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■36293 / inTopicNo.1)   ダンマパダ「千の章」106
  
□投稿者/ pipit -(2024/01/26(Fri) 21:01:21)
    2024/01/27(Sat) 09:04:05 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは(^ ^)
    ダンマパダ106のBhikkhu Sujatoさま英訳をpipitが日訳しました。

    Rather than a thousand-fold sacrifice,
    every month for a hundred years,
    it’s better to honor for a single moment
    one who has developed themselves.
    That offering is better
    than the hundred year sacrifice.


    100年間毎月1000の供犠をするより、
    自らを発展させる人を一瞬称えるほうが良い。
    その捧げものは100年間の供犠より良い。

引用返信/返信 削除キー/
■36254 / inTopicNo.2)  pipitさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2024/01/21(Sun) 21:47:56)
    こんばんは、pipitさん。レスありがとうございます。

    No36253に返信(pipitさんの記事)

    > ■No36251
    >>ジョハリの窓で検索するといろいろ出てきます。<

    > ジョハリの窓を検索しました。有名な考え方だったんですね!
    > 教えていただいて嬉しいです、ありがとうございます。

    どういたしまして。^^
    ちょっと余計なお世話かなと思ったので一度は削除しましたが、悪魔ちゃんからの追記もあったのでレスしました。

    > お話しくださったお坊さまは、いろんなことを勉強されている印象を受けました。
    > (生まれがお寺だそうで)自分にできるだけ正直に仏教に関われるように、自分で納得できるように、内面的に哲学的な思索もなさっているのかなと思いました。

    お坊さんもいろんな人がいて、全く勉強もせずに法話マニュアルでもって法事や葬式で偉そうにペロペロやってる腐れ坊主(笑)もいれば、常に向上心をもって自宗派だけではなくいろんなことを勉強されているお坊さんもいますね。

    ニュートンを読んでいるお坊さんは(僭越ながら)好奇心も旺盛で向上心のある方だと思います。

    > 人間関係は何かと大変だなーと思いました(^_^;)

    確かに。
    「秘密の窓」は私秘性ですね。

    他者の私秘性は私の認識の彼方ですから想像するしかない。
    でもその想像は自分の色眼鏡によるものだということは留意する必要がありますね。

    万法不離識(すべての外界は見るものの心を離れず、多かれ少なかれ自己が投影されたものである)
    おやすみなさい♪
引用返信/返信 削除キー/
■36253 / inTopicNo.3)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/01/21(Sun) 21:30:46)
    パニチェさん、こんばんはー(^O^)

    No36251
    > ジョハリの窓で検索するといろいろ出てきます。<

    ジョハリの窓を検索しました。有名な考え方だったんですね!
    教えていただいて嬉しいです、ありがとうございます。

    お話しくださったお坊さまは、いろんなことを勉強されている印象を受けました。
    (生まれがお寺だそうで)自分にできるだけ正直に仏教に関われるように、自分で納得できるように、内面的に哲学的な思索もなさっているのかなと思いました。

    人間関係は何かと大変だなーと思いました(^_^;)





引用返信/返信 削除キー/
■36252 / inTopicNo.4)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2024/01/21(Sun) 21:05:02)
    悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)

    No36249に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、お邪魔しま〜す。
    >
    > ■36248、
    > >人には四つの自分がある、他人も自分も知っている、おもての自分、他人は知らない、自分は知っている、裏の自分、他人が知っている、自分は知らない、影の自分、
    > 他人も自分も知らない、自分。< −――(は〜?)
    >
    > わたしもそんなようなことどこかで読んだことある。
    >
    > でもね、そこには<おもての>とか<影の>っていうのは入ってなかった気がする。<

    パニチェさんが教えてくださった「ジョハリの窓」の説明を読んでみました。
    そこでも、おもての、とか、影の、とか記述がありませんでした。
    pipitが聴き間違えた可能性もあるし、お坊様の中で消化したイメージだったかもしれないね。
    書き込みありがとうね!


