(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■10834 / inTopicNo.61)  Re[38]: 真理について思うこと
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/02/06(Sat) 11:07:44)
    2021/02/06(Sat) 11:51:34 編集(投稿者)

    こんにちは、restさん。横レス失礼します。

    No10832に返信(restさんの記事)

    > オームの法則(電圧=電流×抵抗)という真理やフレミングの左手の法則という真理の発見はモーターの発明へとつながり、真理の発見は創造性を誘発するのではないか。
    >  無時間という時間の発見は世界を唯一無二の三次元空間のみの実在を認め、過去や未来の実在を認めないので、社会の約束事つまりルールとしての時間が存在し、その実体はない。すると未来が実在しないので明日の目標を立て着実に実現していくことは極めて創造的といえる。無時間という時間は自由意志を保証する。もし決定論が真理ならすべてが運命だから創造性を失うことになる。B系列の相対論的時間は決定論なのだ。明らかに自由意志を否定している。自由のないところに創造はない。
    >  真理の弱点はその普遍性にある。普遍性ゆえに共同性を刺激し同質なものが結合して民族主義やファシズムやナチズムを誘発して異質なものと対立して戦争へと結びつくことである。これを防ぐ意味でも多様性の価値を認める必要がある。

    論旨においては同意します。
    ご指摘通り、新たに発見された科学理論(法則)によって新たな技術や製品が開発されます。

    議論の余地があるとすれば法則も含めた科学理論が真理たりえるかどうかってことでしょうか。

    私は科学理論はどこまでいっても仮説だと考えています。
    ニュートン力学が相対論によって上書きされたように、常に科学理論とは上書きされる可能性(反証可能性)を有してますから。

    但し、真理を相対的真理と絶対的(根源的)真理のように定義を分ければ科学理論(法則)は相対的真理だと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■10832 / inTopicNo.62)  Re[37]: 真理について思うこと
□投稿者/ rest -(2021/02/06(Sat) 10:22:12)
    2021/02/06(Sat) 10:31:25 編集(投稿者)

    オームの法則(電圧=電流×抵抗)という真理やフレミングの左手の法則という真理の発見はモーターの発明へとつながり、真理の発見は創造性を誘発するのではないか。
     無時間という時間の発見は世界を唯一無二の三次元空間のみの実在を認め、過去や未来の実在を認めないので、社会の約束事つまりルールとしての時間が存在し、その実体はない。すると未来が実在しないので明日の目標を立て着実に実現していくことは極めて創造的といえる。無時間という時間は自由意志を保証する。もし決定論が真理ならすべてが運命だから創造性を失うことになる。B系列の相対論的時間は決定論なのだ。明らかに自由意志を否定している。自由のないところに創造はない。
     真理の弱点はその普遍性にある。普遍性ゆえに共同性を刺激し同質なものが結合して民族主義やファシズムやナチズムを誘発して異質なものと対立して戦争へと結びつくことである。これを防ぐ意味でも多様性の価値を認める必要がある。
引用返信/返信 削除キー/
■10807 / inTopicNo.63)  Re[36]: 真理について思うこと
□投稿者/ rest -(2021/02/04(Thu) 08:39:19)
    No10797に返信(restさんの記事)
    >  ニーチェだったと思うが真理はないということが真ならば自己矛盾を抱えることになる。真理がないという真理はないことになり、真理はあることになる。真理はないと断定すること自体が独断だ。真理とは現象と現象の関係性であり、共同体が共有できる限り真である、しかも共有内容は時代とともに変わるというのがプラグマティズムだ。天動説から地動説へと変容したように真理は変容する。真理は現象と現象の関係性の解釈だから解釈が違えば真理も変わる。社会共同体が共有するという普遍性が前提となるがそれも時代とともに変わる可能性がある。
    >  真理は汝を自由ならしめん、というのが聖書の一説だが時間論においては決定論と自由意志論がせめぎあっているが自由論に分があるように思う。
    >  マクタガートによれば時間はA系列、B系列、C系列があるが、それ以外に無時間という時間があることを指摘しておきたい。相対論的時間はB系列に属するがカント的時間は無時間に属する。後者こそが自由に直結する。

