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■37295 / inTopicNo.49)  Re[39]: マーラーの9番 
  
□投稿者/ knowingitself -(2024/05/14(Tue) 12:39:23)
    田秋さん 書き込みありがとうございます


    > 曲全体の構成をみるとチャイコフスキーの悲愴との類似は明らかです。悲愴の2楽章は風変わりなワルツ、それに対して9番はレントラーでどちらも踊り、3楽章は悲愴はスケルツォ(とは書いてありませんが)、対して9番はブルレスク(これはスコアに書いてあります。無理に日本語にすると諧謔曲、ウィキペディアによれば「 ユーモア と辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲」となります)、4楽章はどちらも遅い曲で死を予想させます(9番の最後にはersterbend;消え入るように、死に絶えてと書かれています)

    > ただ両者の死に方はかなり違うような気がします。悲愴は何か地底に引きずりこまれるように感じます。対して9番は全てを受け入れて《昇華》するイメージを持っています。今でも忘れませんが、ロッホランの時は一番最後、ロッホラン(或いはステージ)から何かが立ち上ってホールの天井へ消えていくのが見えた、様な気がします。

    そうですね。私もマーラー9番の4楽章は、暗さとか救いのなさを感じることはあまりありません。美しい音楽だと思うし、救いや満たされを感じて、また聴きたくなります。

    > knowingitselfさんは曲の冒頭に涅槃を感じられたとのことですが、ボクが曲の最後に感じる昇華と、ひょっとすると同じ(或いは同質の)ものかもしれません。確かにマーラーは前作「大地の歌」で東洋思想に深く入りこんでいます。大地の歌は中国の詩から題材を取っているので仏教に特化している訳ではないとは思いますが、涅槃への理解はあったと思います。knowingitselfさんに比べるとボクはこの曲をやはり西洋音楽と捉えていて、その違いが涅槃と昇華なのかもしれません。この曲を聴いて涅槃を思い浮かべる人がいたとしても、「そういう捉え方もあるのか!」と思いこそすれ、全く違和感はありません。


    同質かもしれませんね。「大地の歌」も女声つきの長い終楽章などは、耽美的でハマる美しさです。

    > 今回この曲を生で聴いて感じたことの一つに、やはりマーラーは1楽章に最も心血を注いで書いたんだなあというのがあります。これはベートーベンの第9でも感じるのですが、あれの音楽的クライマックスが第4楽章にあることは間違いありませんが、ベートーベンが最も力を注いで書いたのは第1楽章ではなかったか、と感じています。マーラーの9番の第1楽章も込められた意図が複雑で難解です。日フィルの生を聴いて、演奏者も観客も容易には寄せ付けない作曲家の想いを感じました。


    最も感動するのは第4楽章で、最も緻密に作られているのは第1楽章なんだろう、と感じています。わたしのようなシロウトは掠るのが精一杯ですね。

    > ワルターの9番です。
    > https://www.youtube.com/watch?v=EMarpnKzflY&t=3s
    > 第1楽章、19’40”の金管の強奏がこの楽章のクライマックスです(5連符→19’20”)。最後の審判というか、煉獄に落とされるというか、いつもそう感じます。これが最後の昇華の伏線になっているのかなと思います。

    > ワルターの演奏は金管の強奏の直前、デクレッシェンドしています。金管の一撃をより際立たせるため
    > 曲の冒頭、殆ど音楽が崩壊、というか細胞にまで分割されています。旋律の体をなしていません。冒頭のチェロとホルンによるリズム音型、このいびつなリズムがこの楽章を支配しているのです。その後のティンパニやビオラの3度の6連符は、第9やブルックナーとはまた違った宇宙の始まりを表しているかの様です。
    >

    ここで直面したくないものを突きつけられて、イヤだ、ぞっとする、怖い、これは聴き手それぞれでしょうね。
    こういうことを書くと、まだ聴いていない人に先入観を植え付けるかも知れませんが、この曲は実に美しい名曲です。

    あと、この1楽章は現代音楽の先取り的な可能性を孕んでいる先鋭な要素をもっているということかも知れません。
引用返信/返信 削除キー/
■37294 / inTopicNo.50)  マーラーの9番 特にknowingitselfさんへ
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/13(Mon) 11:20:44)
    2024/05/13(Mon) 17:51:51 編集(投稿者)