    > (は〜?)言ってる人、わたし信用できない。<

    pipitの印象では、ぽかーん、みたいな雰囲気かなぁ
    でもpipitが勝手にそう思い込んでいるだけで、私がそうであったように、おもしろいなと聞いてた人もたくさんの割合でいるかもしれないね。
    そうだとおもしろいな。

    人が何考えてるかって、やっぱり?わからないもんかなー


引用返信/返信 削除キー/
■36251 / inTopicNo.5)  Re[77]: 仏教日記
□投稿者/ パニチェ -(2024/01/21(Sun) 19:04:22)
    こんばんは、横レス失礼します。

    No36249に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、お邪魔しま〜す。

    > ■36248、
    > >人には四つの自分がある、他人も自分も知っている、おもての自分、他人は知らない、自分は知っている、裏の自分、他人が知っている、自分は知らない、影の自分、
    > 他人も自分も知らない、自分。< −――(は〜?)

    > わたしもそんなようなことどこかで読んだことある。

    > でもね、そこには<おもての>とか<影の>っていうのは入ってなかった気がする。

    > (は〜?)言ってる人、わたし信用できない。


    ジョハリの窓で検索するといろいろ出てきます。
引用返信/返信 削除キー/
■36249 / inTopicNo.6)  Re[76]: 仏教日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/01/21(Sun) 18:59:01)
    pipitさま、お邪魔しま〜す。

    ■36248、
    >人には四つの自分がある、他人も自分も知っている、おもての自分、他人は知らない、自分は知っている、裏の自分、他人が知っている、自分は知らない、影の自分、
    他人も自分も知らない、自分。< −――(は〜?)

    わたしもそんなようなことどこかで読んだことある。

    でもね、そこには<おもての>とか<影の>っていうのは入ってなかった気がする。

    (は〜?)言ってる人、わたし信用できない。

引用返信/返信 削除キー/
■36248 / inTopicNo.7)  仏教日記
□投稿者/ pipit -(2024/01/21(Sun) 18:20:58)
    2024/01/21(Sun) 18:22:06 編集(投稿者)

    地域のお寺の行事のお手伝いに行った時、お坊様の御説法で、

    「この前ニュートンという雑誌で見たのですが、、、
    人には四つの自分がある、
    他人も自分も知っている、おもての自分、
    他人は知らない、自分は知っている、裏の自分、
    他人が知っている、自分は知らない、影の自分、
    他人も自分も知らない、自分。」

    という話題が出て、面白く感じました。
    特に、(他人が知っていて自分が知らない、影の自分)って、そういう捉え方気づかなかったなぁ!と。

    このお坊様のお話は、ほんのりと哲学っぽくて(カール・ヤスパースさんのお名前が!!お名前がチラリと出ただけですけど。弥勒菩薩像を美しいと仰ってたらしい、みたいな)
    私はおもしろかったけど、、、

    ずっと父が当番の手伝いに行ってくれてたけど、そろそろ交代してもらえないかと言われたので、今年度からはじめて出席していますが、お寺さんも大変そうだなぁと思いました。

    時代が変化していきますもんね
    無常ですね

引用返信/返信 削除キー/
■36032 / inTopicNo.8)  Re[74]: 緊那羅&乾闥婆
□投稿者/ pipit -(2024/01/06(Sat) 13:49:26)
    パニチェさん、田秋さん、ありがとうございます。

    No36028

    > 首から上が象になっているのは古代インドのハチャメチャ(笑)な神話からです。
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3
    > 以下、上記Wikipediaより引用
    > 『パールヴァティーが身体を洗って、その身体の汚れを集めて人形を作り命を吹き込んで自分の子供を生んだ。パールヴァティーの命令で、ガネーシャが浴室の見張りをしている際に、シヴァが帰還した。ガネーシャはそれを父、あるいは偉大な神シヴァとは知らず、入室を拒んだ。シヴァは激怒し、ガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨てることになる。パールヴァティーに会い、それが自分の子供だと知ったシヴァは、投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけるが、見つけることができなかった。そこで旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け復活させた。これが、ガネーシャが象の頭を持っている言われとされる。』<

    いやー、はちゃめちゃ
    ストーリーがパワフルですねーp(^_^)q

    私が知らないだけで、西洋でも中国でも日本でもその他いろんな地域でたくさんのお話が語り継がれているのでしょうね。
    (^ ^)

引用返信/返信 削除キー/
■36028 / inTopicNo.9)  pipitさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2024/01/06(Sat) 11:05:22)
    こんにちはpipitさん。レスありがとうございます。

    No36026に返信(pipitさんの記事)

