    あるいは、煮たりして。
    血液は凝固する前にズルズルとすすったり。
    肺、胃、腸、肝臓、腎臓、あ、眼球、骨はどうやって食べたのかしら?

    そしてその死体を食べた人たちは言うのね。

    ああ〜これで、>罪が赦される< って。









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■14370 / inTopicNo.28)  Re[41]: 復習
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/23(Wed) 19:35:22)
    キリスト教というと、十字架による一回性の出来事による罪の贖いを連想する人は多いでしょう。それはそれで間違っていない。ただ、二千年前の出来事を回想してそれを信じれば罪が赦されというのとは、ちょっと違うともいえる。

    今日もこの瞬間も、聖体というキリストの体を「食べる」その瞬間、神の恵みに対する応答によって、罪が赦される。

    プロテスタントは聖体を否定するので、冒頭の立場に近いかと思うが、まあ、いずれにせよ同じことを言っているともいえる。同じ神の恵みであることに違いはない。ただ、聖体という、証拠、再現性、時空遍在性を絶対譲らないのがカトリック。

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■14369 / inTopicNo.29)  Re[40]: 復習
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/23(Wed) 19:10:31)
    愛満開さん こんばんは

    >>ちっちゃなパンは表。裏に含意されているのは、パンに相即して、パンを口に入れる人間の体が聖変化すること。真意はむしろこちら。人間といっても、二千年にわたって時空間を横断する膨大な人間たちだが、その人間の体が一つのキリストの体に聖変化する。人間たちの偶有性としての体の実体がキリストの体の実体に「なってしまう」。これが教会。教会とは人的組織、会合、権威的な集団ではなく、偶有性としての人間の生物的な身体が、全キリスト、神性と人性からなるキリストのすべてに実体変化した、そのキリストの体のことです。
    >
    > 「人間の体が一つのキリストの体に聖変化」
    >
    > へえーっ、そういうことなんですね。
    > そこまでは、考えが及びませんでした。

    パンという偶有性の形色の下にキリストの体が現存するとは、墓を空にして天に現存するに至ったキリストの復活の体がそこに現存することですね。

    人間の心身に深く強固に蓄積した罪は、有限の壊れゆく体をキリストの復活の体によって入れ替えることによって、初めて実現するということだと思います。

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■14343 / inTopicNo.30)  Re[39]: 復習
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/22(Tue) 19:58:26)
    knowing itselfさんこんばんは。

    > パン、パン、バン。パンにばかり目がいっては本当いうといけない。
    >
    > ちっちゃなパンは表。裏に含意されているのは、パンに相即して、パンを口に入れる人間の体が聖変化すること。真意はむしろこちら。人間といっても、二千年にわたって時空間を横断する膨大な人間たちだが、その人間の体が一つのキリストの体に聖変化する。人間たちの偶有性としての体の実体がキリストの体の実体に「なってしまう」。これが教会。教会とは人的組織、会合、権威的な集団ではなく、偶有性としての人間の生物的な身体が、全キリスト、神性と人性からなるキリストのすべてに実体変化した、そのキリストの体のことです。

    「人間の体が一つのキリストの体に聖変化」

    へえーっ、そういうことなんですね。
    そこまでは、考えが及びませんでした。

    これからも、いろいろ教えて下さいね。
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■14323 / inTopicNo.31)  Re[38]: 復習
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/21(Mon) 21:34:44)
    No14245に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 実体がパンから聖体に聖変化するというとき、偶性や科学的組成は寸分もパンと変わらず、実体だけがキリストになる。キリストの神性(三位一体の第二のペルソナ)と人性(精神と身体どちらも)のすべての実体だけがそこに現存する。

