| おくったがわさん、こんにちは〜。
■13858、 >ごめん、今回のは自分の誤解で、ニーチェの意図は「東洋的」(訳)=「ユダヤ的」だったもよう。ユダヤ人的感性が、それ以外の者には通じないとニーチェは書いていたよう。< 分かりました。ありがとございま〜す。 でも「感性」の意味、おくったがわさんのとわたしのとでは違う見たいだけど、これはいいわ。
>「愛」って呼んでる”そのようなもの”が違うか… これは現象学ではどうなるの?<
「愛」って呼んでる“そのようなもの”についてなんだけど、 メルポンの『知覚の現象学』に、 【虚偽のもしくは錯覚的感情、自己拘束としての感情】と題して、そこには【…真実の愛とならんで、虚偽の、もしくは錯覚上の愛がある。…】などということが書かれている。 っていうことから、メルポンにおいては、「愛」っていうの、「感情」のなかの一つの言表って見ているんだとわたし見てる。 わたしもそのように思えてるよ。
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