    おはようございます、knowingitselfさん

    knowingitselfさんのマーラー9番の書き込みを読みました。そちらのスレに書こうかなとも思いましたが、長いし写真も添付するのでこちらに書くことにしました。

    マーラーの9番に関しては以前「ラストシンフォニーシリーズ」の第1曲目で書いたことがありましたね。
    No3181
    考え方は余り変わっていませんが改めて書いてみます。

    曲全体の構成をみるとチャイコフスキーの悲愴との類似は明らかです。悲愴の2楽章は風変わりなワルツ、それに対して9番はレントラーでどちらも踊り、3楽章は悲愴はスケルツォ(とは書いてありませんが)、対して9番はブルレスク(これはスコアに書いてあります。無理に日本語にすると諧謔曲、ウィキペディアによれば「 ユーモア と辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲」となります)、4楽章はどちらも遅い曲で死を予想させます(9番の最後にはersterbend;消え入るように、死に絶えてと書かれています)

    参考:レントラー 1’10”辺りから
    https://www.youtube.com/watch?v=G4Yd-Ru3RRQ&t=82s

    ただ両者の死に方はかなり違うような気がします。悲愴は何か地底に引きずりこまれるように感じます。対して9番は全てを受け入れて《昇華》するイメージを持っています。今でも忘れませんが、ロッホランの時は一番最後、ロッホラン(或いはステージ)から何かが立ち上ってホールの天井へ消えていくのが見えた、様な気がします。

    knowingitselfさんは曲の冒頭に涅槃を感じられたとのことですが、ボクが曲の最後に感じる昇華と、ひょっとすると同じ(或いは同質の)ものかもしれません。確かにマーラーは前作「大地の歌」で東洋思想に深く入りこんでいます。大地の歌は中国の詩から題材を取っているので仏教に特化している訳ではないとは思いますが、涅槃への理解はあったと思います。knowingitselfさんに比べるとボクはこの曲をやはり西洋音楽と捉えていて、その違いが涅槃と昇華なのかもしれません。この曲を聴いて涅槃を思い浮かべる人がいたとしても、「そういう捉え方もあるのか!」と思いこそすれ、全く違和感はありません。

    今回この曲を生で聴いて感じたことの一つに、やはりマーラーは1楽章に最も心血を注いで書いたんだなあというのがあります。これはベートーベンの第9でも感じるのですが、あれの音楽的クライマックスが第4楽章にあることは間違いありませんが、ベートーベンが最も力を注いで書いたのは第1楽章ではなかったか、と感じています。マーラーの9番の第1楽章も込められた意図が複雑で難解です。日フィルの生を聴いて、演奏者も観客も容易には寄せ付けない作曲家の想いを感じました。

    ワルターの9番です。
    https://www.youtube.com/watch?v=EMarpnKzflY&t=3s
    第1楽章、19’40”の金管の強奏がこの楽章のクライマックスです(5連符→19’20”)。最後の審判というか、煉獄に落とされるというか、いつもそう感じます。これが最後の昇華の伏線になっているのかなと思います。

    https://www.youtube.com/watch?v=udhHFt--10Q
    アバド 19'10"  5連符→18’52”

    https://www.youtube.com/watch?v=StF5xlXqhjs
    小澤征爾 20'29" 5連符→20'15"

    https://www.youtube.com/watch?v=qyzmka57LkE
    ハイティンク 20’25”  5連符→20’06”

    ここだけ聴いていても仕方ありませんが。。。

    ワルターの演奏は金管の強奏の直前、デクレッシェンドしています。金管の一撃をより際立たせるためでしょうが、スコアにはデクレッシェンドはありません。

    曲の冒頭、殆ど音楽が崩壊、というか細胞にまで分割されています。旋律の体をなしていません。冒頭のチェロとホルンによるリズム音型、このいびつなリズムがこの楽章を支配しているのです。その後のティンパニやビオラの3度の6連符は、第9やブルックナーとはまた違った宇宙の始まりを表しているかの様です。