    パン、パン、バン。パンにばかり目がいっては本当いうといけない。

    ちっちゃなパンは表。裏に含意されているのは、パンに相即して、パンを口に入れる人間の体が聖変化すること。真意はむしろこちら。人間といっても、二千年にわたって時空間を横断する膨大な人間たちだが、その人間の体が一つのキリストの体に聖変化する。人間たちの偶有性としての体の実体がキリストの体の実体に「なってしまう」。これが教会。教会とは人的組織、会合、権威的な集団ではなく、偶有性としての人間の生物的な身体が、全キリスト、神性と人性からなるキリストのすべてに実体変化した、そのキリストの体のことです。

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■14321 / inTopicNo.32)  宗教と戒
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/21(Mon) 19:44:23)
    無戒の仏教はありえないと思う。どうして仏教に戒があるかといえば、生きとし生けるものを傷つけてはいけないからで、自分だけ戒を破り放題をしておいて、平和で安らかでいたいといっても、それは無理。

    聖書で十戒があるのも、基本的には同じ。神の被造物を破壊し放題で、自分だけ永遠に生きようと思っても虫がよすぎ。

    自分は戒は守れないし、守るつもりもないが、他力本願してれば大丈夫という論理はないと思う。

    戒を破ってしまう自分に血の涙を流せる?
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■14318 / inTopicNo.33)  Re[41]: 宗教に易行はない
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/21(Mon) 19:05:27)
    愛満開さん こんばんは

    >>浄土系仏教の人は同意しなくても、私は宗教には易行はないと思っています。悟りでも涅槃でも天国でも、必要なことは難しくてもクリアーしなければどうしようもない。
    >
    > これは、「信仰義認」説ではなく、あくまで善行、行動が、救済には必要だという事なのでしょうか。

    易行の意味、定義によりますが、簡易でラクな道はありえないと思っています。信仰義認のプロテスタントが易行かといえば、とんでもない話しです。一生をかけたサタンとの戦いです。悔い改めなしの他力本願とプロテスタントが、果たして同じようなものなのか。

    それから、坐禅は自力だからという批判は的はずれだと思います。坐禅は安楽の法門ともいわれ、他力の究極を体験できる道の一つでしょう。30分程度の坐禅にも耐えられないようでは、ちょっと軟弱すぎです。
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■14300 / inTopicNo.34)  Re[40]: 宗教に易行はない
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/20(Sun) 20:52:08)
    knowing itselfさんこんばんは。

    東京2020五輪も近づいてきて、結局、開催するようですが、マスコミも観客をどうするかという人数に視点が移ってきたようです。
    せっかく、ライバルのイスタンブールを破って東京で開催されるのですから無事に有終の美を飾って貰いたいです。

    > 浄土系仏教の人は同意しなくても、私は宗教には易行はないと思っています。悟りでも涅槃でも天国でも、必要なことは難しくてもクリアーしなければどうしようもない。

    これは、「信仰義認」説ではなく、あくまで善行、行動が、救済には必要だという事なのでしょうか。

    それとも、イエス様を信じるほかになすべきことがあると言う事で律法学者のように、何か例えば十戒を守らなければだめだという事なのでしょうか。
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■14259 / inTopicNo.35)  宗教に易行はない
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/19(Sat) 18:37:32)
    浄土系仏教の人は同意しなくても、私は宗教には易行はないと思っています。悟りでも涅槃でも天国でも、必要なことは難しくてもクリアーしなければどうしようもない。
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■14246 / inTopicNo.36)  「聖体」の創設
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/19(Sat) 07:32:39)
    最後の晩餐における「聖体」制定は、憲法の制定になぞらえられることもある。というか、憲法や憲法学にキリスト教神学の影響が濃厚だから、似ているのは当然です。

    国民主権の憲法が制定されたのは、国民という憲法制定権力の憲法創設行為によって。それなくして憲法は存在しなかった。憲法制定権力はそれ以後は表舞台に直接露出することは稀で、制定された憲法の枠内で国民主権は働いていく。

    聖書的世界観の場合は、全宇宙の主権者である神による「制定行為」としての「聖体」。聖体=キリスト。
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