□投稿者/ rest -(2021/02/03(Wed) 09:59:48)
| 2021/02/04(Thu) 22:05:55 編集(投稿者)
ニーチェだったと思うが真理はないということが真ならば自己矛盾を抱えることになる。真理がないという真理はないことになり、真理はあることになる。真理はないと断定すること自体が独断だ。真理とは現象と現象の関係性であり、共同体が共有できる限り真である、しかも共有内容は時代とともに変わるというのがプラグマティズムだ。天動説から地動説へと変容したように真理は変容する。真理は現象と現象の関係性の解釈だから解釈が違えば真理も変わる。社会共同体が共有するという普遍性が前提となるがそれも時代とともに変わる可能性がある。 真理は汝を自由ならしめん、というのが聖書の一節だが時間論においては決定論と自由意志論がせめぎあっているが自由論に分があるように思う。 マクタガートによれば時間はA系列、B系列、C系列があるが、それ以外に無時間という時間があることを指摘しておきたい。相対論的時間はB系列に属するがカント的時間は無時間に属する。後者こそが自由に直結する。
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