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■35020 / inTopicNo.1)  Re[91]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/12(Sun) 19:58:02)
    わたしハイデガーって好きじゃないんだけど、
    彼、「世界の世界性」って言ってる。意味わかんないけど、
    なんか「世界性」っていうの気に入っちゃから。

    No35019の、ちょっと言いかえるね。

    「世界性」を、
     不確定性
     不可知性
    っていってるひともいるみたい。

    に。


引用返信/返信 削除キー/
■35019 / inTopicNo.2)  Re[90]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/12(Sun) 19:32:22)
    「世界観」って、ひとそれぞれよね。
    これを「自然界」と見るのかも、ひとそれぞれね。

    「世界」は、
     不確定
     不可知
    っていってるひともいるみたい。
    あ、これ、人間の能力だから、っていうことじゃないみたいよ。

    でね、わたしそういうひとに聞くのね、

    「だから?」 って。 

    わたしの、このごろ、気に入ってる曲
    人間ごっこ ver.EMA - YouTube

引用返信/返信 削除キー/
■35018 / inTopicNo.3)  Re[89]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/12(Sun) 19:24:58)
    No34813の(h)の、
    『現象学の最も主要なテーマとして提起した「自然的世界概念」あるいは「生活世界」』の、
    「自然的世界概念」なんだけど、
    またメルポンのを書き写すね(たぶん前にも書いたと思うけど)。

    (o)『‥‥現象学とは本質の研究である。現象学によれば、あらゆる問題は、もろもろの本質、例えば知覚の本質、意識本質などを定義することによって解決されるはずである。しかし現象学とは、また、本質を実存のなかに戻し、人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある。それは自然的態度から生ずるさまざまな主張を理解するために、かえってこれらの主張を保留する超越論的な哲学ではあるが、しかしまた、世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。‥‥』(『知覚の現象学』p1-2)

    (p)『われわれは物それ自体を見ており、世界はわれわれの見ている当のものである、――こういうたぐいのきまり文句は、自然的人間と哲学者に共通の信念を表しており(哲学者といえども、眼を開くやなやそう考えざるをえまい)、われわれをわれわれの生活に含まれている声なき「臆見」の深い地層に送り返すのである。だが、この信念には奇妙なところがあって、もしそれを命題や言表に明確に表現しようとすれば、つまりわれわれとは何であり、見るとは何であり、物とか世界とは何であるのかを自問してみるならば、われわれはさまざまの難問や矛盾の迷宮に入り込むことになるのだ。
    [この章の表題の向かい側に、著者の注]――信念という概念を明確化すべし。これは決断的な意味における信念ではなく、一切の定位以前にあるものという意味での信念であり、動物的および[?的]信念である。』(『見えるものと見えないもの』p1)

    っていうのがあって、
    ここに『自然的態度』『この素朴な触れあい』(o)とか、『自然的人間』(p)っていうのある。

    No34770の(e)に「学的解釈」
    No35001の(k)の原注に「理論的実践」
    No35002の(m),(n)には「科学」
    っていうのがあって、
    で、ちょっと思ったんね。

    人(私)を、「科学者や学者」と「自然的人間」っていうふうに分けて見たのね。(「学者」のなかに「哲学者」も含めてるよ)
    わたしのような科学者でも学者でもない人のことを「自然的人間」って呼ぶことにして、
    そして科学者や学者の言う「世界」じゃなくて、
    〈生きられた生活世界のなかで、この世界というものが、自然的人間において、自然と形成されてゆく〉
    こういうのを「自然的世界概念」って言ってるんじゃないかな? って。
    ひとまずこう見とく。
    もっとも、科学者や学者さんだって基本自然的人間にはかわりないと思うけどね。

    それにしても、(p)の『(哲学者といえども、眼を開くやなやそう考えざるをえまい)』って〜、
    メルポンも哲学者のくせにネ。でも、こういう自明さ(信念)について問うていくのが現象学なのかも。

    あと、
    No35001の(k)原注に
    「世界信念」っていうのあるけど、
    〈「世界は存在する」という信念〉って、ひとまずしとく。

引用返信/返信 削除キー/
■35011 / inTopicNo.4)  Re[88]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/12(Sun) 09:52:04)
    「憶測(自分でかってに推測すること)」って、わたしのお喋りにぴったしかも。
    わたしのお喋りつづけま〜す。

