| knowing itselfさん こんばんは
> カトリックといえば、なぜ教皇が必要なのか意味がわからん、否定すべきだという人も多いかと思います。 > > これも「聖体」=キリストのリアルプレゼンスから導かれますね。 > キリストがペトロに与えた自身の体、それとまったく同じキリストの体が二千年後の世界のどの国の信徒にも与えられる、そのことを保証するのが、ペトロの地位の継承者である教皇の存在であるという論理だと思います。教皇を権威として崇め奉るためというより、どの人間もキリストの前では、寸分も変わらずペトロと同じ位置・関係性にあることを保証するのが教皇制ですね。これほど確実な救済の保証もないともいえるわけですね。
そうなんです。自分自身、なぜ教皇制度なんかあるのか意味が分かりませんでした。ローマ法王、教皇何て、まるで、悪魔の化身のように感じていました。
でも、実際は、違っていたのですね。
それと、私は、プロテスタントなので「信仰義認」説、こそが正しいと思っていて、これは、仏教でいえば、親鸞聖人の「悪人正機」説のような感じに思えて、道元禅師のような「行為義認」説のような善行や行為に重きを置くのが、ローマカトリックや東方正教会なのかなと思っていました。
でも、きっと、違うのでしようね。
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