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■14463 / inTopicNo.13)  Re[52]: 実体、物自体
  
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/26(Sat) 19:40:47)
    聖書の御言葉と現実の生活。

    人が食べたり飲んだりしてこそ生きるように、

    イエスの肉を食べ血を飲んではじめて心から生きることが出来ます。

    ヨハネによる福音書4章13、14節には

    「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

    さらに、ヨハネによる福音書 6章35節 では

    「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

    でも、残念ながら現実には、本当にお金が無くて食べたり飲んだり
    できない人たちもいます。

    それが教会員にもいると嘆く牧師先生がいました。

    生活保護を申請すれば、早いのでしょうが、躊躇している教会員。

    どんなに、神に祈ってもパンを与えられない教会員。

    これが、現実なのでしょうね。

    でも、たとえそうであったとしても、神が私たちを愛して十字架による贖いの死に
    よって救済されたことに感謝していきたいものです。


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■14454 / inTopicNo.14)  Re[51]: 実体、物自体
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/26(Sat) 11:10:03)
    つまり、形相と質料のうち形相が変化したのが、聖変化なのですね。
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■14453 / inTopicNo.15)  Re[50]: 実体、物自体
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/26(Sat) 10:55:34)
    No14449に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 実体は、アリストテレス→トマスアクィナスへと展開していったもの。端的にいって、神のことですね。
    >
    > カントの「純粋理性批判」でいえば、物自体がそれに対応?ご存知のとおり、カントは物自体の認識可能性に否定的ですね。とはいえ、「実践理性批判」や「判断力批判」では神を前提にしているような。


    カントは、認識論的主観主義なので物自体の神を理論理性では認識出来なくても道徳的な実践理性によって弱肉強食などの動物的な自然のままの性質から自由になることで神を感じることが出来るのだと物凄い理論です。

    事物は個別実体と必然性に対する偶有性から成り立ち、偶有性は、形相と質料から合成される存在事物(感覚的個物)の在り方で、実体は偶有性を伴ってはじめて存在するということです。

    聖変化後のパンとワインは、偶有性の質料である外観や科学的な組成は変わらずとも、実体は概念なので変化したと考える訳ですね。
    これこそ、神業と言えると思います。

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■14449 / inTopicNo.16)  実体、物自体
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/26(Sat) 07:35:10)
    実体は、アリストテレス→トマスアクィナスへと展開していったもの。端的にいって、神のことですね。

    カントの「純粋理性批判」でいえば、物自体がそれに対応?ご存知のとおり、カントは物自体の認識可能性に否定的ですね。とはいえ、「実践理性批判」や「判断力批判」では神を前提にしているような。

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■14440 / inTopicNo.17)  Re[48]: 聖変化
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/25(Fri) 21:13:11)
    >真の神であると同時に真の人間である全キリストの実体に変わった。パンとワインの実体は跡形もなく、ひたすらキリストの実体(感覚的には不可知)だけがそこに現存する。

    人間からみると「聖体を食べる」ことは、神からみると「真の神であると同時に真の人間である全キリストの実体を与え尽くす」こと。これが新しい契約、新約になると思います。いや、これ以外に新約はない。けっして新約聖書という書物が新約ではないですね。このように捉えると、自分としては納得できます。
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■14435 / inTopicNo.18)  Re[48]: 聖変化
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/25(Fri) 19:24:32)
    >>プロテスタントでは、パンとワインが本当にキリストの体に変わる訳ではなく、単なるシンボルに過ぎないと考えていますが、カトリックでは、現実的に聖変化なのですね。
    >
    > リアルに、本当に、実体的にキリストが現存すると言われますね。

    キリストがリアルに、本当に、実体的に現存することを認めることにおいて、プロテスタントも同じだと思います。それを否定したらキリスト教の意味がまったくなくなる。

    キリスト現存の証拠を何がなんでもシンボルにしなければならない理由がピンときません。


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■14428 / inTopicNo.19)  Re[47]: 聖変化
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/25(Fri) 18:54:10)
    愛満開さん こんばんは


    >>https://youtu.be/qfKDzbNEHDg

    > 聖変化は、パンとワインが本当にイエス・キリストの体(聖体)に変化することでありイエスの体と血へと物質的に変化する過程なのですね。

    物質的に変化するというのは違いますね。substanceは「物質」ではなく、「実体」でしょう。実体がパンとワインから、キリストの体と血にチェンジするということでしょう。 物質ということでは、パンとワインのまま変化なしだと思います。五感で把捉可能なのは一見したところのパンとワインです。実体だけが、真の神であると同時に真の人間である全キリストの実体に変わった。パンとワインの実体は跡形もなく、ひたすらキリストの実体(感覚的には不可知)だけがそこに現存する。


