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■36872 / inTopicNo.1)  純粋理性批判B177
  
□投稿者/ pipit -(2024/03/20(Wed) 14:34:39)
    2024/03/20(Wed) 18:07:09 編集(投稿者)

    みなさまこんにちはー 続きです。
    いつも通り自信ありませんが先に進みます_(┐「ε:)_

    In all other sciences,
    where the conceptions
    by which the object is thought in the general
    are not so different
    and heterogeneous from those which represent the object in concreto - as it is given, it is quite unnecessary to institute any special inquiries concerning the application of the former to the latter.

    他のすべての学(超越論的論理学以外の学)では、そこにおいて対象が一般的に考えられている概念と、与えられたものとしての対象を具体的に表現している概念とがそれほど異なっておらず、異質でもない。
    前者(対象の一般的概念)の後者(対象の具体像)への適用について、特別な追求をする必要はない。
引用返信/返信 削除キー/
■36870 / inTopicNo.2)  純粋理性批判B 176、177 英訳
□投稿者/ pipit -(2024/03/20(Wed) 11:00:07)
    2024/03/20(Wed) 11:01:30 編集(投稿者)

    No36869
    How then is the subsumption of the latter under the former, and consequently the application of the categories to phenomena, possible?

    -For it is impossible to say, for example: “Causality can be intuited through the senses and is contained in the phenomenon.”-


    This natural and important question forms the real cause of the necessity of a transcendental doctrine of the faculty of judgement,

    with the purpose, to wit, of showing how pure conceptions of the understanding can be applied to phenomena.

引用返信/返信 削除キー/
■36869 / inTopicNo.3)  純粋理性批判B 176、177
□投稿者/ pipit -(2024/03/20(Wed) 10:59:13)
    みなさまこんにちは!続きですー  J. M. D. Meiklejohnさんの英訳のpipit意訳・日訳です。

    (英訳略・後で投稿します。)
    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26

    では、後者(直観)を前者(純粋な悟性の概念)の下に包摂すること、つまりカテゴリーを現象に適用することは、どのようにして可能になるのか?
    (というのも例えば、「因果性は感覚を通して直観することができ、現象に含まれている」と言うことは不可能なのだから)

    この自然で重要な疑問が、判断力に関する超越論的な理説が必要であることの真の原因を形成している。
    すなわち、純粋な悟性の概念がどのように現象に適用できるかを示すという目的で。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26
引用返信/返信 削除キー/
■36854 / inTopicNo.4)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/18(Mon) 18:42:55)
    2024/03/18(Mon) 18:53:49 編集(投稿者)

    No36853
    > (pipit感想)
    > 包摂、、、
    > 純粋直観に構成した純粋な幾何学的円と、皿の感覚的形象(丸さ)の形の近さから、円の下に皿を位置付ける作業が可能になる。
    > 直観された皿の丸さの中に、純粋な幾何学的円を見ることが可能ということ。

    No 36750の図で言うと、右から2番目の感性由来の純粋概念が幾何学的円の居場所かな?と。感性由来なので、描き出すことで概念が形象を持てるのかな?と。その形象によりて概念と経験的直観の包摂関係を築けるのかな?と。全く勘違いかもですが(T . T)

    No36644 でカントの数学への考え方について述べている箇所があったので再投稿します。

    >定義についてのカントの記述を見つけました。けっこうページ数を使って記述されていますが、抜粋引用します。
    『哲学においては、数学の真似をして最初に定義を示すようなことをしてはならない(たんに試みてみる場合を除いて。)[哲学における]定義は、与えられた概念を分解することにすぎないのだから、[定義よりも]前に示されるのは(たとえ混乱したものであっても)概念なのである。(略)
    要するに哲学においては適切な明晰さをそなえた定義は、仕事を始めるための前提ではないのであり、定義がえられれば、そこで仕事を終えねばならない(注)。
    これにたいして数学では、定義する前にはいかなる概念も存在しない。定義によって初めて概念が示されるのである。だから数学ではつねに、定義から仕事を始めねばならないのであり、つねにそこから仕事を始めることができるのである。』
    (『純粋理性批判 7』中山元先生訳、p52-.B758)
    『数学の[総合的な]定義においては、誤るということがありえない。まず定義が概念を示すのであるから、概念には、定義においてその概念によって考えられたものしか含まない。(略)
    これにたいして[哲学の]分析的な定義では、さまざまな形で誤謬を犯すことがありうる。その概念には実際には含まれていない特徴を定義に持ち込んだり、定義の本質である〈詳細さ〉に欠けたりすることで、誤るのである。概念の分析が詳細に行われたかどうかについては、わたしたちは完全に確実であることはできない。
    だからこそ、定義にかんする数学的な方法を、哲学においては真似ることができないのである。』
    同本p54.55、B759.760<
引用返信/返信 削除キー/
■36853 / inTopicNo.5)  純粋理性批判B 176
□投稿者/ pipit -(2024/03/18(Mon) 18:30:25)
    みなさまこんにちは!続きですー

    But pure conceptions of the understanding, when compared with empirical intuitions, or even with sensuous intuitions in general, are quite heterogeneous, and never can be discovered in any intuition.

