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■37728 / inTopicNo.1)  Re[97]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/06(Sat) 18:21:02)
    No37708 で、わたし、「reines Ich(純粋自我)」や「Ur-Ich(原-自我)」を〈自〉ってして見ることにしたんだけど、

    フッサールの言う「reines Ich」や「Ur-Ich」っていうのが、わたしが想像してる〈自〉っていうのとは違うとしても、フッサールのとわたしのとがわたしのうちで間(相互)主観的に思いつかれたもの、っていうことは言えると思うのね。
    現象学研究者は、「フッサールが言ってることを正確に理解すること」であること、なのかもしれないけど、わたしのはそういういうのじゃなくて、現象学のからわたしに想像されたもの、っていう感じのね。わたしの勝手でしょ、的な〜
    ほら、
    No36191のなかに、
    〔知覚対象は単なる現前(Prasenz)ではなくつねに付帯現前(Apprasenz)なのである。〕
    〔他者は私にとって永遠に思い込みとして以外に近づきえないと言うのである。〕
    ってあるように。
    このばあい、〔知覚対象〕や〔他者〕っていうのは「フッサールの書物」や「フッサール」のことってして見てるよ。

    メルポンは、【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のなかで、
    『身振りの意味は与えられるのではなくて了解される、つまり、目撃者の作用によって捉え直されるのである。この作用を正しく理解し、それを認識作用と混同しないことが肝心で、問題のすべてはここにかかっている。』(p306)
    って言ってる。
    『認識作用』っていうの、たぶん「コギト」のような〈より高度に発達した考えること〉の作用みたいなもの、ってわたし見てる。
    あ、わたしが言いたいのはこれじゃなくて、
    『身振り』っていうの、メルポンの場合「言語」もそのなかに入れてるみたいだから、
    〈フッサールが言ってること(身振り)は、目撃者(わたし)の作用によって捉え直されるのである。〉
    みたいに見てる、っていうこと。

    「私」と「他者」はお互いに思い込みとして以外は永遠に近づきえない、っていうの、なんかちょっと寂しい感じはするけどね。
    でも、だからこそ、っていうのもあるかもかな?たとえば、
    No36016 の(p)にあるような、
    『私が他者に対して抱くイメージに合わせるような他者に強制しないようなコミュニケーションを確立する必要があるのです。』
    みたいに。

引用返信/返信 削除キー/
■37727 / inTopicNo.2)  Re[96]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/06(Sat) 18:03:22)
    No37708のつづき、
    No37708の、もうちょっと用語のわたしの見方について、

    (f)「先-自我」なんだけど、これ資料(6)のなかから
    No37237で書き出したやつね。

    雰囲気的に「reines Ich(純粋自我)」や「Ur-Ich(原-自我)」と同じような自我として、これも〈自〉ってして見てもいいんだけど、
    「先-自我」を、《「自我」〈自のなかにある考えること〉の先にあるもの》、ってして見ると、「受動的総合」〈感知性〉のこと、って見ることのできるかも。こうして見ると、「先-反省的」、「先-言語的」って言ってるのもわかる感じ。

    あと、「先-対象的」ともいってるんだけど、
    「先-自我」を「受動的総合」〈感知性〉のことってして見るとき、
    〔知覚対象は単なる現前ではなくつねに付帯現前なのである〕って見てる現象学において、
    No37456は「受動的総合」〈感知性〉の領域で行われてることとして、
    No37465で見たように、「対(つい)になる」ということは「非対象化的/非主題的」な次元で見るということとして、
    「対象的に見る、の先にあるもの」ってして見ると、「先-自我」を「受動的総合」〈感知性〉のこと、ってして見てもよさそうな感じ。

    現象学の訳本を読むとき、「自我」っていうの、どう見とこうかな〜ってけっこう考えたんだけどいまのところ〈自の中にある考えること〉ってして見てる。こういう見方ってヘンかな?でもね、じゃ、「私」「我」「自我」「自己」「自分」「自分自身」みたいなの、どう区別して見てるのかしら?み〜んな同じ意味、って言うのなら、じゃ、それどういうの?って。

