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■13972 / inTopicNo.85)  Re[46]: 悦ばしき知識 第346番
  
□投稿者/ みのり -(2021/06/11(Fri) 07:19:40)
    パニチェさん、とても長文での引用をありがとうございました。
    アフォリズムそのものはやはり、格調高く難しいです。
    ニーチェの熱い思い、情熱はひしひしと感じます。


    >そして、世界はわれわれが信じたほどの価値を有(も)たないということこそ、われわれの疑い深さが結局のところ手に入れた最確実なものだと言ってよかろう。疑い深ければ深いだけ、それだけ哲学がある。世界の価値が減少したなどと言わぬよう、われわれは十分に気を付けよう。

    この部分は解りやすいと思いますし集約された部分にも感じるので、引用させていただきました。

    世界にはもともと与えられた価値というものはない、ということが人間が疑い深く考え抜いてきた結果として手に入れた最も確実なものである、ということですね。

    そのことは悲観すべきことではなく、自分なりの価値創造をしていけばいいだけなのだ、という希望だと思います。


     次に進んでいきます。
引用返信/返信 削除キー/
■13974 / inTopicNo.86)  転載させていただきました。
□投稿者/ みのり -(2021/06/11(Fri) 07:30:21)
    アートポットさんのトピから引用させていただきます。

    ・・・・・
    知の巨人の広場に小人のワタクシが居ますが、
    これを許容してもらえないとワタクシとしては辛いのです。
    ろむ専しろと言われても、主張したいときもあるので、
    哲学初心者が得するように甘えん坊トピを維持したいのです。
    高校倫理ラジオを聞き始めましたっていう初心者の方や
    高校倫理の教科書を購入したよっていう方々の居場所になるトピックが少なくともワタクシには必要なのです。
    学生専用掲示板キャスフィにも哲学広場は無かったし、ワタクシはそもそも学生じゃないので。
    どうか、よろしくお願いいたします。
    ・・・・・

    アートポットさんの真摯な思いが伝わって来て心打たれました。
    私も初心者ですし、共に頑張っていけたらいいなと思います。
    無理なくマイペースで進んでいかれるといいですね。^^


引用返信/返信 削除キー/
■13976 / inTopicNo.87)  ニーチェ 5.
□投稿者/ みのり -(2021/06/11(Fri) 10:43:56)
    『生きるための哲学 ニーチェ[超]入門』白取春彦 著 を参考にさせていただいて
    ニーチェの哲学についてまとめていく、の5回目。

    〈永劫回帰、超人〉

    永劫回帰については、『読まずに死ねない哲学名著50冊』平原 卓 著
    を参考にさせていただきます。


    「この生が苦悩や矛盾で満ちあふれているとしても、これを是認すること。
    一瞬の幸福を糧に、あるがままの生を『然り』と肯定すること。
    この『ディオニュソス的肯定』こそ、私の哲学の目がけるところにほかならない。」

    ・・・・・・同書 p255より引用

    永劫回帰の世界観では、世界は無限に反復される円環運動である。
    キリスト教の世界観での、「最後の審判」により裁きを受けた後、永遠の祝福を受けることから真の生が始まるとされ、現世は仮の生とされる、というのとは対照的だと言える。

    永劫回帰の世界では、苦悩は無限に反復される。
    また、快や美、幸福も一度でも感じることがあれば無限に反復される。
    したがって苦悩も快楽も最終的にはともに等しく経験されることになり、このことに生を肯定されるきっかけがあるとニーチェは考えた。


    ニーチェの言う「超人」を表すに、永劫回帰の世界を肯定して生きる者という内容も含まれているようだ。(これについてはみのりの観たところ、になります。)

    さらに、倫理や宗教道徳、社会道徳、伝統、因習などを超え、自分で倫理道徳や価値観を創造して生きていく、そうした者を超人であるとニーチェは考えた。


    (感想)

    白取さんの本のp68〜69に、夏目漱石の『吾輩は猫である』でのニーチェの「超人」に触れた部分があるとの記述があり、それがおもしろいです。
    大男で髭が濃い人物が風呂場にいて、その姿は魔中の大王で、ニーチェの所謂超人だ、とあるそうです。
    夏目漱石は、超人というものを誤解していたんですね。

