| ■43733 / ) |
Re[40]: つれづれなるままに 20
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/07/11(Fri) 18:09:30)
| No43732の(Eb3)に続けて、
(第二版では) (Eb4)――――― 興味深いのはカテゴリーが既に「あらゆる把捉の綜合の条件として」考えられていることである。 このあらゆる把捉とは、我々の内から産出される純粋直観のアプリオリな多様、そして、 我々の外から経験的に獲得される感性的直観の多様という二種類の多様を把捉することを意味している。 カテゴリーが経験的な多様の把捉の条件であるとすれば、知覚ですらカテゴリーに従わざるを得なくなる。(vgl.ibid.B164f.) 言い換えれば、我々が対象の知覚像を通じて対象を認識する限り、我々はその都度カテゴリーの客観的実在性を確認していることになる。 ―――――(p7) ってある。 〔知覚ですらカテゴリーに従わざるを得なくなる〕っていうと。 No41075の、 (c-p)私たちが何かを〈知覚すること〉において、“すでに”概念的思考〈思考による概念〉が伴ってる(組み込まれている)。 につながると思う。 っていうか〜、 カントは、『純粋理性批判』で、「知覚」を、カントが考え出した「純粋悟性概念(カテゴリー)」に従わさなければならない、っていことをたくらんでた、っていうふうにわたしには見れるのね。
|
|