    小学一年生の女の子に口語で「ねえ、わたし、じぶん、ってなあに?」って聞いたら、即、答えてくれたよ。
    わたし「なるほど〜」って、即、納得。
    小1ではまだこのような漢字を教わってないわけだけど、口語の「わたし」とか「じぶん」っていうのは知ってるみたい。

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■37710 / inTopicNo.3)  Re[95]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/05(Fri) 19:24:20)
    No37708のわたしの見方、もうちょっと、
    わたし日本語で考えてるよ。

    (b)「我」 ego →〈考える我〉
    の、〈考える我〉はデカルトの「ego cogito(我考える)」の「我」として見てる。〈考える〉っていうの、デカルトのことだから、〈より高度に発達した考えること〉って見とくことにした。
    あ、この〈より高度に〉っていうの、
    No11393のなかにあった、『より高次の発生』っていうのからもってきたよ。

    (c)「自我」 Ich →〈考えることする自〉
    これやっぱり「我」が使われてるから、〈考える〉を(b)のような〈より高度に発達した考えること〉ってして見ることになっちゃうんだけど、でも「我」に「自」っていうのがくっついてるから、どうしよ?ってなったのね。
    だってわたし〈自〉を〈意識の原初自然な固有の媒介の場(領分)〉ってして、ようするに〈原初の〉であって〈高度な〉じゃないのね。
    でね、
    No37496でわたしちょっと思ったように、〈自〉のなかには〈感知性(外界の感-知覚)〉〈考知性(思考)〉〈記憶〉などの、その“〈芽〉的な、〈原初〉的な、〈野生の〉的な、〈アプリオリ〉的な”みたいなのがあるってして見たのね。大きくなるにしたがってそれらが〈自〉から分化して発達していって〈自分〉になる、ってして見て、〈自分〉の〈自〉のなかには“そのようなもの”が存在しつづけてるのね。
    〈自〉のなかにある〈考える〉“そのようなもの”を〈考えることする自〉(自我)ってして、これ、〈自のうちにある考える部分〉的な意味として〈自のうちにある考えること〉っていうふうにした見た。
    こうして見ると、「自我」〈考えることする自〉〈自のうちにある考えること〉と「我」〈考える我〉が意味的に区別されてくる感じ。

    「我」〈考える我〉の〈考える〉は〈より高度に発達した考えること〉で、「自我」〈考えることする自〉の〈考える〉は、〈自〉のなかにある、〈より高度に発達した考えること〉のその基になってる〈原初的な考えること〉、って。

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■37708 / inTopicNo.4)  Re[94]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/05(Fri) 18:53:01)
    No37637につづけて、

    今回の物語りの始まり、
    No37396の、
    〔フッサールは・・・・・「私」をどのように理解していたのか・・・・〕
    で、「私」についてなんだけど、
    No37109のなかに登場する「私」にまつわる用語と、そのわたしの見方、もう一度整理しとく。

    (a)「私」 Ich →〈自(分)と体〉
    (b)「我」 ego →〈考える我〉
    (c)「自我」 Ich →〈考えることする自〉
    (d)「純粋自我」 reines Ich →〈純粋に考えることする自〉
     (=超越論的自我)
    (e)「原-自我」 Ur-Ich →〈原-考えることする自〉
    (f)「先-自我」 →〈先-考えることする自〉
    (「先-対象的」「先-反省的」「先-言語的」)
    (g)「自己」 →〈自(分)と体〉 ――「己」を身体〈体〉として見た
    (h)「自分」 →〈分化した自〉 ――〈自〉は分化して〈自分〉となる、ってわたし見てる
    (i)「自分自身」 →〈自分や自の体〉

    っていまはなってる。
    No37367で考えて見たのを元にして簡単にまとめて見たのね。
    「自我」→〈思考する自〉、ってしたんだけど、やっぱ「自我」→〈考えることする自〉って見ることにしたよ。

