□投稿者/ flora -(2021/06/09(Wed) 14:54:03)
| ■No13785に返信(みのりさんの記事) > ■No13759に返信(パニチェさんの記事)
パニチェさん、みのりさん、おはようございます
横失礼します。
>>>>『あまりにも東洋的。──何ですって?人間が彼を信仰するならば、人間を愛してくれる神だって!この愛を信じない者には怖るべき眼光と威嚇を投げつける神だって!何ですって?全能の神の感情としての但し書きつきの愛だって!名誉心や復讐欲をどうしても制しきれない愛だって!なにもかもが何と東洋的であることだ!「私が君を愛したとて、それが君に何のかかわりがあろう?」──こういうだけでもすでにキリスト教全体に対する十分の批判である。(悦ばしき知識 第141番)』 >> > >>この文章でのニーチェの主旨について、私も同じような見解です。 > >> 「あまりにも東洋的」というのは、どういう意味なんだろう? > >>よかったら教えていただけますか。 >> >>さすが!鋭いですね。 >>結論から言うとよく分かりません。 >>ひょっとしたらヴェーダ神話とかウパニシャッド神話で神々が人間のような愛憎劇をやってますから、そのことを指しているのかもれませんが、自信はないです。
>>すんまそん。。。^^; > > いやいや〜、鋭くはぜんぜんなくぼんやりしてますぅ〜。。。(^▽^;) > > 「あまりにも東洋的」というのは、良い意味ではなく批判的に使っているのだろうな、というのは感じました。
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140番からの流れですと、ユダヤ教からの流れであるキリスト教の条件付きの神 つまり「人間が彼を信仰するならば、人間を愛してくれる神だって!この愛を信じない者には怖るべき眼光と威嚇を投げつける神だって!何ですって?全能の神の感情としての但し書きつきの愛だって!名誉心や復讐欲をどうしても制しきれない愛だって!」を批判し、それがパニチェさんのおっしゃるように、ヴェーダ神話とかウパニシャッド神話に似た愛憎劇になっているという理解でよいでしょうか? ただ、ヴェーダ神話とかウパニシャッド神話では神々間での愛憎劇になっている一方で、キリスト教は非常に感情的な神と人間との愛憎劇ですね。
142番では仏陀が出てきますね。
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