    しかし、純粋な悟性概念は、経験的直観、あるいは一般的な感覚的直観とすら比べると、まったく異質なものであり、どのような直観においても決して発見することはできない。

    (pipit感想)
    包摂、、、
    純粋直観に構成した純粋な幾何学的円と、皿の感覚的形象(丸さ)の形の近さから、円の下に皿を位置付ける作業が可能になる。
    直観された皿の丸さの中に、純粋な幾何学的円を見ることが可能ということ。

    でも今から探索しようとする、純粋悟性概念と現象の包摂関係がどのように成立するか、を考えたとき、現象の中に純粋悟性概念と同種のものは見えない、とカントは考える。
    『原因』という概念が直観上に名札つけて表現されるわけではない。
    純粋悟性概念(カテゴリー)と感覚的直観は異種だとカントは考える。

    この異種を仲介するものについての考察が、今から読む『図式論』かな?ととりあえず思いました。


引用返信/返信 削除キー/
■36834 / inTopicNo.6)  Re[20]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/17(Sun) 09:59:30)
    No36831、pipitさまありがとございます。

    カントの、なんか難しそうね。

    『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』
    ここんとこ、
    自称メルポン派のわたしのをちょっと書いて見るね。

    『皿という経験』には『概念』とか『考え』っていうのは使わないのね。
    〈丸さ〉っていうのは〈感じること〉に入れてるから。

    『円に純粋に幾何学的な概念』っていうの、後からの「知識」じゃないかしら?

    子どものときには、「皿の経験」のなかで〈丸さ〉を感じてるかもだけど、「幾何学的な概念」っていうのないんじゃないかしら?って思ったから、順番逆じゃない?って思ったのね。

    頭のいい人にとっては、「円に純粋に幾何学的な概念において、皿という経験的な概念の〈丸さ〉が考えられていて、直観されてる」のかもだけど。

    ちょっと思っただけだし、カントのとは違うくなっちゃうから、スルーしておいて。



引用返信/返信 削除キー/
■36831 / inTopicNo.7)  Re[19]: 日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/16(Sat) 19:34:04)
    2024/03/16(Sat) 20:36:15 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)

    No36829
    > >(訳文)『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』(『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)<
    >
    > カント、なんか、順番が逆になってるんじゃない?<

    @順番が逆になっている。
    A順番はこのままでよい。
    二つの考え方があるみたい。

    ファイヒンガーさんは@の意見で、↓
    >ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。<
    らしいです。

    田村一郎先生も@の意見で、ファイヒンガーさんにならって読み替えて訳されています。(『純粋理性批判 上』宇都宮芳明先生監訳、以文社、p231参照)↓
    『たとえば皿の経験的概念は円という純粋な幾何学的概念と同種の性質を持っているが、それは後者で考えられている円さが前者において直観されるからである。』

    御子柴先生はAと捉えて、↓
    『皿という経験的概念において考えられる丸さは、円という純粋幾何学的な概念において直観されるからである。(A137/B176)』と日訳されてました。(『カント純粋理性批判』角川選書、p242)

    御子柴先生の解説としては、
    『私たちは、眼前の皿をいちいち確認して、〈ほんとうに丸い〉と判断しているのではありません。むしろ眼前に知覚される経験的な皿を、私たちが「円」という純粋幾何学的概念によって把握し、その「円」を空間という純粋な意識において丸く描出して直観しているのです。』(同本p243)
    とありました。
    異論は出るかもだけ、御子柴先生は『、カントはあえて、経験的概念と純粋概念における同種性を例に挙げて、それに直観を関係づけています。カントは、概念と直観(純粋悟性概念と現象)という異種的なものが、同種性を仲立ちとしてどのように包摂関係を実現するかという問題を考えているのでしょう。』(同本p243)と考えらているようです。

    > もっとも『考えられてる』だからカントの場合しょうがないと思うんだけど。<

    考えられてる〈丸さ〉、、、

    皿と呼ばれる物体を目にしてカントは結論づける....I think that 皿とは丸いものである。


    > わたしの経験した「皿」って呼ばれてる「物」は「まあるいの形」してるだけじゃないのね。
    > あ、カントが生きた時代は「皿」って言ったら”すべて”「まあるい形」してたのかもしれないけどね。<

