□投稿者/ knowing itself -(2021/06/19(Sat) 06:30:47)
| 実体がパンから聖体に聖変化するというとき、偶性や科学的組成は寸分もパンと変わらず、実体だけがキリストになる。キリストの神性(三位一体の第二のペルソナ)と人性(精神と身体どちらも)のすべての実体だけがそこに現存する。
偶性と科学的組成はそのまんまパンだから、カニバリズムではありえない。
無から宇宙を創造した、その同じ究極の創造作用が聖変化の作用として働いている。それが聖体の意味です。対象・オブジェとして崇拝盲信するのとは違う。
キリストを対象として信仰するのではなく、キリスト「の」信仰をそのままインストールのが信仰。
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