| >「だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。 >あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。 >だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。 >もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」 >(ルカ福音書11章33節35節から36節)
ここはマタイ福音書25のタラントンのたとえの箇所とも響きあうように思います。タラントンのたとえは、利子の推奨や世俗的才能の活用を直接説いているはずもなく、キリスト再臨の前の行動準則を示しているとしか読めません。その行動準則とは、福音のリリース、拡散以外のものではない。こういうときは、隠しておくことやしみったれて自分だけのために取っておくことを酷く嫌う。灯りは燭台の上におけ、隠しておくな。
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