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池乃めだかことザビビの藁人形製フクロウ
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□投稿者/ 毒入りパニチェ -(2021/11/20(Sat) 09:11:39)
| 2021/11/23(Tue) 16:40:01 編集(投稿者)
「毒入りパニチェ 食べたら死ぬで」 十数年ぶりの台詞やん!C= C= C=C= C= C= (((((( *≧∇)ノノノ キャー
これはこれは、できるだけ相手の主張を理解しようと努め、よっぽどのことがない限り理解できるつもりであるにもかかわらず、全く永井哲学を理解していないくせにアンチ永井などとほざき、大嘘つきで藁人形論法と後出しジャンケンと印象操作が得意で、聞いてもないことを長々とペロペロ語りまくるが、突っ込まれだすと急に無口で自閉的なレスしかできなくなるザビビの藁人形製フクロウさん(以下、“藁梟”と表記)、おはようございます♪深夜にご苦労なこっちゃのぉ〜。
あのな、わしゃ藁梟と違って数日レスがなくとも「逃走だぁ!」とか「論破完了だぁ!」などと床に転んで手足をバタバタさせながらわめき散らす駄々っ子みたいなレスは付けんし、連続レスでたたみかけるようなことは(昔はしたがw)せぇへんから、心置きなくリアル優先、仕事に集中せぃ!
それでは皆さん、毒入りパニチェによるロンパールームのはじまりです。。。。 「鏡よ、鏡よ、鏡さん、藁梟の藁人形論法や後出しジャンケン、論点すり替えを映して下さいな、そぉ〜っと映して下さいな。。。。」
■No19139に返信(ヴィランの梟さんの記事) > >>私の主張は、次にはっきりと書いているわけです。 > >> No18176 > >> ただ、私の主張は,簡単に言うと、 > >> 1. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」は、『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである。
これは、わしがNo18159で「上記のザビビのふくろうさんの反論はウィトゲンシュタインと永井哲学とパニチェが探究しているテーマが混在しており、これを混同した上での反論や批判、つまり藁人形論法になっているということです」と指摘した後のレスNo18176や。時系列をハッキリしとくで。
> >ザビビの藁人形製フクロウは主張を変えとるやん。 > >もともとは「少なくとも『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません。(No18151)」やろ。 > べつに本質的に内容は変えてないよ。 > No18151の時点では、板杉くんが自分の「先言の〈私〉」と『論考』の形而上学的主体である〈わたし〉(=示されるべき独我論的主体である〈わたし〉→以後、〈わたし〉と表記)との異同についてどう考えているか不分明だったから、「少なくとも」と書いたって言ったやん。
はい、論点のすり替え。「少なくとも」を付けるかどうかやない。 「AとBは同じものではない」と「AとBは全く異なるものである」は違う。主張を変えとると言うてんねん。 先の“因幡の白兎”と“ウサギとカメ”で違いをちゃんと示しとるやろ(耳が長い、跳ねる、白いウサギは同じ等々)、それをスルーして論点をすり替えるなんて小堺一機やのぉ〜。なんでそうなるの!以下や。
>>「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは全く異なるものである」 >> 正しい→全く異なる?耳は長いし、ヒョンピョン跳ねるし、ともに白いうさぎ(“ウサギとカメ”のウサギも白兎だとすれば)だろ。 >>間違い→同じって?何でワニを並べて川を渡ろうとした白兎と油断してカメに競争で負けたウサギが同じやねん!物語も違うし役も違うやろ
>>「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じものではない」 >> 正しい、よってザビビの藁人形製フクロウは、もともと「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べていないパニチェに対して、あたかも「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べているかのように歪めて長々と反論のレスを付けた(No18151) >>紛れもない藁人形論法1やろ
「AとBは同じものではない」と「AとBは全く異なるものである」は、同じか、違うか、どっちや?