    どうなんやろうね?
    普通に〈考えたら〉丸だけとは思えないけどなー(ー ー;)
引用返信/返信 削除キー/
■36829 / inTopicNo.8)  Re[18]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/16(Sat) 18:10:25)
    pipitさま、お邪魔しま〜す。

    >(訳文)『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』(『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)<

    カント、なんか、順番が逆になってるんじゃない?
    もっとも『考えられてる』だからカントの場合しょうがないと思うんだけど。

    わたしの経験した「皿」って呼ばれてる「物」は「まあるいの形」してるだけじゃないのね。
    あ、カントが生きた時代は「皿」って言ったら”すべて”「まあるい形」してたのかもしれないけどね。




引用返信/返信 削除キー/
■36815 / inTopicNo.9)  Re[25]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/16(Sat) 00:32:03)
    2024/03/16(Sat) 12:30:01 編集(投稿者)

    No36806に返信(pipitさんの記事)
    > みなさま、おはようございます(^ ^)
    >
    > ■No36805
    >>というわけで、経験的な皿の概念は、純粋な幾何学的な円の概念と同種的なのである。
    >>前者(皿の概念)で思考された丸みが、後者(幾何学的な円の概念)では直観されるのだから。』<
    >
    > この箇所については諸説あるようで、中山元先生はこの箇所に訳注を記されています。
    > その訳注や他の方の訳や御子柴先生の解説をまた後ほど引用しようかと思っています。

    みなさまこんばんは!
    遅くなってしまいました(><)

    まずは中山元先生の訳文と訳注を引用します。

    (訳文)
    『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』
    (『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)

    (訳注)
    『ここで思考と直観の関係がずれているようにみえるので、ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。多くの邦訳も同じように読むが、あえて訂正する必要はあるまい。』
    (同本p318より引用)

    、、、原文はどうなってるのかな?手持ちのKindleでは、、、(文字化けする文字は似た文字に置き換えました)

    So hat der empirische
    Begriff eines Tellers mit dem reinen geometrischen eines Zirkels
    Gleichartigkeit, indem die Rundung, die in dem ersteren gedacht wird,
    sich im letzteren anschauen laBt.

    これをDeepLで英訳すると、

    Thus the empirical
    concept of a plate with the pure geometrical concept of a circle
    similarity, in that the roundness which is conceived in the former
    can be seen in the latter.

    となりました。

    ※もう一度DeepLに英訳してもらうと違う文章になりました。もしかしたら前回は原文を私が崩してしまったかもなので、今回出た英訳もコピペします。
    Thus the empirical
    concept of a plate has the same nature as the pure geometrical concept of a circle
    similarity, in that the roundness which is conceived in the former
    can be seen in the latter.

    続き(田村一郎先生の訳と御子柴先生の解説の引用)はまた後ほど、、、

    おやすみなさいー(( _ _ ))..zzzZZ


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■36806 / inTopicNo.10)  Re[24]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/15(Fri) 06:47:51)
    みなさま、おはようございます(^ ^)

    No36805
    > というわけで、経験的な皿の概念は、純粋な幾何学的な円の概念と同種的なのである。
    > 前者(皿の概念)で思考された丸みが、後者(幾何学的な円の概念)では直観されるのだから。』<

    この箇所については諸説あるようで、中山元先生はこの箇所に訳注を記されています。
    その訳注や他の方の訳や御子柴先生の解説をまた後ほど引用しようかと思っています。


引用返信/返信 削除キー/
■36805 / inTopicNo.11)  Re[23]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/14(Thu) 22:56:58)
    2024/03/14(Thu) 23:00:19 編集(投稿者)

    みなさまこんばんはー
    No36791の英訳をpipitが意訳・日訳してみました。

    『概念の下への対象の包摂全てにおいて、
    対象の像はその概念と同種的でなければならない;

    言い換えれば、その概念に含まれていなければならないのだ
    ---その概念に包摂される対象において表現されているものが---。

    「ある対象がある概念の下に含まれている。」という表現の意味はこれである。

    というわけで、経験的な皿の概念は、純粋な幾何学的な円の概念と同種的なのである。
    前者(皿の概念)で思考された丸みが、後者(幾何学的な円の概念)では直観されるのだから。』
引用返信/返信 削除キー/
■36803 / inTopicNo.12)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/14(Thu) 20:33:47)
    今日は90歳超えで、ネギつくってるおじさんと話した。
    明日も元気だとうれしいな


    Spotifyの無料部分をラジオみたいにして流してるんだけど、アカデミー賞とったからと思うけど、スタジオジブリ集があったので、聴いてる。

    今トトロの

    さっきナウシカのあったから、風の谷のナウシカ観たくなったなー

    映画館で観たいなー
引用返信/返信 削除キー/

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