    No34934の(i)、

    『知覚は、その上にあらゆる行為が浮かび上がる背景であり、行為はこれを前提といている。世界は、その構成法則を私が手中にもっているような、ひとつの対象ではない。世界は、私のあらゆる思惟と明瞭な知覚との自然的な場であり領野である。』
    のところ、
    わたしに思われたの、

    (1)『知覚』を〈地(地平)〉、『行為』(メルポンのことだから「身振り」って言ってもいいかな?)を〈図〉ってして見て、
     →知覚は、行為(図)の地(地平)。

    (2)『思惟』を〈思考〉ってして見て、『明瞭な知覚』っていうの、わたしどんなのかわかんないけど、
    →世界は、私のあらゆる思考と明瞭な知覚の自然的な場(領野)である。
    っていうことは〜、現象学では「世界」っていうのを自然的存在として見てる?
    No34813の(h)にある「自然的世界概念」っていうのとなんか関係ある?

    (3)『世界は、その構成法則を私が手中にもっていうような、ひとつの対象ではない。』
     →世界を“対象”として見て、人間によって考えられた世界の構成法則。
    ――現象学の言う「生活世界」というのはそういうものじゃなくて。
       ――「世界」というものを「対象として見る」のではなく、っていうことかな?
    だってメルポンは「etre au monde」としてるみたいだし。
     「構成法則」って、〈人間が作り出したもの〉として見ると――文化的存在?
    ――現象学の言う「生活世界」というのはそういうものじゃなくて。

    あと、
    (訳注3)のようなのがメルポンの主体概念――「主体」は、するものであると同時にされるものでもある、みたいな感じ?間主観性ということかな?

    まだ簡単に出来てない。

引用返信/返信 削除キー/
■35008 / inTopicNo.5)  Re[87]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/12(Sun) 08:13:08)
    おはようございます。

    ■35007、
    田秋さん、ありがとございま〜す。
    人工知能を作り出す人って頭よさそう。

    >「誤解を恐れず平易にいいかえるならば、「これまで人間にしかできなかった知的な行為(認識、推論、言語運用、創造など)を、どのような手順(アルゴリズム)とどのようなデータ(事前情報や知識)を準備すれば、それを機械的に実行できるか」を研究する分野である」<
    だけから、わたしの感想ね。

    「どのような手順(アルゴリズム)とどのようなデータ(事前情報や知識)を準備すれば」は、「問い」だと思うんだけど、これすら人工知能ができるのなら、すごいと思う。だって手順やデータは人間によるものの域を出てないと思うから。

    「知的な行為(認識、推論、言語運用、想像)」ってあるから、「認識」って呼んでるのは知的、っていうことなんだろうと思うけど、「人間にしかできなかった」っていうか、人間の性は知性だけじゃないと思う。
    「人間にしかできなかった知的な行為」って言うこと自体が主知主義なのかな。

    ウィッキで調べたら、
    「知能は、生活の新たな課題と条件に対する精神的順応力、言語や記号を使う概念的思考能力、知識や技能を獲得する能力などを指す言葉。」ってあった。

    あ、わたし人工知能を「いいかわるいか」とかでいってるんじゃないよ。
    たぶん(これまでのように)AIの進歩によって私の「生活世界」は変わってくるのだろうけど、それが「生きられた」になっていくのはわかんない。
    たまたまいまわたしの物語りが、現象学における「知性と知覚」、「文化と自然」について、だったから、そこはかとなく。

引用返信/返信 削除キー/
■35007 / inTopicNo.6)  Re[86]: つれづれなるままに
□投稿者/ 田秋 -(2023/11/11(Sat) 20:57:14)
    2023/11/11(Sat) 23:40:07 編集(投稿者)

    こんばんは、悪魔ちゃん

    ウィキペディアの《人口知能》に以下のような文章があります。

    『日本大百科全書(ニッポニカ)』の解説で、情報工学者・通信工学者の佐藤理史は次のように述べている。
    「誤解を恐れず平易にいいかえるならば、「これまで人間にしかできなかった知的な行為(認識、推論、言語運用、創造など)を、どのような手順(アルゴリズム)とどのようなデータ(事前情報や知識)を準備すれば、それを機械的に実行できるか」を研究する分野である」