     追記。「一説」ではなく、「一節」ですね。誤記でした。
引用返信/返信 削除キー/
■10803 / inTopicNo.64)  Re[37]: 真理について思うこと
□投稿者/ rest -(2021/02/03(Wed) 20:53:55)
     No10670より引用

     『われわれは認識のための、「真理」のための器官を、全く何ひとつ有(も)っていない。われわれは、人間群畜や種属のために有用だとされるちょうどそれだけを「知る」(あるいは信ずる・あるいは妄想する)のである(悦ばしき知識 第354番)』

    あるはずもない、もしくは誤謬があるが故に到達不可能な真理そのものに迫ることより、そのプロセスにこそ葛藤と闘争があり、それが「生」そのものの特性であるとニーチェは指摘する。

    唯一無二の真理なるものをでっちあげない、またはそんなものは存在しない、あるいは存在しても不可知であるとする哲学は、万人に共通する尺度や絶対価値も有しないが故に、既存の形而上学や道徳(主にキリスト教的道徳)を地に落としめる(ニヒリズム)ばかりでなく、それらを幻想として断罪し、それらを超越している岸(善悪の彼岸)にあるとも言える。

引用返信/返信 削除キー/
■10801 / inTopicNo.65)  Re[36]: 真理について思うこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/03(Wed) 19:36:37)
    お邪魔しま〜す。

    ■10797、
    >真理はない<って言ってる人がいるのかもしれないけど、でも、それ、ニーチェじゃないと思うよ。






引用返信/返信 削除キー/
■10797 / inTopicNo.66)  真理について思うこと
□投稿者/ rest -(2021/02/03(Wed) 09:59:48)
    2021/02/04(Thu) 22:05:55 編集(投稿者)

     ニーチェだったと思うが真理はないということが真ならば自己矛盾を抱えることになる。真理がないという真理はないことになり、真理はあることになる。真理はないと断定すること自体が独断だ。真理とは現象と現象の関係性であり、共同体が共有できる限り真である、しかも共有内容は時代とともに変わるというのがプラグマティズムだ。天動説から地動説へと変容したように真理は変容する。真理は現象と現象の関係性の解釈だから解釈が違えば真理も変わる。社会共同体が共有するという普遍性が前提となるがそれも時代とともに変わる可能性がある。
     真理は汝を自由ならしめん、というのが聖書の一節だが時間論においては決定論と自由意志論がせめぎあっているが自由論に分があるように思う。
     マクタガートによれば時間はA系列、B系列、C系列があるが、それ以外に無時間という時間があることを指摘しておきたい。相対論的時間はB系列に属するがカント的時間は無時間に属する。後者こそが自由に直結する。
引用返信/返信 削除キー/
■10680 / inTopicNo.67)  ローレンツ収縮への疑問3
□投稿者/ rest -(2021/01/24(Sun) 11:18:01)

     
    球面の方程式で解く。
    x軸に速度vで移動、球面の半径ct,とct′
    静止系を
    x^2+y^2+z^2=(ct)^2 ……@
    運動系を
    x′^2+y′^2+z′^2=(ct′)^2……A

    x軸方向にのみ移動なので
    x′=d(x-vt)
    y′=y
    z′=z
    t′=ex+ft

    d,e,fをAの方程式に代入して求める。

    これを@との恒等関係から解くと、

    d^2-c^2・e^2=1

    c^2・f^2-v^2・d^2=c^2

    2vd^2+2c^2ef=0

    これよりd,e,fを連立方程式として解くと

    d=f=1/√(1-[v/c]^2)

    e=-v/c^2・/√(1-[v/c]^2)