    永劫回帰という考え方は、本質的なところを突いた考え方だと私は感じます。
    人間に把握できるのは、今生きているこの生のみ。
    この生には、苦悩も多いけれど、楽しさや喜びも見出すことが可能です。
    自ら価値を創造していく、それは生きる喜びの一つだと思います。


    昨日テレビで拝見した92歳の女性。新聞広告のカラー部分を集めておいたので、
    野菜や食べ物を素材としたちぎり絵を作って楽しまれていました。
    生き生きとしてとても素敵な作品でした。
    超人のことを打っていたら、その女性のお姿を思い出しました。
引用返信/返信 削除キー/
■13977 / inTopicNo.88)  Re[49]: ニーチェ 5.
□投稿者/ みのり -(2021/06/11(Fri) 10:53:57)
    ディオニューソス(古希: ΔΙΟΝΥΣΟΣ, Διόνυσος, Dionȳsos)は、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。ゼウスとテーバイの王女セメレーの子。この名は「若いゼウス」の意味(ゼウスまたはディオスは本来ギリシア語で「神」を意味する)。オリュンポス十二神の一柱に数えられることもある。

    聖獣は豹、虎、牡山羊、牡牛、牡鹿、蛇、イルカ、狐、ロバで、聖樹は葡萄、蔦であり、先端に松笠が付き葡萄の蔓や蔦が巻かれたテュルソスの杖、酒杯、豊穣の角もその象徴となる。

    日本語では長母音を省略してディオニュソス、デオニュソスとも呼ぶ。別名にバッコス(古希: Βάκχος, Bakkhos)があり、ローマ神話ではバックス(Bacchus)と呼ばれ、豊穣神のリーベルと、エジプトではオシーリスと同一視された[1]。

    ・・・・・・ディオニュソスについて、Wikipediaよりお借りしました。

    ディオニュソスとは、ギリシャ神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神。
    バッカスという洋酒入りのチョコがあり大好きなのですが、ここから取られていたんだな〜。

    ニーチェはギリシャ神話の神々が好きだったそうですね。

引用返信/返信 削除キー/
■13996 / inTopicNo.89)  ディオニュソス
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/11(Fri) 21:20:15)
    こんばんは、みのりさん。

    No13972に返信(みのりさんの記事)
    > 世界にはもともと与えられた価値というものはない、ということが人間が疑い深く考え抜いてきた結果として手に入れた最も確実なものである、ということですね。
    > そのことは悲観すべきことではなく、自分なりの価値創造をしていけばいいだけなのだ、という希望だと思います。

    禿同!^^

    No13977に返信(みのりさんの記事)
    > ディオニュソスとは、ギリシャ神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神。
    > バッカスという洋酒入りのチョコがあり大好きなのですが、ここから取られていたんだな〜。
    > ニーチェはギリシャ神話の神々が好きだったそうですね。

    発狂前後にニーチェは自分を仏陀やディオニュソスの生まれ変わり、十字架にかかりし者などと称した手紙を送りつけています。
    ニーチェがディオニュソスを好んだのは混沌やカオス(世界のありさま)、陶酔と酩酊(生の燃焼)などなどです。

    次の投稿で永劫回帰に関するアフォリズムを引用しておきます。

引用返信/返信 削除キー/
■13998 / inTopicNo.90)  永劫回帰
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/11(Fri) 21:34:09)
    2021/06/11(Fri) 22:20:21 編集(投稿者)

    No13976に返信(みのりさんの記事)

    『最大の重し。──もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、こう君に告げたとしたら、どうだろう、──「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛をあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって、──さればこの蜘蛛も、樹間のこの月光も、またこの瞬間も、この自己自身も、同じように回帰せねばならぬ。存在の永遠の砂時計は、くりかえしくりかえし巻き戻される──それとともに塵の塵であるお前も同じく!」──これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンに向かい「お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!」と答えるだろうか。もしこの思想が君を圧倒したなら、それは現在あるがままの君自身を変化させ、おそらくは紛糾するであろう。何事をするにつけてもかならず「お前は、このことを、いま一度、いな無数度にわたって、欲するか?」という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう!もしくは、この究極の永遠な裏書と確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど君は自己自身と人生を愛惜しなければならないだろうか?──(悦ばしき知識 第341番)』