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■37279 / inTopicNo.51)  マーラーの9番
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/10(Fri) 23:29:03)
    先週に続き今週も上京、今回もコンサートだが今日は日フィル東京定期。日フィルの首席指揮者のカーチュン・ウォンによるマーラーの9番。80分くらいかかる大曲。
    2,3楽章は良かった。4楽章はボクの趣味とは異なるが、それは好みの問題。悪い演奏では無かった。
    1楽章は難しい。ボクのこの1楽章に対するイメージは後期ロマン派が熟しすぎて、あたかも熟柿が落ちる寸前の、そんなイメージ。今日の演奏はもっと生き生きとして溌溂とした感じだった。
    この交響曲の前、大地の歌で「生は暗く、死もまた暗し」と言ったマーラーにしては、健全な演奏だった。

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■37273 / inTopicNo.52)  オマケ 2
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/08(Wed) 21:42:32)
    鈴虫寺の人気は和尚さんの法話にもあるのかも知れないけれど、一番はやはりそこにいらっしゃるお地蔵さまで、幸福地蔵と呼ばれています。お地蔵さまは普通裸足なのですがここのお地蔵さまは草鞋を履いていて、そういうお地蔵さまは日本全国ここだけだそうです。願掛けをするとその人の所まで来て願いをかなえて下さるのだそうで、和尚さんの話によると、お願いするときは自分の住所も唱えて下さいとのことでした。


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■37267 / inTopicNo.53)  オマケ
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/07(Tue) 10:28:19)
    2024/05/07(Tue) 20:06:55 編集(投稿者)

    左上 苔寺
    左下 ハネ太鼓
    右上 スミレと揚羽蝶
    右下 発酵御膳
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■37266 / inTopicNo.54)  6日の日記 
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/07(Tue) 09:51:39)
    2024/05/07(Tue) 16:31:54 編集(投稿者)

    6日、錦市場へ朝ごはんを食べにいく。店は決めていなかったが8時前に開けている店が少なかった。焼き魚定食とかをイメージしていたのだが入ったのはこじゃれた店で発酵御膳というものを食べた。

    苔寺へ行く。四条からバス1本で行けた。京都のバスの良い処はどこまで乗っても1乗車230円ということ。慣れない人や外人などにはこのシステムは便利だ。
    入場に写経がセットになっていて内心びくびくしていた。何故なら般若心経だと約270字あり、毛筆で書く自信は全くない。しかし、実際にはもっとずっと短い経文をしかも下書きをなぞる形式だったので簡単にこなせた。筆は毛筆は毛筆でも毛筆ペンだったので助かった。考えてみれば、外人が多く訪れるのだから難しくする訳はないのだ。

    ここにも青もみじががたくさんありやはり思った通り自然光の青もみじの方がずっと良かった。
    このもみじの葉が冬には全部苔の上に落ちる訳だから掃除が大変でしょうと受付の人に聞いたら、なんと冬の間は掃かないのだそうだ。そのようにして苔を寒さから守るとのこと。なるほどと思った。それにしても見事な苔庭園であった。

    そのあと近くの鈴虫寺へ行った。大広間に一同集められて和尚さんの講話を聞く。この大広間には鈴虫が飼われていて1年中鳴いている。全部で3000匹ほどいるそうだ。
    この和尚さんの話が中々面白かった。我執、利他、話し合いよりも聞き合い、和敬清寂などの話をされたが、なかでも即今只今の話が良かった。今できることを精一杯やるだけ、という意味。概ねボクの生き方に近い。ボクはそれを自分より上手い演奏家が掃いて捨てるほどいる世界でめげずに生きていくための礎として習得したが、例えば小澤征爾もその日その日の演奏にベストを尽くす、その積み重ねというようなことを言っている。

    バスで京都駅へ。伊勢丹にあるラーメン横丁で博多ラーメンを食べ、予定ではそのまま帰ることにしていたが、京都国立博物館で雪舟展をやっていることを思い出したので観に行くことにした。
    雪舟は良い。独自の墨絵の世界を確立している。後の日本の多くの絵師が手本にしている。雪舟を手本にして描いた後世の絵師の手によるよく似た絵が沢山展示してあって興味深かった。芸は師を真似ることから始まることがよくわかる。

    2泊3日の旅行もこれでおしまい。9時ころ自宅に戻った。

    写真は上が北野天満宮のライトアップの青もみじ、下は苔寺の自然光に青もみじ。
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■37265 / inTopicNo.55)  5日の日記 
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/07(Tue) 08:56:28)
    2024/05/07(Tue) 08:57:04 編集(投稿者)