    > 仏像の本も持ってられることに驚きですΣ(・□・;)博識ー

    単なる興味本位で遥か昔に買いました。^^

    > 御二方とも音楽の神様だけど、緊那羅王様は歌がお上手なんですね♪

    そうみたいです。^^

    > おもしろいですー(#^.^#)
    > 八部衆ってなんか聞き覚えが、、、と思い出すと、私はミーハー的に興福寺の阿修羅像が好きで、何回か興福寺の国宝館に拝観していて、

    おぉ!「天平の美少年」「日本彫刻史上 最高の美少年」ですね。
    pipitさんはイケメン好きとみた!(笑)

    > 興福寺は古いお寺なのからか、定説の八部衆と少しメンバーが違うようです。
    > 興福寺のサイトより
    > 「乾漆八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)」
    > https://www.kohfukuji.com/property/b-0008/

    ほんとですね。初めて知りました。

    > ありがとうございます!

    こちらこそ、ありがとうございました。


    No36022に返信(田秋さんの記事)
    > 仏教にケンタウロスは登場しないだろうと思い、「仏教 半人半獣」で検索をかけたらウィキペディアの緊那羅(キンナラ)がヒットしました。

    ちなみに仏教で有名な人間と動物が合体したメジャーな仏像は歓喜天でしょうね。
    インドの神話に登場するガネーシャが天部として仏教に取り込まれ、理趣経(密教経典)の教義(男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地)と結びついています。

    首から上が象になっているのは古代インドのハチャメチャ(笑)な神話からです。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3
    以下、上記Wikipediaより引用
    『パールヴァティーが身体を洗って、その身体の汚れを集めて人形を作り命を吹き込んで自分の子供を生んだ。パールヴァティーの命令で、ガネーシャが浴室の見張りをしている際に、シヴァが帰還した。ガネーシャはそれを父、あるいは偉大な神シヴァとは知らず、入室を拒んだ。シヴァは激怒し、ガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨てることになる。パールヴァティーに会い、それが自分の子供だと知ったシヴァは、投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけるが、見つけることができなかった。そこで旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け復活させた。これが、ガネーシャが象の頭を持っている言われとされる。』

引用返信/返信 削除キー/
■36027 / inTopicNo.10)  Re[73]: 緊那羅&乾闥婆
□投稿者/ 田秋 -(2024/01/06(Sat) 10:45:28)
    おはようございます、pipitさん、パニチェさん

    ボクも興福寺の国宝館は何回か行きました。一度相愛大学音楽部出身のびよらの友達と行ったことがあります。相愛は仏教系の大学でこの人はなかなか仏教にも詳しく阿修羅像が好きで(目が好きなんだそうです)、鑑賞しながらくっちゃら喋っていたら「私語を慎んでください」と注意された記憶があります^^
    ここの緊那羅さん、確かに三つ目で角がありますね。

    神話や仏界は最初に実物或いは正確な設計図があった訳ではないので、地域や年代によってバリエーションが生まれます。そのため同一神(人物)のはずなのに異なる特徴を持つ方々が出来てしまいます。西遊記の沙悟浄が河童の化け物であるというのも最たる例です(中国に河童いません)。

    今回の乾闥婆像や緊那羅像のように前もって話題に上ると次回鑑賞するときに親しみを持って鑑賞できます。

    色々な情報、ありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■36026 / inTopicNo.11)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/01/06(Sat) 09:54:09)
    パニチェさん、こんにちは(^○^)
    仏像の本も持ってられることに驚きですΣ(・□・;)博識ー
    書き込みありがとうございます!