    > 私たちの感覚(味、触覚、匂いなど)では、未だにパンとワインとしてそれを見ているけれども、実際は、キリストの体と血に変化したという事でしょうか。

    そうですね。

    > プロテスタントでは、パンとワインが本当にキリストの体に変わる訳ではなく、単なるシンボルに過ぎないと考えていますが、カトリックでは、現実的に聖変化なのですね。

    リアルに、本当に、実体的にキリストが現存すると言われますね。


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■14419 / inTopicNo.20)  Re[46]: 聖変化
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/25(Fri) 15:52:06)
    No14418に返信(knowing itselfさんの記事)
    > https://youtu.be/qfKDzbNEHDg
    >
    > 5分もかからない。自動翻訳は使わないで、この動画をみてください。
    >
    > おすすめ。

    聖変化は、パンとワインが本当にイエス・キリストの体(聖体)に変化することでありイエスの体と血へと物質的に変化する過程なのですね。

    私たちの感覚(味、触覚、匂いなど)では、未だにパンとワインとしてそれを見ているけれども、実際は、キリストの体と血に変化したという事でしょうか。

    プロテスタントでは、パンとワインが本当にキリストの体に変わる訳ではなく、単なるシンボルに過ぎないと考えていますが、カトリックでは、現実的に聖変化なのですね。


引用返信/返信 削除キー/
■14418 / inTopicNo.21)  聖変化
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/25(Fri) 07:40:19)
    https://youtu.be/qfKDzbNEHDg

    5分もかからない。自動翻訳は使わないで、この動画をみてください。

    おすすめ。

引用返信/返信 削除キー/
■14403 / inTopicNo.22)  Re[46]: 復習
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/24(Thu) 20:39:07)
    イエス様は、「肉を食べ血を飲む」と言いながらヨハネの6章で

    「いのちを与えるのは御霊(聖霊)です。 肉は何の益ももたらしません。
    わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。 」
    (ヨハネ6・63)

    具体的にどういうことでしょう?

    それは、主の言葉によって聖霊が働かれるという事です。
    つまり、肉は何の益ももたらさないどころか、心に葛藤をもたらし、聖霊が働いてくださらなければ、我々にとっては、何事も無益であり、すべて徒労、無駄になることを述べているのだと思います。

    なので、聖霊によって新しく生まれた者として肉の思いや行いから離れて永遠のいのちのことばを持っておられるイエス様にとどまり、御霊によって書かれた聖書の御言葉によって生きていきたいものです。
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■14397 / inTopicNo.23)  Re[45]: 復習
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/24(Thu) 19:41:03)
    悪魔ちゃんこんばんは。

    > 最後の晩餐、そう、キリストさんが”死ぬ前”の彼の「教え」みたいね。
    > 「パンは人の体をつくるものである」、とか、「食べることは生命維持に必須だ」っていう。

    そうなんです。
    「永遠の命に至る食べ物」、それは「主イエス・キリストご自身」であり、また「神の御言葉・聖書の御言葉」と言って良いでしょう。


    そして、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」ということです。

    この神の言葉、ロゴスであるパンを食べないと人は霊的、精神的に死んでしまうのです。
    その結果、メンタルを侵され病んでしまうのだと思います。
    こういう人、最近多いですね。

引用返信/返信 削除キー/
■14396 / inTopicNo.24)  Re[44]: 復習
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/24(Thu) 19:32:24)
    knowing itselfさんこんばんは。

    > 何度も何度も書いているように、聖体の秘跡の場合、「食べる」とは感覚的な質料としての人間の体を「食べる」ことの徹底否定の上に成り立つ。感覚的な質料として食べるのは、あくまでも、徹頭徹尾、パン。しかし、実体として同化するのは、徹頭徹尾、キリストの体。

    そうですね。
    当時もイエス様の言葉をその通りに受け取って、
    「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことを聞きいておられようか」
    と離れていった多くの人々。
    (ヨハネによる福音書6章53節〜60節)

    でも、これは、おそらく、イエス様が、十字架の上で我々の罪の身代わりとして
    神に犠牲として捧げられたことに対して、譬えとして肉を食べ血を飲むくらいに
    己、自分自身のこととして真摯に受け取り、悔い改める必要性と神の愛への感謝を述べているように思えます。

    > この期に及んでは、カニバリズムだという言いがかりはガン無視です。

    何か分かります。
引用返信/返信 削除キー/

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