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Re[31]: :つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/10/13(Mon) 08:46:27)
| 連休だし、少しお喋りする。
No44415の(K-F)のようななかで、これまで見てきたカントのと現象学のを見くらべて見てるところ。
カントのでは、 No44110の、Oに 『統覚は自己意識である』 No44106に、 「統覚」としての「私」 そして、 No44106の(NtS)から、 「自我」=作用体=超越論的統覚 っていうことみたいんだんだけど、 でね、 「Apperzeption(統覚)」っていう語、カントのとフッサールのをくらべて見たのね。
No11393のを見て、((FD)っていうのは、No41741(F-D)のことね)
@にあるように、 フッサールのは、 統覚には二種類あって、区別されてる。 (Fa1)一つには、その発生からして純粋に原初的領分に属するような統覚。 (Fa2)もう一つには他我という意味とともに現れ、より高次の発生のおかげで、この意味のうえに新しい意味を積み重ねるような統覚。
Aで、 フッサールのは、 (Fa3)さまざまな把握を取りまとめて統一的に知覚すること カントのは、 No41672(本Ko)のP172で、御子柴さんによると、 〔統覚と訳されるApperzeptionという単語は、apとPerzeptionから成り立っています。Perzeptionは見てのとおり「知覚」です。これは意識にとって受動的な事態です。それにap(=ad)が付されていることで、意識の方向が変わります。adは〈対する〉という意味をもつので、Apperzeptionは知覚に〈対して〉それを統べるという自発的な機能を意味する用語になるのです。〕 っていうことみたいで、わたし〔自発的〕っていうのを〈考えること(悟性)〉ってして見てるから、 (Ka)知覚に〈対して〉それを統べるという考える機能 ってなる。 カントのもフッサールのも、ap(Ad)+Perzeption →Apperzeptionで、「統一」とか「統べる」、なんだけど、 カントのは〈考えることにおけるもの〉で、フッサールのは〈知覚においてのもの〉って、わたしには見える。
No43733に、〔知覚ですらカテゴリー(純粋悟性概念)に従わざるを得なくなる〕っていうのもあるし、 だから、カントの統覚っていうの、(Fa2)の方になるのかな?、って。
わたし当然フッサールの方のに倣ってるよ。
ちなみにわたしばあい、(Fa1)と(Fa2)を語で区別して見てる。 現象学では、「(独)Auffassung(統握)」っていうのがあって、<ネットの「ドイツ語−日本語 辞書」で調べて見たら「概念・見解・解釈・考え・思想・意見・見方・立場…」って訳されてた>っていうことから、 (Fa1)を統覚Apperzeption (Fa2)を統握Auffassung ってして見て区別してる。 あ、これはわたし勝手な語による区別なんだけどね。
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