    No36025
    > 創元社刊「仏像入門」によると天部の八部衆として以下のように記載されてました。
    >
    > 『乾闥婆 ガンダルヴァ(サンスクリット語)を音写したもので、神々に仕える半神族として古くからインドの神話などに登場してきます。帝釈天に仕えふだんは地上に住んでいますが、ときどき天上に昇って音楽を奏でるといわれます。音楽を奏でる神で、香だけを食べて生きているといわれます。』
    >
    > 『緊那羅 サンスクリッド語ではキンナラといいますが、「キン」とは「〜であろうか、それとも〜ではないのだろうか」という意味、「ナラ」は「人」のことです。つまりキンナラとは、「人であろうか、それとも人ではないのだろうか」というほどの意味です。そしてその名の示すとおり、からだの半分が人で半分が獣です。頭に角が生えているのが特徴です。いろいろな楽器を奏でながら歌をうたい、帝釈天に仕えます。作例はきわめてまれでほとんど目にすることはありません』とありました。
    >
    >
    >
    > http://tobifudo.jp/butuzo/28bushu/19kinnara.html
    > 上記サイトによると。。。
    >
    > 乾闥婆王(けんだつばおう)は『達婆、健闥縛、乾沓和けんとうわなどとも書きます。けんだつばはサンスクリット語の音写で、香神こうじん食香じきこうなどと訳します。お香を食べる言われてます。帝釈天の眷属で、天界の楽師です。これと対になるのが歌の神様、緊那羅王きんならおうです。須弥山の南、金剛崛または十宝山に住んでいます。持国天と同じとも言われます。右手に法輪、左手に経典を持ちます。』
    >
    > 緊那羅王(きんならおう)は『美しい歌声をもつことで有名で、天界の歌の神様です。これと対になるのが楽師の神様、乾闥婆王(けんだつばおう)です。緊那羅王は仏教の神様になる前は、音楽に秀でた半人半獣でした。肩から鼓を提げて打っているところです。文殊菩薩の化身とも言われます。』
    >
    > 上記では乾闥婆王が帝釈天の眷属になってますが、半身半獣は緊那羅王になってます。
    >
    >
    >
    > https://www.kohfukuji.com/property/b-0011/
    > 上記サイトでは。。。
    >
    > 緊那羅像(八部衆)として『毘沙門天の家来、または帝釈天宮の音楽神でもあります。「何か(kim)人(nara)」の意味で、半神とされます。像は頭上の正面に1本の角を持ち、額には縦に1目を置いて3目とし、やや左を向きます。毘沙門天の家来、または帝釈天宮の音楽神でもあります。「何か(kim)人(nara)」の意味で、半神とされます。像は頭上の正面に1本の角を持ち、額には縦に1目を置いて3目とし、やや左を向きます。』<

    御二方とも音楽の神様だけど、緊那羅王様は歌がお上手なんですね♪


    > https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86-114822
    > 上記コトバンクで八部衆とは『仏語。釈迦が説法のとき聴聞に常侍し仏法を讚美した、仏法守護の八体一組の釈迦の眷属。天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご(漢字では「目に候」と書く)羅伽(まごらか)の称。多くは天と龍で代表させて天龍八部という。』とのことでした。
    >
    >
    > 今年の干支である龍は八部衆とのことでしたが、緊那羅と乾闥婆はなんかよく分かりませんね。。。^^<

    おもしろいですー(#^.^#)
    八部衆ってなんか聞き覚えが、、、と思い出すと、私はミーハー的に興福寺の阿修羅像が好きで、何回か興福寺の国宝館に拝観していて、

    https://www.kohfukuji.com/construction/c08/

    その時に居られたんだなー、と、、、

    興福寺は古いお寺なのからか、定説の八部衆と少しメンバーが違うようです。

    興福寺のサイトより
    「乾漆八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)」

    https://www.kohfukuji.com/property/b-0008/

    「乾闥婆像【八部衆】(けんだつばぞう)」

    https://www.kohfukuji.com/property/b-0013/

    「緊那羅像【八部衆】(きんならぞう)」

    https://www.kohfukuji.com/property/b-0011/

    いろいろ思い出します。
    国宝館にある鬼さんがお仕事してる像も大好きなんです♪

    https://search.yahoo.co.jp/amp/s/shouryuji.ti-da.net/a9491939.html%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID

    興福寺の他にもいろんなところで鬼さんたちもお仕事してるんですねー(o^^o)
    パニチェさんの書き込みをきっかけにそのことをはじめて知りました。

    ありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■36025 / inTopicNo.12)  緊那羅&乾闥婆
□投稿者/ パニチェ -(2024/01/06(Sat) 07:42:41)
    2024/01/06(Sat) 08:25:41 編集(投稿者)

    おはようございます、pipitさん、田秋さん。横レス失礼します。

    No36024に返信(pipitさんの記事)
    > 原語は「gandhabbo」で、
    > ※ Neva devo na gandhabbo,
    > na maro saha brahmuna;
    > https://suttacentral.net/dhp100-115/pli/ms?lang=en&layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin

    > 漢訳は「乾闥婆(けんだつば)」だそうです。
    > 以下wikiより抜粋引用します。
    > 「ガンダルヴァ(梵: 略[gandharva])は、インド神話においてインドラ(帝釈天)またはソーマに仕える半神半獣の奏楽神団で、大勢の神の居る宮殿の中で美しい音楽を奏でる事に責任を負っている。また、ソーマの守護神であるとも伝えられている。アプサラスの夫だが、女性のガンダルヴァも存在する。ガンダルヴァの演奏は自然界の中のラーガとして見出される。外見は主に頭に八角の角を生やした赤く逞しい男性の上半身と、黄金の鳥の翼と下半身を持った姿で表される。その大半が女好きで肉欲が強いが、処女の守護神でもある。
    > 酒や肉を喰らわず、香りを栄養とする為に訪ね歩くため食香または尋香行とも呼ばれ、自身の体からも香気を発する。香気と音楽は非常にかすかでどこから発しているのかわからないともされる。 その身から冷たくて濃い香気を放つため、サンスクリットでは「変化が目まぐるしい」という意味で魔術師も「ガンダルヴァ」と呼ばれ、蜃気楼の事をガンダルヴァの居城に喩え「乾闥婆城」(gandharva-nagara)と呼ぶ。
    > かつてはギリシア神話のケンタウロスと同源であると推定されていたが、現在では否定的である。むしろ、パーンに近い。」

    > https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1



    創元社刊「仏像入門」によると天部の八部衆として以下のように記載されてました。

    『乾闥婆 ガンダルヴァ(サンスクリット語)を音写したもので、神々に仕える半神族として古くからインドの神話などに登場してきます。帝釈天に仕えふだんは地上に住んでいますが、ときどき天上に昇って音楽を奏でるといわれます。音楽を奏でる神で、香だけを食べて生きているといわれます。』

    『緊那羅 サンスクリッド語ではキンナラといいますが、「キン」とは「〜であろうか、それとも〜ではないのだろうか」という意味、「ナラ」は「人」のことです。つまりキンナラとは、「人であろうか、それとも人ではないのだろうか」というほどの意味です。そしてその名の示すとおり、からだの半分が人で半分が獣です。頭に角が生えているのが特徴です。いろいろな楽器を奏でながら歌をうたい、帝釈天に仕えます。作例はきわめてまれでほとんど目にすることはありません』とありました。



    http://tobifudo.jp/butuzo/28bushu/19kinnara.html
    上記サイトによると。。。

    乾闥婆王(けんだつばおう)は『達婆、健闥縛、乾沓和けんとうわなどとも書きます。けんだつばはサンスクリット語の音写で、香神こうじん食香じきこうなどと訳します。お香を食べる言われてます。帝釈天の眷属で、天界の楽師です。これと対になるのが歌の神様、緊那羅王きんならおうです。須弥山の南、金剛崛または十宝山に住んでいます。持国天と同じとも言われます。右手に法輪、左手に経典を持ちます。』

    緊那羅王(きんならおう)は『美しい歌声をもつことで有名で、天界の歌の神様です。これと対になるのが楽師の神様、乾闥婆王(けんだつばおう)です。緊那羅王は仏教の神様になる前は、音楽に秀でた半人半獣でした。肩から鼓を提げて打っているところです。文殊菩薩の化身とも言われます。』

    上記では乾闥婆王が帝釈天の眷属になってますが、半身半獣は緊那羅王になってます。



    https://www.kohfukuji.com/property/b-0011/
    上記サイトでは。。。

    緊那羅像(八部衆)として『毘沙門天の家来、または帝釈天宮の音楽神でもあります。「何か(kim)人(nara)」の意味で、半神とされます。像は頭上の正面に1本の角を持ち、額には縦に1目を置いて3目とし、やや左を向きます。毘沙門天の家来、または帝釈天宮の音楽神でもあります。「何か(kim)人(nara)」の意味で、半神とされます。像は頭上の正面に1本の角を持ち、額には縦に1目を置いて3目とし、やや左を向きます。』



    https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86-114822
    上記コトバンクで八部衆とは『仏語。釈迦が説法のとき聴聞に常侍し仏法を讚美した、仏法守護の八体一組の釈迦の眷属。天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご(漢字では「目に候」と書く)羅伽(まごらか)の称。多くは天と龍で代表させて天龍八部という。』とのことでした。


    今年の干支である龍は八部衆とのことでしたが、緊那羅と乾闥婆はなんかよく分かりませんね。。。^^

引用返信/返信 削除キー/

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