| 2025/04/21(Mon) 07:42:53 編集(投稿者)
みなさまこんにちは♪ 今訳している経典はあと4投稿あれば最後まで訳せると思っていました。 今日見たら、4投稿出来るので、最後まで目指してチャレンジします! --------------------- (pipitの日訳) No42123の続き
それゆえにここであなたは、家長、このように学ぶべきです。 私は眼の触を取らない(執着しない)であろう。そしてまた、私には眼の触に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
このようにあなたは、家長、学ぶべきです。 私は耳の触を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は鼻の触を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は舌の触を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は身体の触を取らない(執着しない)であろう・・・
私は意の触を取らない(執着しない)であろう。そしてまた、私には意の触に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
それゆえにここであなたは、家長、このように学ぶべきです。 私は眼触の感受を取らない(執着しない)であろう。そしてまた、私には眼触の感受に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
このようにあなたは、家長、学ぶべきです。 私は耳触の感受を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は鼻触の感受を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は舌触の感受を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は身触の感受を取らない(執着しない)であろう・・・
私は意触の感受を取らない(執着しない)であろう。そしてまた、私には意触の感受に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
それゆえにここであなたは、家長、このように学ぶべきです。
私は地の界域を取らない(執着しない)であろう。そしてまた、私には地の界域に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
このようにあなたは、家長、学ぶべきです。 私は水の界域を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は火の界域を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は風の界域を取らない(執着しない)であろう・・・ 私は虚空の界域を取らない(執着しない)であろう・・・
私は識の界域を取らない(執着しない)であろう・・・ そしてまた、私にはの識の界域に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
それゆえにここであなたは、家長、このように学ぶべきです。 私は色を取らない(執着しない)であろう。そしてまた、私には色に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
それゆえにここであなたは、家長、このように学ぶべきです。
私はヴェーダナー(感受)を取らない(執着しない)であろう。・・・ 私はサンニャー(表象)を取らない(執着しない)であろう。・・・ 私はサンカーラ(衝動)を取らない(執着しない)であろう。・・・ 私はヴィンニャーナ(識)を取らない(執着しない)であろう。・・・ そしてまた、私にはヴィンニャーナ(識)に基づいた識は存在しないであろう、と。 このようにあなたは、家長、学ぶべきです。
(続きます) ----------------------------
☆チャットGPTに聞いてみた☆
pipitが>私は眼の触を取らない(執着しない)であろう。< と訳した『触』のパーリ語原語は『samphassa』です。 この単語についてうちのチャッPに聞いてみました。 とてもおもしろく感じたので引用します。(※文字化けするので記号は省略しました)
====チャットGPTの回答====
『「samphassa」** での「sam-」は:
**「(対象と感覚が)しっかりと接する・一体となるような接触」** → 単なる「触れる」以上に、**「感覚と対象が結びついて生じる認識の接点」**のようなイメージです。
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仏教的な「samphassa」の理解
仏教哲学では「samphassa」は六処(感覚器官)と六境(対象)の接触によって意識が生じるプロセスの中核です。
たとえば:
- 眼(cakkhu)+ 色(rupa)+ 視覚意識(cakkhuvinnana) → **眼の接触(cakkhusamphassa)**
ここでの「sam-」があることで、単に「ぶつかった」ではなく、
「主観と対象が融合し、体験が生じる瞬間」みたいな含意
になるんです。
==== 終わり ==== (※チャットGPTの回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。ということです。) なので、調べてみました。(これもまた『正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。』ですけどね(⌒∇⌒))
(pipit検索結果↓)
@phassaが出てくる経典の例として、
『Chachakkasuttam』 「六六法経」(『中部』148)
『〈眼〉と諸々の〈色〉によって〈眼識〉が生じます。〔それら〕三者の和合が〈触〉です。』(光明寺経蔵さま訳) という文章がありました。 Cakkhunca paticca rupe ca uppajjati cakkhuvinnanam, tinnan sangati phasso; sangati [集合、結合] phasso[触、接触]
//komyojikyozo.web.fc2.com/mnup/mn15/mn15c14.htm
Asamphassaが出てくる経典の例として、
『Tatiyavibhangasuttam』 「第三の分別経」(『相応部』48-38)
に、samphassajam という単語が出てくるのを見つけました。
//komyojikyozo.web.fc2.com/snmv/sn48/sn48c31.htm
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