    「自ら問いを立てる」というのはまさに人間にしかできない(できなかった)知能的な行為です。それをどのような計算方法とデータでできるようになるかを研究しているのが人工知能の研究です。

    囲碁にアルファ碁という世界名人にも勝つAIソフトがあります。その開発者が「対局中のアルファ碁が何を考えているか全くわからない」と言っていました。

    絵を描くAIや作曲するAIは既にあります。少し前までは絵や音楽は一応人間の専売特許的な地位にありました。

    アルゴリズムの良し悪しは重要です。これの改良によって計算が大幅に簡単になることがあります。
    例えば1から10まで全部足すと幾つか?という問題。
    順番に1+2+3+4+5+6+7+8+9+10=55と足していく方法もありますが、1+9.2+8.3+7,4+6、10それと5で55の方がスマートです。

    もう一つ、碁盤は縦横19×19、石を置ける場所があります。石が置ける場所は全部で幾つあるでしょう?

    19×19を掛け算の筆算
     19
    ×19
    ――
    で計算するのも一つの方法です。

    19^2(19の2乗)を(20−1)^2と考え(a-b)^2=a^2-2ab+b^2の公式を使うと
    20^2=400、-2abは-40、b^2は1ですから400-40+1=361と暗算でもできるようになります。

    また同じくウィキペディアの「技術的特異点」に

    技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、英語: technological singularity〔テクノロジカル・シンギュラリティ〕)またはシンギュラリティ (singularity) とは、科学技術が急速に「進化」・変化することで人間の生活も決定的に変化する「未来」を指す言葉。発明家にして思想家のレイ・カーツワイルによれば特異点とは、技術的「成長」が指数関数的に続く中で人工知能が「人間の知能を大幅に凌駕する」時点 (以下略)

    かなり確実な予想として将来AIは人間を超えるだろうとされています。それがいつなのかは諸説ありますが、一つの有力な説として2045年というのがあります。

    天才物理学者がよってたかって量子力学を作り上げました。それと同じようなことが〜AI自身も参加して〜人工知能の研究の世界でも行われているのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■35006 / inTopicNo.7)  Re[85]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/11(Sat) 20:18:01)
    たしか、フィロソフィアには「問答法」っていうのあったみたい。
    ソクラテスだったかしら?

    これって、問いと答えでしょ?
    問いがなければ答えもないよね。
    問いと答えは対(つい)になって存在してる、っていうことよね。

    「知」っていうの、こういうのから生まれるんじゃないかしら?

    AIへの問いとして、
    「あなたは何を知りたいの?」っていう質問したら、どんな答えが返って来るかしら? 
    って、ふと。

引用返信/返信 削除キー/
■35005 / inTopicNo.8)  Re[84]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/11(Sat) 19:15:38)
    そこはかとなく、

    AIっていうの、

    自ら問いを立てるのかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■35002 / inTopicNo.9)  Re[83]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/11(Sat) 15:52:36)
    あ、書いとくの忘れた。

    (l)『事象そのものに帰るということは、認識に先だつ世界に帰ることである。認識はつねにこの世界について語るのであり、これに対してはいかなる科学的規定も、抽象的、記号的、依存的である。これは、森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景に対して、地理学が抽象的、記号的、依存的であるのと同様である。』(『知覚の現象学』p4)

    ついでにもうちょっと。
    現象学における「生活世界」をネットで調べたら、あった。
    それを一部書き写しておく。

    小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)に、
    ・・・・・・・・・・・・・
    (m)〔科学によって理念的に構成される以前に、われわれが身体的実践を行いつつ直観的なしかたで日常的に存在している世界のこと。・・・科学が扱う対象の世界は、生活世界を地盤として構成された特殊な世界にすぎない。・・・生活世界は、判断以前の受動的で根源的な信念の場として知覚的・直観的な環境であるだけではなく、主観が他者たちと共に生きている相互主観的なコミュニケーションの共同体でもあって、そのかぎりでは文化伝統の沈殿した歴史的な世界でもある。・・・メルロ・ポンティは『知覚の現象学』で、前客観的な経験の世界としての知覚的な領野と身体的な実存の非人称的な領野の記述を自らの現象学の課題とした。〕
    ・・・・・・・・・・・・・