    『世界を、一定の力として、また一定数の力の中心として考えることが許されるとすれば──そしてあらゆるその他の考えはあくまで疑わしく、したがって役立ちえないとすれば──、このことから結論されるのは、世界は、その大々的なさいころ遊びをつづけながらも、算定しうる一定数の結合関係を通過しなければならないということである。無限の時間のうちではあらゆる可能な結合関係がいつかは達成されていたはずである。それのみではない、それらは無限回達成されていたはずである。しかも、あらゆる結語関係とその直後の回帰との間には総じてなお可能なその他すべての結合関係が経過したにちがいなく、これらの結合関係のいずれもが同一系列のうちで生ずる諸結合関係の全継起を条件づけているのであるから、このことで、絶対的に同一な諸系列の円環運動が証明されているはずである。すなわち、それは、すでに無限にしばしば反復された、また、無限にその戯れをたわむれる円環運動としての世界にほかならない。──こうした構想はただちに一つの機械論的構想ではない。なぜなら、もしそうであるとすれば、この構想が条件づけるのは、まったく同一の場合の無限の回帰ではなく、一つの終局状態となるからである。世界はそうした終局状態に達したことはかつてなかったという理由から、私たちは機械論を、不完全な、たんに暫定的にすぎない仮設とみなさざるをえないのである。(力への意志 第1066番)』

    永劫回帰と運命愛は表裏一体です。

    デーモンからの啓示に「然り!なんと神聖なことだ。」と全肯定するには、何かの岐路で「無数度にわたって繰り返されるとしても同じ決断をするか?」に「然り!」と答えられるような生を全うしなければならないことと、常に今に生きる(而今)か、あるいは絶えざる自己超克が必須となる。

    また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。
    永劫回帰を受け入れることは運命愛(自分の運命を愛する大いなる自己肯定)そのものであもあるというような教訓も含みます。

引用返信/返信 削除キー/
■14004 / inTopicNo.91)  Re[48]: ディオニュソス
□投稿者/ みのり -(2021/06/12(Sat) 07:06:34)
    パニチェさん、ありがとうございます。

    No13996に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、みのりさん。
    >
    > ■No13972に返信(みのりさんの記事)
    >>世界にはもともと与えられた価値というものはない、ということが人間が疑い深く考え抜いてきた結果として手に入れた最も確実なものである、ということですね。
    >>そのことは悲観すべきことではなく、自分なりの価値創造をしていけばいいだけなのだ、という希望だと思います。
    >
    > 禿同!^^

    よかった。^^

    > ■No13977に返信(みのりさんの記事)
    >>ディオニュソスとは、ギリシャ神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神。
    >>バッカスという洋酒入りのチョコがあり大好きなのですが、ここから取られていたんだな〜。
    >>ニーチェはギリシャ神話の神々が好きだったそうですね。
    >
    > 発狂前後にニーチェは自分を仏陀やディオニュソスの生まれ変わり、十字架にかかりし者などと称した手紙を送りつけています。
    > ニーチェがディオニュソスを好んだのは混沌やカオス(世界のありさま)、陶酔と酩酊(生の燃焼)などなどです。

    そうなんですね。病に苦しみながら執筆を続けたニーチェにとって、彼らは
    理想像というか一種の憧れでもあったのかな、と想像しました。
    >
    > 次の投稿で永劫回帰に関するアフォリズムを引用しておきます。

