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Re[2]: つれづれなるままに 21
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/09/06(Sat) 18:48:24)
| No44109のつづきね
No43913(本Kc)(p163〜164)から、 (1)――――――――――――― @ところでもし我々が、表象のかかる結合の内的根拠を求めて、一切の表象が合一する点まで追求し、この点において初めて可能的経験に必要な認識の統一を得ようとするならば、我々は純粋統覚から始めねばならない。 Aもし直観が、直接にせよ或いは間接にせよ、意識のなかへ取り入れられ得なければ、およそ直観は我々にとって無であり、我々にいささかも関係がないだろう、また認識は、直観がこのように我々の意識のなかへ取り入れられることによってのみ可能なのである。 B我々は、いつでも或いはいつかは、我々の認識に属し得るような一切の表象に関して、自分の完全な自己同一性を、一切の表象を可能ならしめる必然的条件として意識している C(我々のうちにある表象は、それが諸他いっさいの表象と共に一つの意識に属し得るし、従ってまたこの意識において少なくとも結合せられ得ねばならないということによってのみ、何か或るものを表示するからである)。 Dこの原理は、ア・プリオリに確立されている、 Eそして我々の表象における(従ってまた直観における)一切の多様なものの統一の先験的原理と名づけられてよい。 Fところで主観における多様なものの統一は綜合的である、それだから純粋統覚は、一切の可能的直観における多様なものの綜合的統一の原理を与えるところのものである*。 (2)――――――――――――――――――― *この命題は非常に重要であるから、十分に注意してほしい。 Gおよそ表象は、すべて可能的な経験的意識に必然的に関係する。もし表象がかかる関係をもたないとすると、またこの関係を意識することがまったく不可能だとすると、表象はまるきり存在しないというのと同じことになるだろう。 Hしかしおよそ経験的意識は、先験的(個々のいかなる経験よりも前にある)意識に対して、即ち根原的統覚としての私の自己意識に対して必然的関係をもつものである。 Iそれだから私の認識において、一切の意識が一つの意識(『私』という自己意識)に属するということが絶対に必要である。 Jここに多様なものの(意識)の綜合的統一がある、この統一がア・プリオリに認識されて、純粋思惟に関するア・プリオリな綜合的命題の根拠をなすのは、空間および時間が純粋直観の形式に関する綜合的命題の根拠をなすのとまったく同様である。 K種々な経験的意識は、すべて一つの自己意識において結合せられていなければならない、という綜合的命題は、我々の思惟一般の絶対に根原的な綜合の原則である。 Lしかし『私』という単なる表象が、諸他いっさいの表象(これらの表象の集合的〔全体的〕統一を可能ならしめるのは、この『私』という表象である)に関しては先験的意識である、ということに留意せねばならない。 Mところでこの『私』という表象が、(経験的意識として)明瞭であるか或は不分明であるかはこの場合まったく問題にならない、それどころかこの表象は、経験的意識の現実性にすら関係しないのである。むしろ一切の認識の論理的形式の可能は、唯一の能力としてのかかる〔先験的〕統覚に対する必然的関係に基づいているのである。 ―――――――――――――――――
ちょっとだぶるところあるけど、(1)(2)に関係するところとわたしに思われるところを、できるだけ省略して抜き出たよ。 〔事項索引〕から――――――――――――――― N(11)およそ経験的意識は先験的意識すなわち根原的統覚としての私の自己意識に必然的に関係する、 それだから私の認識において一切の意識が一つの意識((私)という自己意識)に属することが絶対に必要である A117A O統覚は自己意識である 68 P統覚は一切の可能的表象における完全な自己同一性である A166 Q(私は考える)という表象を純粋統覚あるいは根原的統覚と名づけて経験的統覚から区別する。純粋統覚は(私は考える)という表象を産出する自己意識であって他の統覚から導出せられ得ないものだかである 132 R一切の経験的意識には純粋統覚がア・プリオリにその根的に存する A116 S純粋統覚は、一切の可能的直観における多様なものの綜合統一の原理である A117 ㉑根原的統覚においては一切のものは自己意識の完全な統一の条件に必然的に適合せねばならない。A111 ㉒根原的統覚は一切の表象を総括する内感に関係し、しかも内感の形式に、換言すれば時間における経験的意識(即ち多様な内容を含むところの意識)にア・プリオリに関係する。220 ㉓直観における多様なものの綜合、客観一般の概念の綜合および経験の一切の対象の綜合に必然性を与えるところの根原的、先験的条件が即ち先験的統覚である。A106 ㉔意識統一の先験的条件が先験的統覚である。 A107 ――――――――――――――― (〇番号はわたしが付けたのね) (1)、(2)のところ、本文読んでる人には承知かもだけどカントのわたしの物語りを書くときにははずせないところかな?って思って。 だって、ほら、カント、『この命題は非常に重要であるから、十分に注意してほしい』って言ってるみたいだし。
きょうはここまでにしとく、ここんとこについてのわたしの見えについては後でね。
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