    ウィキペディアに、
    ・・・・・・・・・・・・・
    (n)〔生活世界とは、後期フッサールの現象学の概念の一つである。・・・科学的な世界理解に先立っていつもすでに自明なものとして与えられている世界を意味する。「生世界」とも訳される。〕
    ・・・・・・・・・・・・・

    いま、現象学における「世界」っていうのがどんなんかを、わたしに見えるようにしようとしてるんだけど、だいたい現象学からの書き写しはすんだかな?
    つぎから、これまで抽出したところから、わたしの憶測を書いていくことにするね。


引用返信/返信 削除キー/
■35001 / inTopicNo.10)  Re[82]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/11(Sat) 15:17:56)
    現象学における「世界」というものについてわたしが抽出したとこをもう少し。

    (k)『人間の意識という問題が決定的な形で論じられるのは、〈知覚〉や〈感覚的なもの〉の段階においてでなければならないのであるが、しかるにハイデガーの言う企投なるものは(『存在と時間』によれば、それがわれわれに現実の理解可能性を与えてくれるはずのものである)、日常的実存の主体が釘を打って物をつくる以上は〈腕をあげ〉、時計を見るからには〈目を向け〉、車に乗って行くからには〈向きを定める〉のだということを、すでにあらかじめ前提しているからなのである。つまり、行動したり身体を動かしたりする機能や知覚の能力が「自明」なものとあらかじめ判断されてしまえば、後は、人間存在が右のようなさまざまの営みを果たしうるというように、なんの問題もおこらない道理であろう。ひとびとが常識の「自明さ」を最後まで問いつめた試しはいまだかつてなかったが、ハイデガーの読者も、われわれの意図している〈世界の記述〉において彼の展開する精細さが、その引きかえに、「つねに−すでに−そこに」あるわれわれの世界(3)をまったく無視していたのだということに、後になって、やっと気づくというわけである。』 (『行動の構造』上p8)
    (3)原注
    フッサールは、この世界を前述語的と名づけ、それを現象学的記述の対象としている。彼は、『経験と判断』のなかでその世界を次のように性格づけている。「環境は、前所与性〔=あらかじめ与えられてあること〕、つまり受動的前所与の領域として、すなわち、われわれがなんの深いかかわりもなく、把捉的まなざしを向けることもなく、なんの関心も目覚めないままのとき、つねに、すでにそこにある前所与性の領域として、同時にそこにあるものである。いかなる認識活動も、個々の対象に向う把捉活動も、すべてこの受動的前所与性の領域を前提としている」(24ページ)しかし、じつはこの前述語的経験は、認識ばかりではなく〈主題〉をもった活動(ハイデガーによれば「として−構造」をあらわす経験〔Sein und Zeit,pp.15lf〕)にも先行するのである。「世界信念(Weltglauben)という、この普遍的基底は、生活的実践であれ、認識という理論的実践であれ、あらゆる実践の前提となるものである。」(25ページ)。〔『両義性の哲学』2ページ〕

    ここんところについてのも、わたしに思われたのは後で。

引用返信/返信 削除キー/
■34980 / inTopicNo.11)  Re[81]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/09(Thu) 20:11:36)
    そこはかとなく、ついでの、

    「優生」=〈優れた生〉

    ヒトラーの信念−―ドイツ民族は優生。
    日本民族が優生であることに拍手喝采!
    わかりやすいのはスポーツ。国際大会で言えばオリンピックかな。



引用返信/返信 削除キー/
■34979 / inTopicNo.12)  Re[80]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/09(Thu) 19:46:49)
    そこはかとなく、

    「優生保護法」っていうのあるみたい。
    「不良な子孫の出生を防止すること」みたい。いまは法律名が「母体保護法」に改められたみたい。
    でも、これって「優生」であることが望ましい、っていうことには変わりなよね。
    ほら、たとえばさ〜、
    おおたにさんみたいな野球選手を、「すばらしい」と見る「優生」思想から、このような「法」ができたのかもね?

    「優秀な人だけが存在すること」これが「優生」の意味だとわたし勝手に思ってる。

    名を変えたとしても「意味」はなんも変わってないのかもね。





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