    いつもありがとうございます。 拝見しますね。
引用返信/返信 削除キー/
■14006 / inTopicNo.92)  Re[50]: 永劫回帰
□投稿者/ みのり -(2021/06/12(Sat) 07:23:58)
    No13998に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/06/11(Fri) 22:20:21 編集(投稿者)
    >
    > ■No13976に返信(みのりさんの記事)
    >
    > 『最大の重し。──もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、こう君に告げたとしたら、どうだろう、──「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛をあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって、──さればこの蜘蛛も、樹間のこの月光も、またこの瞬間も、この自己自身も、同じように回帰せねばならぬ。存在の永遠の砂時計は、くりかえしくりかえし巻き戻される──それとともに塵の塵であるお前も同じく!」──これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンに向かい「お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!」と答えるだろうか。もしこの思想が君を圧倒したなら、それは現在あるがままの君自身を変化させ、おそらくは紛糾するであろう。何事をするにつけてもかならず「お前は、このことを、いま一度、いな無数度にわたって、欲するか?」という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう!もしくは、この究極の永遠な裏書と確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど君は自己自身と人生を愛惜しなければならないだろうか?──(悦ばしき知識 第341番)』
    >
    > 『世界を、一定の力として、また一定数の力の中心として考えることが許されるとすれば──そしてあらゆるその他の考えはあくまで疑わしく、したがって役立ちえないとすれば──、このことから結論されるのは、世界は、その大々的なさいころ遊びをつづけながらも、算定しうる一定数の結合関係を通過しなければならないということである。無限の時間のうちではあらゆる可能な結合関係がいつかは達成されていたはずである。それのみではない、それらは無限回達成されていたはずである。しかも、あらゆる結語関係とその直後の回帰との間には総じてなお可能なその他すべての結合関係が経過したにちがいなく、これらの結合関係のいずれもが同一系列のうちで生ずる諸結合関係の全継起を条件づけているのであるから、このことで、絶対的に同一な諸系列の円環運動が証明されているはずである。すなわち、それは、すでに無限にしばしば反復された、また、無限にその戯れをたわむれる円環運動としての世界にほかならない。──こうした構想はただちに一つの機械論的構想ではない。なぜなら、もしそうであるとすれば、この構想が条件づけるのは、まったく同一の場合の無限の回帰ではなく、一つの終局状態となるからである。世界はそうした終局状態に達したことはかつてなかったという理由から、私たちは機械論を、不完全な、たんに暫定的にすぎない仮設とみなさざるをえないのである。(力への意志 第1066番)』
    >
    > 永劫回帰と運命愛は表裏一体です。
    >
    > デーモンからの啓示に「然り!なんと神聖なことだ。」と全肯定するには、何かの岐路で「無数度にわたって繰り返されるとしても同じ決断をするか?」に「然り!」と答えられるような生を全うしなければならないことと、常に今に生きる(而今)か、あるいは絶えざる自己超克が必須となる。
    >
    > また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。
    > 永劫回帰を受け入れることは運命愛(自分の運命を愛する大いなる自己肯定)そのものであもあるというような教訓も含みます。

    永劫回帰と運命愛は表裏一体ということなのですね。
    運命愛というのは、白取さんの本には出てこなかった言葉なので知れてよかったです。

    > また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。

    この部分にとても惹かれるというかそうでありたいものだ、と思いました。

    ニーチェ自身も病に苦しみましたが、その運命を全肯定し、常に今に生きて
    いたんですね。

    ニーチェ、やはりいいですね。
    勇気とともに固定観念に縛られず前向きに生きる大切さを教えてくれます。

引用返信/返信 削除キー/
■14008 / inTopicNo.93)  血でもって書かれた書
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/12(Sat) 08:41:19)
    2021/06/12(Sat) 09:04:30 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14006に返信(みのりさんの記事)
    >>また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。

    > この部分にとても惹かれるというかそうでありたいものだ、と思いました。
    > ニーチェ自身も病に苦しみましたが、その運命を全肯定し、常に今に生きていたんですね。

    はい、その通りだと思いますし、彼の病苦を救ったのは彼自身の哲学だと思います。
    誤解があってはいけないので念のために…上記の文章はニーチェが言うところの運命愛をパニチェ流に解釈したパニチェの言葉なので素っ頓狂の可能性もあります。^^

    『私は私であり、私の著作は私の著作であって、両者は別ものである。・・・私を多少とも理解したと思い込んだ人は、自分に合わせて、私を適当に拵え上げているまでであって──私自身とは正反対の像を拵え上げることも稀ではない。(この人を見よ なぜ私は良い本を書くのか1)』