    No37109の資料(3)の中に、〔私・自我(Ich)〕ってあったからひとまず(a)(c)のようにしといた。

    (e)[Ur-Ich] 「原-自我」なんだけど、
    No37109の資料(5)の中の、
    No37236の、もういちど書くと、

    (E-1)・・・・・・・・・・・・・・・・・
    〔自我は「存在者ではなく、むしろ全ての存在者にとって対を成すもの」であり、「一つの対象ではなく、全ての対象性にとっての原象(Urstand)」であると言われる(Ibid.,S.277)。このような「原象」としての自我を、フッサールは便宜的に「原-自我(Ur-Ich)」(Ibid.S.286)と呼ぶ。この呼び名が便宜的である理由は、自我は「本来、自我と呼ばれるべきではなく」、「名無し(das Namenlose)」であるからだ(Ibid.S.277f.)。1931年のフッサールの草稿から引用すれば、「機能する自我は、それが機能しているときには匿名的」(Mat.V111,S.53,vgl.auch S.2,7,338)なのである。〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    として、
    あのとき、
    >もうこうなると、「原-自我(Ur-Ich)」、「私(Ich)」、「自我(Ich)」――「私」、「自我」、「Ich」、もうごちゃごちゃになってる感じ。
    もし、「原-自我」っていうのが、人称的な「私(Ich?)」って言うのもでもなく、「自我」って言うでもないんだったら、こういう語を使わず、なんか“そのようなもの”に、別の名前をつけた方がいいんじゃない?って、わたし思うけどね。<
    って思ったんだけど、そのつづき的になるかな。

    〔フッサールは便宜的に「原-自我(Ur-Ich)」と呼ぶ。この呼び名が便宜的である理由は、自我は「本来、自我と呼ばれるべきではなく」〕
    を、わたし、
    〈便宜的に呼んだ「原-自我」(Ur-Ich)のような自我は、「本来、自我と呼ばれるべきではなく」〉
    ってして見たのね。
    でね、
    わたし「Ur-Ich」って言うのを日本語で〈自〉ってしちゃおっかな〜、って。
    「Ur-Ich」は日本語で〈自〉って訳すのね。「原-自我」って日訳するんじゃなくてね。

    わたしのばあい「自我」を〈考えることする自〉ってして見ちゃってるなかで、「Ur-Ich」の「Ich」を「自我」って日訳してる(たぶん)ことから、わたしには訳分かんなくなっちゃてたみたい。
    ちょっと思ったんだけど、
    「純粋自我」って言うのもあるんだけど、これと「原-自我」の「我」っていうのを取っちゃって、「純粋自」「原-自」ってしたどうかしらって。そうすると「我」〈考える我〉がなくなって、〈純粋で原なる自〉っていうふうになる。
    あ、これ日本語で考えてるよ。

    こういうのから、
    (U-a)「reines Ich(純粋自我)」や「Ur-Ich(原-自我)」を、〈意識の原初自然な固有の媒介の場(領域)〉―〈自〉として見ることにしたよ。

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■37707 / inTopicNo.5)  Re[93]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/05(Fri) 18:46:31)
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■37700 / inTopicNo.6)  Re[92]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/04(Thu) 19:07:39)
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■37681 / inTopicNo.7)  Re[91]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/03(Wed) 19:52:25)
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■37680 / inTopicNo.8)  Re[90]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/03(Wed) 19:33:17)
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■37679 / inTopicNo.9)  Re[89]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/03(Wed) 19:25:35)
引用返信/返信 削除キー/
■37678 / inTopicNo.10)  Re[88]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/03(Wed) 19:15:00)
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■37666 / inTopicNo.11)  Re[87]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/02(Tue) 18:21:49)
    Xがの欲望である「管理社会」

    Xはわたしを管理したくてしょうがない、みたいな。
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■37665 / inTopicNo.12)  Re[86]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/07/02(Tue) 18:13:08)
    https://news.yahoo.co.jp/articles/4672c47ae3c479168f3376a57a605107656f6cee
    っていうのあった。

    〔現行の保険証に代わる「資格確認書」〕は発行される。
    〔厚労省は「資格確認書については別途、周知・広報する」(医療介護連携政策課)〕

    っていうことは確かなよう、っていうのを知って、わたしちょっとひと安心してるけど、まさかそのための「条件つき」じゃないでしょね〜、敬三さん。

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