□投稿者/ おくたがわ -(2021/06/09(Wed) 18:07:14)
| 皆さん、こんにちは。 悦ばしき知識 第141番について私の読みを投稿させていただきます。
『あまりにも東洋的。──何ですって?人間が彼を信仰するならば、人間を愛してくれる神だって!この愛を信じない者には怖るべき眼光と威嚇を投げつける神だって!何ですって?全能の神の感情としての但し書きつきの愛だって!名誉心や復讐欲をどうしても制しきれない愛だって!』
ここまでが、東洋的発想の者ならば(キリスト教的発想への疑義として)言うであろうとニーチェが想定する発言。 そして、そういった疑義の 『なにもかもが何と東洋的であることだ!』とニーチェの感想。 さらに東洋の発想であれば 『「私が君を愛したとて、それが君に何のかかわりがあろう?」』と言うであろう。その一言だけでも、 『すでにキリスト教全体に対する十分の批判である。』
このように私は読みました。 floraさんご指摘のように、141番は140番の内容を受けており、さらに142番の内容へつながっていると思います(それはほぼ確実でしょう)。 それらを考慮しても、上記の読みをすれば辻褄が合い、『なにもかもが何と東洋的であることだ!』が「東洋的」を批判していると読むと、何を言っているのか分からなくなるのではないでしょうか。
もちろん 140番の翻訳文の形だけを見ると「東洋的」を批判していると読むのも自然だとは分かります。 ゆえに、そういった読みで、かつ前後関係の辻褄が合う解釈があれば考慮すべきとは思っています。
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