    5日朝、東京から京都へ向かう。昼前に京都に着き、JR京都伊勢丹で先日買い裾上げなどをしてもらったスーツを受け取る。実は3月の放送大学の卒業式に着ていこうと思っていたスーツが、前日に出してみたら虫食い。ガーン!しかも襟の部分。(T_T)。仕方なくタキシードにした。タキシードはボク的には仕事着なので、本当はスーツで出たかった。

    その後一旦ホテルに荷物を置いて三条近くにある豆水楼という豆腐専門店へ。川床の席を予約していたが、5月と言うのにもう日差しが強くて風が吹けば良いのだが暑かった。

    3時から祇園花月。新喜劇は茂造じいさんモノ。辻本さん、座長を降りてから茂造じいさんをあまりやらなくなったので久しぶりに笑えた。前半の漫才、テンポの良い会話に耳がついて行けず、周りが笑っているのに笑えないことがあった。歳を感じる。。。

    よしもと終了後、青もみじのライトアップをやっているというので北野天満宮へ行く。ライトアップされた青もみじ、ライトが黄色味を帯びていて青モミジが黄緑に見え、日中みる青もみじの方がきれいだと思った。

    ホテルに戻り、近くのラーメン屋へ行く。
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■37243 / inTopicNo.56)  昨日
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/05(Sun) 11:26:53)
    昨日、昼前に東京に着き代々木上原へ。昼食は卵とじ蕎麦。1時から弦楽トリオのコンサートを聴く。前半は小品を7、8曲。ボッケリーニ、シベリウス、コダーイ、モーツァルト、リヒャルト・シュトラウス、ガーシュイン、エネスコなど。音楽で世界を巡るというコンセプト。後半はベートーベンのトリオ作品9-2。シンフォニー第1番の前年に書かれたそうだ(知りませんでした)。演奏は楽しめたし、同僚に会えたのも嬉しかった。
    その後上野鈴本へ行き寄席を聞く。寄席は何故か聴くより聞くがピッタリする(あくまで個人的感想)。決してボーっと聞いてるわけでもないのだが、笑うからか?あと、見る要素も多くある。3時間半、中だるみなく聞けた。春風亭一之輔がこれからの落語界を牽引していく気がする。
    その後御徒町デリーへ行ってカシミールカレーを食べた。
    ホテルに10時半ころ戻る。

    只今新幹線の中。

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■37230 / inTopicNo.57)  選手交代
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/02(Thu) 21:01:21)
    多分今年最後のタケノコ、有終の美(?)は若竹煮。巷ではタケノコの豊作が報じられているがうちのタケノコはいつもの半分くらい、とは言っても40本くらい採ったかな。

    入れ替わりに蕗の季節。まだ小さめだが、季節の香りがいい。
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■37229 / inTopicNo.58)  叡王戦
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/02(Thu) 19:07:11)
    藤井叡王対伊藤巧7段第3局は伊藤匠7段が勝ち対戦成績を2勝1敗とした。叡王戦は5番勝負なので伊藤匠7段がタイトル奪取に王手をかけたことになる。藤井8冠がタイトル戦でカド番に追い込まれたのは初めて。

    この二人は同い年。藤井8冠と互角に渡り合えるのはやはり若手ということか?


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■37227 / inTopicNo.59)  ジャズ、オスカー・ピーターソン
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/02(Thu) 09:57:13)
    https://www.youtube.com/watch?v=QScPIdT6fjI

    ボクにとってジャズは特別な存在です。ひと言で言うと「憧れ」です。

    好きなプレーヤー沢山います。ジョー・ザビヌル、ドン・プーレン、マイルス・デイビスなど。しかしボクのジャズの原点はオスカー・ピーターソンです。やはり大学1、2年の時、新宿の厚生年金会館で聴いたソロライブが強く影響しています。

    下は1974年の演奏。ボクが聴いた頃のオスカー・ピーターソン
    https://www.youtube.com/watch?v=SewFqU5SjuE

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■37222 / inTopicNo.60)  著作権法の読み方
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/01(Wed) 20:43:02)
    例えば96条は以下のような文言です。

    (複製権)
    第九十六条 レコード製作者は、そのレコードを複製する権利を専有する。

    大事なところは最後の「専有する」で、故に

    「レコード製作者以外の者は無許可で複製してはいけないんですよ」

    となります。

    「〜を禁ずる」とは書かないんですね。
引用返信/返信 削除キー/

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