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カント沼番外地:第一版序論 X−3
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□投稿者/ うましか -(2021/07/31(Sat) 15:12:40)
| 2021/08/02(Mon) 19:24:05 編集(投稿者)
続きです(・ω・)ノ
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◇「すべての物体は拡がりをもつ」と私が言えば〔*1〕、これは一つの分析的判断である。なぜなら、私は、物体という言葉と結合している概念〔*2〕から、拡がりをこの概念と結びついているものとして私が見いだすためには、出てゆく必要はなく〔*3〕、物体という概念を分析しさえすれば、換言すれば、私がいつでもこの概念において思考している多様なものを意識しさえすれば、拡がりという述語はそのうちに見いだされるからである。
*1 私が「〜」と"言う"ことが"判断"とされている。※判断内容「〜」と区別したい。 *2 「概念」とは、対象(物体)を表現する言葉(「物体」)と"結合している"ところのもの。 *3 「出てゆく必要はなく」。 何がどこから出てゆくということなのかな?(;´・ω・)
◇これに反して、「すべての物体は重さをもつ」と私が言えば、この述語は、私が物体一般のたんなる概念において思考しているものとは、まったく別の或るものである。それゆえ、そうした述語を付加することが、綜合的判断を与えるのである。
※ 物体一般について何かしらの判断を言述する場合、私たちは、物体とはいかなるものかという物体についての概念の−うちに−、"拡がり"、"重さ"といった性質が含まれるか否かを何を根拠に考え、区別しているのかな?(;´・ω・)
◇以上のことから次のことが明瞭となる。
◇分析的判断によっては、私たちの認識は全然拡張されず、私たちがすでにもっている概念は分析されて、私自身に理解しやすいものになる。
◇綜合的判断のさいには、私は主語の概念のほかになお何か別の(X)をもっていなければならず、悟性は、主語の概念のうちには潜んでいない或る述語を、それでもこの主語の概念に属するものとして認識するためには、この何か別のものに、たよるということである。
※或る判断を分析的/綜合的とあらかじめ決めておくことは可能なのかな? 順番としては、或る対象について判断され言述されたさいの何かしらの述語概念に対し、それが主語概念(対象の性質)に属していないか否かを分析してからでないと、分析的か綜合的かを決められないようにおもいます(;´・ω・)
→原佑訳上巻、p.100〜p.102参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。文中〔〕内は私による挿入。*1〜、*2〜、、は私による覚書。※〜は私による覚書。
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V−1 No.15143, V−2 No.15340 W−1 No.14848, W−2 No.14849 V−7 No.14620, V−8 No.14662 V−4 No.14271, V−5 No.14415, V−6 No.14455, V−1 No.13815, V−2 No.14009, V−3 No.14097, U−1 No.13643 T−1 No.13389, T−2 No.13436, T−3 No.13576
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