    > ニーチェ、やはりいいですね。
    > 勇気とともに固定観念に縛られず前向きに生きる大切さを教えてくれます。

    共感いただき、正直嬉しいです。
    参考までにニーチェの自身の病苦に対するアフォリズムを引用しておきます。

    『病苦の時期にはわが身における何もかもが洗練された。観察それ自体だけでなく、観察の全器官も洗練されたのである。病者の光学から一段と健康な概念と価値を見渡し、また、これとは反対に豊富な生の充実と自信からのデカダンス本能の秘かな営みを見下すこと──これが私の最も歳月をかけた修行であり、私のほんとうの経験であって、もし私が何らかの点で達人になったのだとすれば、それはこの点においてであった。私は今やこの点をしっかり手中に収めている。物の見方を切替えることにかけては私はお手のものである。おそらく私にだけ、そもそも「価値の価値転換」などということが可能になる第一の理由は、ここにある。── 以上のような次第で、私は一個のデカダンなのであるが、それとは別に、私はデカダンの正反対のものである。その何よりの証拠は、ただ単なるデカダンであれば、心身の悪い状態にあるときに自分に不利な措置を講じるのが常であるのに、私は反対に悪い状態に逆らって本能的にいつも適切な措置を講じて来た、ということである。…《中略》…──心理学者なら誰でも承認しようが──根が健康であるということなのだ。典型的に病弱な人間は健康になることができない。ましてや自分で自分を健康にすることなど思いも及ばない。ところが、典型的に健康な人間にとっては、反対に、病気であることが、生きること、より多量に生きることへの強力な刺戟にさえなりえるのである。実際にこんな風に、今から考えると、あの永かった病苦の時代が私には偲ばれる。私は生をいわば新しく発見したのである。勿論、私自身の生も含めて。私は他の人々ならそう味わえそうもないようなすべての良い物事、小さな物事までをも、味わいつくした。──私は健康への意志、生への意志から、私の哲学を作り出した。…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。自己再建の本能が私に貧困と落剥の哲学を禁止したせいだった。(この人を見よ なぜ私はかくも賢明なのか1〜2)』

    主著である『ツァラトゥストラ』は1883年から1885年まで2年の歳月を要していますが、実際には健康の最低点にあった病気療養中に第二部は同年7月にシルス・マリアで、第三部は翌1884年1月にニースで、第四部はさらにその翌年の1885年の2月に同じくニースで、何れも第一部同様、10日間という短い日時の間に一気に書き上げています。この時期のニーチェの精神は身体とは真逆に最高点に達していたように思われます。

    またある種の見性体験である(パニチェはそのように考えています)永劫回帰の受胎も1881年の8月に病気療養ため訪れていたシルス・マリアのシルヴァプラナ湖畔を散歩中、巨大な尖った三角岩のほとりで起きます。
    ニーチェのアフォリズムがある意味では危険なほどに説得力があるのは彼が彼自身のためにツァラトゥストラの言葉を借りて言えば「血でもって書かれた」文章であるからだと思います。

    『すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いてあるものだけを、愛する。血をもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。(ツァラトゥストラ 読むことと書くことについて)』

引用返信/返信 削除キー/
■14019 / inTopicNo.94)  パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/06/12(Sat) 10:26:46)
    このトピでテスト削除したら、できました。
    いやはや。。。ほんと、すみませんでした。<(_ _)>


     ニーチェの引用、ありがとうございました。
    また、じっくりと読ませていただきます。
引用返信/返信 削除キー/
■14052 / inTopicNo.95)  Re[52]: 血でもって書かれた書
□投稿者/ みのり -(2021/06/13(Sun) 07:40:30)
    パニチェさん、引用とレスをありがとうございます。

    No14008に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/06/12(Sat) 09:04:30 編集(投稿者)

    > ■No14006に返信(みのりさんの記事)
    > >>また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。
    >
    >>この部分にとても惹かれるというかそうでありたいものだ、と思いました。
    >>ニーチェ自身も病に苦しみましたが、その運命を全肯定し、常に今に生きていたんですね。
    >
    > はい、その通りだと思いますし、彼の病苦を救ったのは彼自身の哲学だと思います。
    > 誤解があってはいけないので念のために…上記の文章はニーチェが言うところの運命愛をパニチェ流に解釈したパニチェの言葉なので素っ頓狂の可能性もあります。^^