さらにNo18150で藁梟は。。。 > ただ、パニチェさんが、ご自身の考えとウィトゲンシュタインの考えとの異同をどう考えてらっしゃるのかが未だ把握できていないので、そのあたり、的外れになったら申し訳ありません。・・・(1) > とは言え、あまり細かい議論をする余裕がありませんので、パニチェさんの『論考』に関する知識を前提にして、なるべく簡潔に、かつ、できるだけ本質的な点に絞って爆弾投下したいなと思っています。気持ちとしてはできるだけ、パニチェさんの足元の地面を揺るがすくらいに(笑)。・・・(2)
(1)は単なるエクスキューズ、このレスの直後に続くNo18151は(2)をメインとした反論。論旨は(2)や。 で、No18151は「比類なき先言の<私>」と「『論考』の私」は同じということをパニチェは主張しているという前提でのレス、これが藁人形論法や。 もし藁人形論法ではないと主張したいなら、No18151で「パニチェの考えとウィトゲンシュタインの考えとの異同をどう考えてらっしゃるのかが未だ把握できていない」なんてことを前提にしたカキコがあるなら、持ってこいや。それができなければ藁人形論法決定やな。
しっかし藁梟は自分で言うとるもたいに「できるだけ相手の主張を理解しようと努め、よっぽどのことがない限り理解できるつもりである」なら、「比類なき先言の<私>」と「論考の私」は同じですか?と質問するやろ。普通の頭なら。言うてることとやってることが支離滅裂というか口先で綺麗ごとをほざく、単なるええかっこしぃや。
> もし仮に、きみがそれらは同一やと主張しているのなら、 > 先言の〈私〉≠ 『論考』の〈わたし〉 > と私が主張した時点で、同時に、きみの「それらは同一や」という主張は間違いやっていう主張を論理的に含意してしまうわけよ。 > しかし、その時点では、きみがどう考えているかわからないから、そこまで言う気はない、少なくとも、 > 先言の〈私〉≠ 『論考』の〈わたし〉 > は正しいと、私は主張しているんですよ、と言うてるわけや。
はい、あと出しジャンケン。 藁梟が「先言の〈私〉≠ 『論考』の〈わたし〉」とカキコしたんはわしが指摘した後。 しかもわしのレスは「混同してる」つまり「同じではない」という指摘であるにもかかわらず、藁梟は「「比類なき先言の<私>」は、『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである」と捻じ曲げた上で「私としては何も問題ありません(No18176)」ってカキコしとるやん。自分の主張は変更するし、相手のレスは捻じ曲げるし(藁人形論法)、これ意識的なら相当不誠実というか悪質やし、知らんとやってるなら単なるノ〜タリンやろ。
> >「比類なき先言の<私>」は『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである」と「『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません」が一緒になるんかい? > そりゃそうだよ。 > 「『論考』の〈私〉」というのは、世界の限界たる〈わたし〉であり、語られず示される独我論的主体であり、形而上学的主体のことだからね。これらはすべて同じじゃん。 > だから、全部きみの「先言の〈私〉」と同じじゃない、全く異なるものだ、ってことだよ。いったい何がわからんの?
これ何を説明してるんや? 繰り返すが、わしの質問は「A(論考の「私」)とB(比類なき先言の<私>)は全く異なるものである」と「A(論考の「私」)とB(比類なき先言の<私>)は同じものではありません」は一緒になるんか?ならんやろ、と言うてねん。 これに対して「A(論考の私)はA1(世界の限界たる「私」)やA2(語られられずに示される「わたし」)であるA3(独我論的主体)のことだからね。これらはすべて同じじゃん」って誰のどういう主張や質問に対する返信やねん?
> だから、全部きみの「先言の〈私〉」と同じじゃない、全く異なるものだ、ってことだよ。いったい何がわからんの?
あのな〈私〉という表記を全く理解してないし、紛らわしいから「私」とか、「わたし」と表記しろ。
で、比類なき先言の<私>と論考の「私」が全く異なるものであると言えるのは、比類なき先言の<私>がどういうものか分かった上でしかありえんやろ。
「jbsdあ;おづsdasd」と論考の「私」は一緒なんか?それとも全く違うのか? 「jbsdあ;おづsdasd」が何のことか分からんかったら、同じか全く異なるかどうかも分からんやろ?
ほな、聞くが「比類なき先言の<私>」って藁梟は分かってるんか? ずっと逃げ続けてるけど、永井氏とパニチェが共通して用いている〈私〉ってのを説明してみろ。
> >「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じものではない」 > >正しい、よってザビビの藁人形製フクロウは、もともと「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べていないパニチェに対して、あたかも「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べているかのように歪めて長々と反論のレスを付けた(No18151) > >紛れもない藁人形論法1やろ > >あたかも「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べているかのように歪めて長々と反論のレスを付けた(No18151)
> ってさ、いったい具体的にどこなのさ? > その私が「歪めて」いるという部分を引用してもらおうかね。
藁梟は相手のレスちゃんと読んでるんか?自分に都合の悪いところは目をつむっとるんかいのぉ〜。何度も引用しとるやろ。
まずはNo18151のレスそのものが「比類なき先言の<私>と『論考』の[ 「私」が同じもの」と主張している前提での反論。「というわけで、少なくとも『論考』の「私」は、先言の〈私〉と同じものではありません。」ってカキコしてるやろ。忘れたんか?
