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No44477 の記事


■44477 / )  Re[33]: :つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/10/18(Sat) 15:41:05)
    No44435につづけてフッサールの「原自我」についてお喋りしようと思ったんだけど、その前に。

    カントの「意識」を〈コギト(私は考える)〉ってわたし見ることにしてるんだけど、
    現象学における「意識」について、復習してた。

    No37239の「受動的総合/能動的総合」から、
    (a)意識の原形式を「総合(Synthesis)」とし、「流れ去る多様の統一」と規定している。
    (b)総合は受動的総合と能動的総合とに分けられる。

    No44415の(K-F)のようななかで、カントのとフッサールのを見くらべて現時点でわたしに見えたのを書いて見ると、

    @カントも「総合(Synthesis)」っていうのを使ってる感じしてる。たとえば「総合的認識」みたいに。これ、「統覚(Apperzeption)」と似たような意味で使われてる感じしてる。
    「統覚」については
    No44424で、カントのとフッサールのを比べて見た。
    Aわたし「意識」と「認識」は区別して見てるなかでなんだけど、(b)はカントが人間の認識を「感性」と「悟性」に分けてるのと似てる感じ。
    こういうなかで、
    A「感性」≒「受動的総合」、「悟性」≒「能動的総合」ってして見てる。
    Bカントの場合、「感性」は〈現象(Erscheinung)と直観(Anschauung)〉で、「悟性」は〈考えること〉ってして見て、
      あと、カントの場合、「経験的」に拠るものとして「経験的統覚」と、経験に拠るものではない「根原的統覚・純粋統覚・超越論的統覚」とに分けられているみたい。
    Cフッサールの「受動的総合」は〈感覚-知覚〉で、「能動的総合」を〈思考〉、ってわたし見てる。
    Dメルポンのを見ると、もっと簡単に、〈知覚〉と〈知能〉って分けてるみたい。
    で、まとめて見て、
    E「感性」≒「受動的総合」≒感じること(感覚-知覚)、「悟性」≒「能動的総合」≒思考すること。
    ってして見てる。

    ちなみに、わたしの「意識」っていうのはNo43305で見たようなんだけど、あと、現象学のに倣って「意識」は「潜在」と「顕在」とに分けてる。そして「潜在」=「地」、「顕在」=「図」ってして見てて、前者を〈無意識的〉後者を〈意識的〉ともして見てる。だから、わたしのばあい〈無意識〉っていう「意識」もある、ってして見てる。
    あと、現象学では「地平」っていう言い方もあるみたいで、「潜在的地平」と「顕在的地平」っていう見方もしてる見たい。だから、「地」にも「図」にもそれぞれの〈潜在〉と〈顕在〉がある、って見てる。

    フッサールの、「受動的総合」――わたしこれ、〈感覚-知覚における綜合〉ってして見るのね。「能動的総合」――わたしこれ、〈考えることによる綜合〉ってして見るのね。そして、〔能動的総合〈考えることによる綜合〉はすべて受動的総合〈感覚-知覚における綜合〉を土台にして行われる〕っていうふうになってるんだと見てる。
    フッサールの場合、「受動的総合」と「能動的総合」は区別されてて、「受動的総合」〈感-知覚における綜合〉、わたしこれ、〈感覚-知覚〉の領域にも〈総合〉の働きがある、ってして見てるのね。
    ここらへんがカントのと違うところなのかも、って。
    っていうのはね、
    カントのを見て見ると、
    No43732
    (Eb2)に、〔第一版では知覚と判断のレベルが明確に区別されてる〕ってあって、
    わたしこの〔判断〕っていうのを、――悟性による、例えば「qはpである」みたいな、考えることによって考えられたものってして見てるんだけど。
    (Eb3)に、〔第二版の演繹論では、…第一版で三段に分けていた綜合を「形態的総合」という概念で一挙に説明しようとする〕ってあって、
    わたしこの「形態的総合」っていうのをカントの「図式論」って見てるんだけど。
    そして結局、
    No43773の、
    (Eb4)にあるように、第二版では〔知覚ですらカテゴリーに従わざるを得なくなる〕っていうふうに、
    カントは、カントが考え出した「カテゴリー(純粋悟性概念)」に、〈知覚する働き・知覚されたもの〉を従わせる(包摂する)ようになっていった、ってわたし見てる。
    こういうのから、
    フッサールのとカントのを見比べてまとめて見ると、

    (FA1)フッサールの場合、〈感-知覚〉と〈思考〉に分節されてて、〈感-知覚〉の領域にも総合作用があって、〈感-知覚〉によって綜合されたものを土台として〈思考〉による綜合がおこなわれてる。

    (FA2)カントの場合、認識が〈感-知覚〉と〈考えること〉に分節されてるけど、(第一版で分節されていたものが第二版で)結局、〈感-知覚〉はカントの考え出したカテゴリー(純粋悟性概念)に包摂され、「直観における覚知の総合」っていうのもあるにしても、それはあくまでも〈考えること〉のうちでの総合。

    だいたいこんなふうにわたし見てる。
    こういうの、
    No41075で見たようなのと絡まってくる感じ。

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