    パニチェさんの解釈、解りやすくて説得力を感じますよ。^^

    > 『私は私であり、私の著作は私の著作であって、両者は別ものである。・・・私を多少とも理解したと思い込んだ人は、自分に合わせて、私を適当に拵え上げているまでであって──私自身とは正反対の像を拵え上げることも稀ではない。(この人を見よ なぜ私は良い本を書くのか1)』
    >
    >>ニーチェ、やはりいいですね。
    >>勇気とともに固定観念に縛られず前向きに生きる大切さを教えてくれます。
    >
    > 共感いただき、正直嬉しいです。
    > 参考までにニーチェの自身の病苦に対するアフォリズムを引用しておきます。
    >
    > 『病苦の時期にはわが身における何もかもが洗練された。観察それ自体だけでなく、観察の全器官も洗練されたのである。病者の光学から一段と健康な概念と価値を見渡し、また、これとは反対に豊富な生の充実と自信からのデカダンス本能の秘かな営みを見下すこと──これが私の最も歳月をかけた修行であり、私のほんとうの経験であって、もし私が何らかの点で達人になったのだとすれば、それはこの点においてであった。私は今やこの点をしっかり手中に収めている。物の見方を切替えることにかけては私はお手のものである。おそらく私にだけ、そもそも「価値の価値転換」などということが可能になる第一の理由は、ここにある。── 以上のような次第で、私は一個のデカダンなのであるが、それとは別に、私はデカダンの正反対のものである。その何よりの証拠は、ただ単なるデカダンであれば、心身の悪い状態にあるときに自分に不利な措置を講じるのが常であるのに、私は反対に悪い状態に逆らって本能的にいつも適切な措置を講じて来た、ということである。…《中略》…──心理学者なら誰でも承認しようが──根が健康であるということなのだ。典型的に病弱な人間は健康になることができない。ましてや自分で自分を健康にすることなど思いも及ばない。ところが、典型的に健康な人間にとっては、反対に、病気であることが、生きること、より多量に生きることへの強力な刺戟にさえなりえるのである。実際にこんな風に、今から考えると、あの永かった病苦の時代が私には偲ばれる。私は生をいわば新しく発見したのである。勿論、私自身の生も含めて。私は他の人々ならそう味わえそうもないようなすべての良い物事、小さな物事までをも、味わいつくした。──私は健康への意志、生への意志から、私の哲学を作り出した。…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。自己再建の本能が私に貧困と落剥の哲学を禁止したせいだった。(この人を見よ なぜ私はかくも賢明なのか1〜2)』

    >今から考えると、あの永かった病苦の時代が私には偲ばれる。私は生をいわば新しく発見したのである。勿論、私自身の生も含めて。私は他の人々ならそう味わえそうもないようなすべての良い物事、小さな物事までをも、味わいつくした。──私は健康への意志、生への意志から、私の哲学を作り出した。<

    病があったからこそ生への意志が生まれ、ニーチェ独自の哲学が生まれたのですね。
    病という苦しみも全肯定していたニーチェですね。

    > 主著である『ツァラトゥストラ』は1883年から1885年まで2年の歳月を要していますが、実際には健康の最低点にあった病気療養中に第二部は同年7月にシルス・マリアで、第三部は翌1884年1月にニースで、第四部はさらにその翌年の1885年の2月に同じくニースで、何れも第一部同様、10日間という短い日時の間に一気に書き上げています。この時期のニーチェの精神は身体とは真逆に最高点に達していたように思われます。

    引用文中に、
    >…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。<

    とあります。
    これは、『ツァラトゥストラ』第二部、第三部、第四部をそれぞれ10日間という短期間で一気に書き上げた時期のことを指しているのでしょうか?

    また、ニーチェは執筆活動をしていた頃には国籍を持たず、各地で療養しながら暮らしていたとも聞いた気がします。
    国籍を持たないというのは本当にそうだったのでしょうか?
    よかったらこれについても教えていただけますか。^^

    > またある種の見性体験である(パニチェはそのように考えています)永劫回帰の受胎も1881年の8月に病気療養ため訪れていたシルス・マリアのシルヴァプラナ湖畔を散歩中、巨大な尖った三角岩のほとりで起きます。

    1881年ということは、『ツァラトゥストラ』を書く前ですね。
    永劫回帰というのは、考え抜いて出来たものというより一瞬の閃きにより生まれたものだということでいいのですか?

    > ニーチェのアフォリズムがある意味では危険なほどに説得力があるのは彼が彼自身のためにツァラトゥストラの言葉を借りて言えば「血でもって書かれた」文章であるからだと思います。
    >
    > 『すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いてあるものだけを、愛する。血をもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。(ツァラトゥストラ 読むことと書くことについて)』

    たしかに! 血をもって書け のアフォリズムにも気迫が感じられますね。
引用返信/返信 削除キー/
■14060 / inTopicNo.96)  永劫回帰と画餅
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/13(Sun) 10:35:10)
    2021/06/14(Mon) 20:06:26 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14052に返信(みのりさんの記事)
    > パニチェさんの解釈、解りやすくて説得力を感じますよ。^^

    あっ、そうですか。ありがとうございます。
    くれぐれも曲解や誤解があると思うので、よろしくお願いします。
    みのりさんが解釈したニーチェがみのりさんにとってのニーチェです。(; ̄へ ̄)ノ〃キッパリ!

