| 横レス失礼します。
見性と〈私〉哲学の関係ですが、〈私〉哲学の永井氏が数多の禅者から内山興正ただ一人だけ(他の禅者にはほぼ興味なしのようです)を選んで自己漫画図を哲学的に検討している。これが「バージョンII」ですね。
ところで、澤木興道→内山興正と継承された曹洞宗安泰寺(藤田、山下両氏はここの出身)は、見性否定を徹底することにおいて徹底しているところですね。臨済禅に比べて、道元にはもともと見性否定の要素が強いのかもしれないが、安泰寺はそこがハンパでないと。見性を求めない、見性を語らない、何らかの体験があっても一切執着しない。何にもならない、効果のない禅でいいじゃないか。
その安泰での内山興正からみても、どこか禅から外れる要素をもってしまった書、その中の第四図、第五図ですから、基本的に「見性」とは次元が異なるような気もします。
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