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No36853 の記事


■36853 / )  純粋理性批判B 176
□投稿者/ pipit -(2024/03/18(Mon) 18:30:25)
    みなさまこんにちは!続きですー

    But pure conceptions of the understanding, when compared with empirical intuitions, or even with sensuous intuitions in general, are quite heterogeneous, and never can be discovered in any intuition.

    しかし、純粋な悟性概念は、経験的直観、あるいは一般的な感覚的直観とすら比べると、まったく異質なものであり、どのような直観においても決して発見することはできない。

    (pipit感想)
    包摂、、、
    純粋直観に構成した純粋な幾何学的円と、皿の感覚的形象(丸さ)の形の近さから、円の下に皿を位置付ける作業が可能になる。
    直観された皿の丸さの中に、純粋な幾何学的円を見ることが可能ということ。

    でも今から探索しようとする、純粋悟性概念と現象の包摂関係がどのように成立するか、を考えたとき、現象の中に純粋悟性概念と同種のものは見えない、とカントは考える。
    『原因』という概念が直観上に名札つけて表現されるわけではない。
    純粋悟性概念(カテゴリー)と感覚的直観は異種だとカントは考える。

    この異種を仲介するものについての考察が、今から読む『図式論』かな?ととりあえず思いました。


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