    > 病があったからこそ生への意志が生まれ、ニーチェ独自の哲学が生まれたのですね。
    > 病という苦しみも全肯定していたニーチェですね。

    そうだと思います。

    > 引用文中に、
    > >…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。<

    > とあります。
    > これは、『ツァラトゥストラ』第二部、第三部、第四部をそれぞれ10日間という短期間で一気に書き上げた時期のことを指しているのでしょうか?

    『この人を見よ なぜ私はこんなにも賢明なのか』では「36歳の時私は私の活力の最低点に達した」「その翌年の冬、それは私がジェノヴァで過ごした最初の冬なのだが、私にはすべてが甘美に霊的に思われるようになった。こういう状態は、血液と筋肉との極度の貧困に伴って現れるということはほぼ確かなのだが、とにかくこれが『曙光』を生み出したのである。」とありますから、著作で言うと『曙光』(1881年6月)、『悦ばしき知識』(1882年8月)だと思います。

    この二書はまさしくニーチェ哲学の夜明けであるとともに、主著『ツァラトゥストラ』へ続く左右の門扉です。
    また、ツァラトゥストラの第一部が完成するのは1883年1月であるということ、永劫回帰の受胎が1881年8月であったことからすれば、やはり1880年〜1882年のこの時期にツァラトゥストラの構想も成立しており、ニーチェの精神が最も快活な時期を迎えたのだと思います。

    > また、ニーチェは執筆活動をしていた頃には国籍を持たず、各地で療養しながら暮らしていたとも聞いた気がします。
    > 国籍を持たないというのは本当にそうだったのでしょうか?
    > よかったらこれについても教えていただけますか。^^

    ニーチェはバーゼル大学員外教授、ライプツィヒ大学博士を授与された1869年(25歳)に当時のプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部)から除籍しており、スイス国籍を取得しなかったことから無国籍となったようです。

    > 1881年ということは、『ツァラトゥストラ』を書く前ですね。
    > 永劫回帰というのは、考え抜いて出来たものというより一瞬の閃きにより生まれたものだということでいいのですか?

    そのようです。以下が永劫回帰を受胎した時の様子に触れたニーチェのアフォリズムです。
    なんか禅的な見性体験のように私には思えます。道元禅師著『正法眼蔵 画餅』と相通じるものがあります。

    『完全な忘我の状態にありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、このうえなく明確に意識している。これはまた幸福の潜む深所でもあって、そこでは最大の苦痛も最高の陰惨さも幸福に逆らう反対物としては作用せず、むしろ幸福を引き立てるための条件として、挑発として、いいかえればこのような光の氾濫の内部におけるなくてはならない一つの色どりとして作用するのである。これはまたリズムの釣り合いを見抜く本能でもあって、さまざまな形の広大な場所を張り渡している。──その長さ、広く張り渡されたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの圧力と緊張に対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…いっさいが最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。しかも、自由の感情の、無制約的な存在の、権力の、神的性格の嵐の中にあるようにして起こる。…形象や比喩が自分の思いの儘にならぬことは、最も注目に値する点だ。われわれはもう何が形象であり、何が比喩であるのかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な表現となって、立ち現れる。実際、ツァラトゥストラの言葉を思い出して頂くなら、事物の方が自らに近寄って来て、比喩になるよう申し出ているかのごとき有様にみえる。(この人を見よ ツァラトゥストラ)』

    『諸仏が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験するとき、おのおのの体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。これが仏道の明確な教えである。それを、諸仏と万物が同一であるか異なっているかという分別によって学んではならない。そのため「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」というのである。一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことではない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。強いて対立をなくそうすることは、こだわることである。体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に通じる。このように、一つのことを体験するということは、そのものになりきることである。そのものになりきるということは、すべてのものになりきることである。(正法眼蔵 画餅「誠信書房刊 現代訳 正法眼蔵」より)』


    PS.継続でよければ「白猫様には敵わない2」をつくっておきましょうか?

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