    つまりローレンツ変換は

    t′=(-vx/c^2+t)/√(1-[v/c]^2)

    x′=(x-vt)/√(1-[v/c]^2)……(ローレンツ収縮)

    運動系を静止系から観測すると棒が収縮して見えるということであり実際は縮んでいない。

    棒の長さをLとL′とすると


    L=√(1-[v/c]^2)・L′

    L<L′なのでローレンツ収縮を確認することができる。



引用返信/返信 削除キー/
■10679 / inTopicNo.68)  特殊相対性理論への疑問1
□投稿者/ rest -(2021/01/24(Sun) 10:48:25)
    2021/01/24(Sun) 10:57:36 編集(投稿者)

    宇宙ロケットの内部で長筒の中を床から天井に進む光があるとする。長筒の下をAとし、上をB とする。ロケットが右へvの速度で進むとすると、静止系の地球から観測すると、光は斜め上に進んでいるように見える。斜めにすすんで到達した点をCとおき、その真下をDとおく。斜め上ACを移動するにかかった時間をt′とおき、ADやCDの移動にかかった時間は静止系と同じtである、とする。スモールcを光の速度とすると、斜面の距離はct′、ADの距離はvt,またCDの距離はct,となる。ピタゴラスの定理より次の関係が成り立つ。



    上記のADの距離はvtというのをvt′に訂正します。するとピタゴラスの定理より次の関係が成り立つ。
     (ct′)^2=(vt′)^2+(ct)^2
    となる。
    この式を変形すると

    t′=t/√(1-[v/c]^2)

    t′>tとなり、ローレンツ変換を説明できる。

    斜めに進む光は静止系の地球から観測した場合の見え方であってロケット内部の人には光は直進しているとしか見えません。すると斜めに進む光の距離は直進より長くなりますので時間も長くかかるのです。これは静止系の地球から観測した場合の時間になります。t’>tとなります。時計をそれぞれの場所に設置してみればわかります。A地点の時刻が9時とすれば静止系の地球も9時です。光が斜めに進むとC地点の時計は9時10分です。地球の時計は9時15分となります。するとt’は15分でありtは10分です。15分かけて9時から9時10分へとロケット内部の時計は進むように見えるのです。15分というのは地球の時計で測った時間です。だから地球から見ると遅れているように見えるのです。
     ロケット内の時刻は実際は9時15分ですが、5分前の光が地球上に届くので9時10分の表示された光が地球上の時刻9時15分に届くことになるのです。ロケットの時刻と地球上の時刻は現在時では9時15分と同時刻であることがわかります。

     相対論は光の現象を扱ったもので、素朴実在論そのものです。午後四時の柱時計を見て、午後四時と判断するのが通常ですが、正確には実際の柱時計はすこし進んでいます。柱時計を反射して私の目に届くまでの距離を光が通過する時間だけすこし先に進んでいるのです。光の示す時刻は実際より遅れて伝わるからです。しかし実体としての柱時計を認識できないので確認しようがないのです。カントの物自体ですね。相対論も運動系の時計の時刻を静止系の観測者が観測すると、実際よりも遅れて観測されるのですが、遅れて見える時刻をもって実際も遅れているとみなしているのです。これが相対論の最大の過ちですね。
引用返信/返信 削除キー/
■10658 / inTopicNo.69)  光速度不変の原理への疑問3
□投稿者/ rest -(2021/01/23(Sat) 08:32:04)
    2021/01/23(Sat) 08:50:11 編集(投稿者)

      相対性理論の速度合成法則というのがあります。光速度不変の原理を説明するときに使われるものですが、

     V=(v+v’)/(1+vv’/c^2)

     ロケットの中でvのスピードでボール投げるとロケットの速さをv’とすると地上から見たそのボールの速さはVで示される。
     v’を光の速さとすると式はV=cとなり光の速さを超えることができない。
    なぜでしょうか。
     結論から先にいうと、たとえ実体が光速を超えても私たちは光でしか観測できないので光の速度を超えて観測することはできないということです。
    観測者は光を通して伝わるので光の速度を超えて観測することはできない。
    実際には光の速度を超えることができますが、観測すると光の速度を超えることはできないのです。
    これが光速度不変の原理の根本的説明です。つまり光の現象であって実体は別なのです。