「少なくとも『論考』の「私」は、「先言の〈私〉」と同じものではありません。」とわしに対してレスするのは「『論考』の「私」は、「先言の〈私〉」と同じもの」とパニチェが主張していると藁梟が誤解しているから、No18151論旨になっとるし、これが藁梟的には「パニチェさんの『論考』に関する知識を前提にして、なるべく簡潔に、かつ、できるだけ本質的な点に絞って爆弾投下したいなと思っています。気持ちとしてはできるだけ、パニチェさんの足元の地面を揺るがすくらい」の論旨になるってことやろが。 あと出しジャンケンで誤魔化すのも大概にしいや。
次は。。。。 No18962 > 私は、板杉くんの主張の不整合を指摘しNo18177、『論考』の思想に依拠して、無意味だと論証したNo18151。
上記は“因幡の白兎(比類なき先言の<私>)”を『ウサギとカメ(論考の私)』の物語りに依拠して、無意味だと主張しとるやん、 わしゃ、“因幡の白兎”と“ウサギとカメ”は同じやないとこのレスの前に指摘しとる。こんな簡単なことも分からんか?それともとぼけとるんか? まだ、とぼけるつもりか?それと以下も。。。
さらに。。。 No18177 ザビビの藁人形製フクロウ > この文章を読んでくださっている方の参考になるように、もうひとつおまけ。 > 次はパニチェさんの主張です。 >> <私> の哲学 >> 11.頽落 >>『私が存在している地点は、世界の他のどの地点と比較することもできないような特異点である。(パニチェ)』 >> 地点とは時間的な地点と空間的な地点の両方を含みます。 >> 私が特異点に存在する理由のひとつとして、他者も物質も(私の手足や胴体も)私から見た世界の中に位置するが、私自身は世界の中には位置しておらず、(私の目や、世界を感じ取る主体は)世界の端っこに位置し、そこから世界を見たり五感を通して感じている。 > 『論考』の命題 T.5.63-5.634 を素直に読んでみられれば、 > まさに、上の引用に示された考えが否定されていることがわかるでしょう。
「比類なき先言の<私>」は論考で示されてる形而上学的主体と同じとは述べていないにもかかわらず、何で『論考』の命題 T.5.63-5.634 を素直に読んでみられれば、まさに、上の引用に示された考えが否定されていることがわかるでしょうってなんねん、説明してみ。 言うとくがこのレスは、ザビビの藁人形製フクロウがわしの指摘に返信した後のレス。まだ藁人形論法を繰り返してるやん(藁
> 「「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じであることを前提として(ここ歪めとるがな)成立する論理、」 > とは、具体的にどこを指して言っているのかな?> >「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じものでない」と述べているにもかかわらず、「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じであることを前提として(ここ歪めとるがな)成立する論理、「比類なき先言の<私>)を『論考』の思想に依拠して、無意味だと論証した」と主張しとるわけや。 > >紛れもない藁人形論法2やろ。
ほんまに頭悪いんか? 「「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じであることを前提として(ここ歪めとるがな)成立する論理、」⇒「比類なき先言の<私>を『論考』の思想に依拠して、無意味だと論証した」ことや。
“因幡の白兎”と“ウサギとカメ”のウサギは同じなら、“因幡の白兎”を“ウサギとカメ”の物語りに依拠して“因幡の白兎”は油断してカメに負けた愚か者と論証できる、ところが因幡の白兎”と“ウサギとカメ”のウサギは同じでないなら、“因幡の白兎”を“ウサギとカメ”の物語りに依拠して“因幡の白兎”は油断してカメに負けた愚か者と論証できない。
こんな簡単な理屈分からんか? これ何回目やろ(藁
見よ、このスキのない返信。スキがあったらどっからでもかかってこんかい!! https://www.youtube.com/watch?v=QtxZSih43Vs
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