     説明を補足しますと、ロケットから発射された光は地球からみると
    c+vで光の速度を超えて見えるはずですが光速cを超えることはできません。光を直接観測するとまぎらわしいので光以外の物体Aで考えてみます。ロケットから発射された物体Aは光の速さを超えています。すると私たちが観察するのは地上の光源から発射した光が物体Aに反射して地上に届いた光の速さしか観測できません。物体Aの速さは光の速さcになります。これから類推して物体Aを光にすると、つまりc+vの光を光Aとすると地上からの光が光Aの粒子に反射して伝わる光の速度cとして観測されるされるのではないかと推測しています。これだとc-vの場合もcとして観測できる理由が説明できます。マイケルソン-モーリーの実験もそのように解釈すると説明ができます。
引用返信/返信 削除キー/
■10574 / inTopicNo.70)  相対性理論について疑問
□投稿者/ rest -(2021/01/16(Sat) 18:56:47)

     一般相対性理論についての私の見解である。第一に光は粒子と波の性質があり、光は標準理論では粒子の質量はゼロといわれているが、実験分野から疑問が呈されている。実験的には光の粒子の質量m≦10^-14ev/c^2といわれている。すると光は質量をもつので当然重力の影響を受けて曲がる、ということがわかる。空間が曲がって光も曲がるということではなく、端に質量をもった粒子が重力で曲がる、ということではないのか。
    第二にGPSにおいて時間の補正がおこなわれることについて、別の見解があることを指摘しておきたい。慣性系ではなく重力系では、地上から位置が高いほど時間が早くなる、ということについて考えてみたい。位置が高くなるほど重力は小さくなる。セシウムの原子時計でも重力の影響を受けるのではないか。遷移によるスペクトル線の周波数を基準にしているが、具体的には放射の9192031770周期を1秒と定義しているが、スペクトル線の電磁波は粒子でもあるのだから、重力の影響を受けて波長に変化をもたらす。地上ほど波長が伸び、同じ周波数でもかかる時間は遅くなる。
    つまり客観的時間の変化ではなく、端に時計の内部構造の変化に過ぎない。

引用返信/返信 削除キー/
■10573 / inTopicNo.71)  質量保存の法則
□投稿者/ rest -(2021/01/16(Sat) 18:38:20)
     
      核分裂における質量欠損と飛び出してくるエネルギーのあいだにはE=mc^2の関係があるといわれているが、
    物体が光エネルギーを放射すればその質量は減少するというが光の粒子が質量をもつと実験的にいわれているのでトータルでは質量は減らない。すなわち質量保存の法則は成り立っているのである。
    光の粒子の質量が0ならば確かに質量欠損の分エネルギーに転化したといえるが、光の粒子が質量をもてば質量は減っていない。つまり質量はエネルギーに転化していない。したがって質量はエネルギーではない。実験的には光の粒子の質量m≦10^-14ev/c^2といわれている。E=mc^2は成立しない。
引用返信/返信 削除キー/
■10524 / inTopicNo.72)  Re[29]: 数式
□投稿者/ rest -(2021/01/14(Thu) 08:37:20)
    No10518に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > restさんの記事、π:利潤 P:価格 Q:生産量 TC:総費用 Q:生産量 L:労働 K:資本 TC:総費用 w:賃金 r:利子 ・・・
    >
    > こういうのに「自然変数:N」は含まれてるの?

    熱力学的関数における自然な変数は分野違いということで含まれていない。

    >
    > 反ケインズ主義っていう主義もあったような?

    新古典派のことでしょう。

    >
    > ところで、
    > restさんはマルクスについてどう思うのかしら?

    ノーコメント。



引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -