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■3339 / inTopicNo.49)  Re[23]: 田秋さんに質問です
  
□投稿者/ flora -(2020/06/30(Tue) 17:06:53)
    パニチェ様、横失礼します。

    >またそのリンクをツイッターやフェイスブックに貼って、拡散されることについて

    まったく問題ないと思います。というのもYOUTUBE画面の右下に「動画共有」とありますね。

    このサイトYoutubeの親会社Googleで、説明しています。

    その中にソーシャルネットワークに関する言及も「ソーシャル ネットワーク: ソーシャル ネットワーク アイコン(Facebook、Twitter など)をクリックし、開いたウィンドウで動画を共有します。」とあります。

    https://support.google.com/youtube/answer/57741?co=GENIE.Platform%3DDesktop&hl=ja#

    個人的には、田秋様同様に、他人のユーチューブを複製して利益を得たり、または内容を変更して自分のものとしてアップロードしない限りは、問題ないと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■3338 / inTopicNo.50)  Re[24]: 田秋さんに質問です
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/30(Tue) 15:54:55)
    2020/06/30(Tue) 16:12:19 編集(投稿者)

    こんにちは、田秋さん。返信ありがとうございます。

    No3337に返信(田秋さんの記事)

    > 音楽業界でも著作権についてはかなり神経質になっています。このことに関してはニーチェクラブ全体の問題として捉えるのは大変良いことだと思います。

    ありがとうございます。

    > さて、ニーチェクラブのBBSで例えばyoutubeのURLを張るという行為ですが、その行為から、本来はURLを張られた所(者)が得るべき利益を不法に奪っているならば、それは問題があると思います。

    なるほど。私もそのように思います。
    ただ厳密には(親告罪なので)その利益を奪っているかどうかの判断は著作権者の判断ですよね?
    現実的にはリンクを貼る者が著作権者の身になって想像し「利益を奪うことになるか否か」で判断することもありだと思われますか?

    > 「YouTube動画をサイトへ埋め込み・リンク貼り付けは著作権違反かどうか解説!」
    > というサイトではここで行われているURLの貼り付けは著作権法違反にはならないとあります。

    そうですね。

    > そもそも私がここへお邪魔するようになったときからURLの貼り付けは行われていたので(最初のhを取る方法で)、深く考えずにこの方法を使っています。

    私も個人的にはリンクは問題ないと思っていますが、著作権者側からの意見もお聞きしたいと思い質問しました。
    他意は全くありません。リンク案内は今まで通りで結構です。^^

    > 他の方のご意見や情報、それにWebmasterの考えを総合してニーチェクラブの方針を決めたらどうでしょうか。私はそれに従います。
    > それとも、既にクレームが来ましたか?

    いえ、現時点でクレームが来ているわけではないのです。^^
    私が管理人を引き受ける前に一度だけ私が「数十年にわたって励まされた」という内容で引用した歌詞にクレームをつけられたことはあったようですが。。。

    PS.他のメンバーも何か意見があれば横レス歓迎します♪

引用返信/返信 削除キー/
■3337 / inTopicNo.51)  Re[23]: 田秋さんに質問です
□投稿者/ 田秋 -(2020/06/30(Tue) 15:36:19)
    パニチェさま、こんにちは。

    音楽業界でも著作権についてはかなり神経質になっています。このことに関してはニーチェクラブ全体の問題として捉えるのは大変良いことだと思います。

    さて、ニーチェクラブのBBSで例えばyoutubeのURLを張るという行為ですが、その行為から、本来はURLを張られた所(者)が得るべき利益を不法に奪っているならば、それは問題があると思います。

    「YouTube動画をサイトへ埋め込み・リンク貼り付けは著作権違反かどうか解説!」
    というサイトではここで行われているURLの貼り付けは著作権法違反にはならないとあります。

    そもそも私がここへお邪魔するようになったときからURLの貼り付けは行われていたので(最初のhを取る方法で)、深く考えずにこの方法を使っています。
    他の方のご意見や情報、それにWebmasterの考えを総合してニーチェクラブの方針を決めたらどうでしょうか。私はそれに従います。

    それとも、既にクレームが来ましたか?


引用返信/返信 削除キー/
■3336 / inTopicNo.52)  田秋さんに質問です
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/30(Tue) 15:12:23)
    2020/06/30(Tue) 15:35:46 編集(投稿者)

    著作権法関連についての質問です。

    YouTubeにテレビ番組の録画やその他の著作物動画を無断でアップしたりするのは、(親告罪なので告訴されれば)著作権法違反になると思います。

    大方の法律家によればYouTubeのリンクを貼ること自体が著作違反になるということはないとの見解で、またそのような判例も現時点ではないようですが。。。

    例えばテレビ映像にせよ、他の何らかの手法で手に入れた日本フィルハーモニーの動画をYouTubeにアップする人がいたとして、この行為自体はやはり迷惑、あるいはできれば告訴したいと思われますか?

    またそのリンクをツイッターやフェイスブックに貼って、拡散されることについては田秋さん個人として、どのように思われるか教えていただければ有難いです。

    差し支えあればスルーでも結構です。
引用返信/返信 削除キー/
■3335 / inTopicNo.53)  色々
□投稿者/ 田秋 -(2020/06/30(Tue) 14:24:55)
    2020/06/30(Tue) 14:39:10 編集(投稿者)

      floraさま

    >完全5度の音律の周波数を3:2としたのは、かのピタゴラスだと一般的には言われているようですね

    正確には完全5度を11回積み重ねることによって1オクターブ内12個の音(元になった音+積み重ね11回→12個の音)をを決定することをピタゴラスの音律と言います。1オクターブ上の音との周波数の比は1:2や完全5度上の音ととの周波数の比が2:3であることは別にピタゴラスが決めたことではありません。

    現在のチューニングAの高さは日本では442となっています。計算を簡単にするため一昔前のA=440を使って説明すると、このAの完全5度上のEはA(440):E(x)=2:3でx=440×3÷2=660と計算されます。その上のHは同様にE(660):H(x)=2:3でX=660×3÷2=990となります。基音のAの1オクターブ上のA=880なのでこのHはその2度上のHとなり、1オクターブ下げてやると990÷2=495となります。こうやって12の音の高さの関係を決定する訳です。
    これが一番わかりやすい例ですが、欠点があります。完全5度を12回積み重ねると元の音Aの何オクターブか上のAが得られるのですが、これが元のAの整数倍にならない、ということです。ある数を1.5倍(2分の3倍)するということは未来永劫元の数字の整数倍にはならないのです。

    この方法だと12個目に現れたAの5度下のDも狂っています。それを下げて基音Aのあるオクターブ内に置いてもAの5度上のEがぴったりなのに比べて聞き劣りがするので、上に5回(E-H-Cis-Gis-Dis)、下に5回(D-G-C-F-B-Es)と計算しようじゃないか、という考えになります。DisとEsが異名同音になるのですが計算上は異名異音になってしまいます。

    音律は他にもあり代表的なものが純正律と平均律です(他にもあります)。ハ長調に調律された鍵盤楽器のドミソやソシレは素晴らしくきれいに響きます。しかし、レファラはかなり気色悪い音がします。高校生の時聴かせてもらったことがあります。ハ長調の純正律調律ではDとAが完全5度ではなくなってしまうのが原因です。
    これを是正したのが平均律です。

    >ピリオド奏法
    古楽器奏法とも言います。正確な定義はわかりませんが、私の認識では作品が作曲された当時の演奏様式や形態を復元する奏法です。昔の事を文献や昔の楽器を研究することによってわかってくるんですね。例えば昔はもっとピッチが低かったことがわかっています。録音もない時代の事がどうしてわかるの?と思いますが、昔の管楽器を吹くとその当時のピッチがわかってきます。また、18世紀の初めには音叉ができ、それからもわかってきます。
    ビブラートは控えめに、弓は速めに動かします。音質は重くなく、弓は現代の奏法より数センチ中央よりを持ちます。右手の小指、現代奏法では小指は指先を弓の上に立てて乗せますが、ピリオドだと他の指と同じくかぶせるようにします。私は経験がないのでうまく説明できず、ひょっとしたら今書いたことにも誤りがありかもしれません。
    考え方は二つ、作曲家の頭の中で鳴っていたであろう音を再現するというのが一つ、今の奏法や解釈は進化の結果なのだというのが一つです。ま、どちらも一理あります。

    オケがピットに入るのは、バレエやオペラではオケは伴奏なので黒子に徹するということなのでしょう。ただ指揮者はダンサーや歌手とのコンタクトを取らなければならないので、オケも舞台も見えるように立ちます。ピットの音響ですが、良いわけはないと思うのですが、客席で聴いていて悪いと思ったことはありません(多分)。

    ショパンのソナタに関してはネットで書いてあること以上のことはわかりません。
    葬送の後の嵐のようなユニゾンは確かに何か意味があるんでしょうね。つむじ風が吹き荒れているように聞こえます。
引用返信/返信 削除キー/
■3323 / inTopicNo.54)  Re[20]: モーツァルトのSQ<不協和音>
□投稿者/ flora -(2020/06/29(Mon) 19:39:08)
    田秋様、こんにちは
    ご丁寧なご説明、誠にありがとうございます。

    >モーツァルトSQ[不協和音]
    >このニックネームは第1楽章の導入部分にかなり緊張した和音が用いられていることに由来します。モーツァルトが付けた副題ではありません。Floraさんが引用されたyoutubeはスコアがついているのでそれを利用して少し説明します。例えば3小節目の1拍目はVc=H、Vla=G、2ndVn=Cis、1stVn=Aです。これを並べ替えるとG―A―H―Cisとなり、いわゆる三全音(4つの音の関係が全て全音)が同時に鳴ります。これをトーンクラスターとは言わないでしょうが、ま、ドミソの和音に比べると澄んではいません。同じことが7小節目でも起こります。Vc=A、Vla=F、2ndVn=H、1stVn=Gが鳴り、並べ替えるとF−G−A−Hでやはり三全音が同時に響きます。
    >別の観点から、2小節目、ビオラはその前の小節からAsを弾いていて、2拍目1stVnがAから入ります。AsとAは半音関係にあり、異なった声部で半音関係が聞こえることを、和声学の初級では禁止しています。私見では短2度ならまだしも増8度(この曲では1オクターブ+増8度)で聞こえるとさらに緊張が増します。こういう緊張は当時の作曲界においては美しくないとされていたのでしょう。
    >勿論モーツァルトは和声学の初級者ではありませんからOKです。これを「名人に定跡なし」と言います。

    どうもありがとうございます。
    彼のような先頭を走る人間は、逆に常に新しいものを作っていくミッションがあるかも知れませんね。

    >「不協和音」とは関係ありませんが、和声学では連続5度も禁止されています。やはり特異な響きになるからということなのでしょう。ところがドビュッシーは本気で何故連続5度が禁止されているのか理解できなかったそうです。彼にとって連続5度の響きは美しかったのです。前に掲げたバルトークの2番のピアノコンチェルトの2楽章の冒頭は連続5度(この曲ではさらにもう一つ5度を加えています)の大嵐です。

    Knowing itselfさんが「音楽も数学的」と書かれていましたが、完全5度の音律の周波数を3:2としたのは、かのピタゴラスだと一般的には言われているようですね。和音と不協和音等を伺っていますと、まさに作曲家の無意識な数学的計算があるような感じもします。ただそれと自然に私たちに伝えるのが、作曲家の技量なのかも知れませんね。

    ドビュッシーといえば『映像』の第一集「水に映る影」はメロディがないんですよね。モネの『睡蓮』を想像させるようです。

    claudio arrau - debussy, reflets dans l'eau

    https://www.youtube.com/watch?v=l0Hyq4Xc7Q8

    それからお時間がありましたなら、ショパンのピアノソナタ第2の第4楽章、教えていただけませんか? 

    Frédéric Chopin - Piano Sonata No. 2, IV. Finale: Presto | Arturo B. Michelangeli

    https://www.youtube.com/watch?v=OUXt2ihNFac&list=TLPQMjkwNjIwMjA0kg4F9pU87A&index=1


    >floraさんが紹介された不協和音の演奏、古い時代の奏法ですね。ピリオド奏法とも言います。ピッチが半音低いので気が付きました。

    そうなんですか。知りませんでした。奏法を代えることはあることなのでしょうか?

    >ピットについて
    夏休みコンサートでオケも舞台に乗っている理由は、私が入団したときからそうだったので深く考えていませんでしが、多分理由はこうです。バレエは夏休みコンサートのプログラムの中の一つで(メインではありますが)、仮りにバレエの時だけオケがピットに入り、そのほかは舞台で演奏となるとバレエ前後の舞台転換に大休憩が必要になるからだと思います(実質演奏会が成り立ちません)。

    バレエやオペラで有名な劇場にオペラ・ガルニエがありますよね? そこにはオーケストラピットがありますよね。 メリットとしては指揮者がパフォーマンスを見れるということになると思うんですが、オーケストラの方々にとって音響効果はどうなのでしょうか? 



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■3321 / inTopicNo.55)  Re[24]: バルトークの作曲技法
□投稿者/ knowing itself -(2020/06/29(Mon) 13:01:51)
    > 「バルトークの作曲技法」については思い出があります。但し、私が指す「バルトークの作曲技法」はニコラス・スロムニスキーではなく、エルネ・レンドバイというハンガリー人が書いた本です。
    > 修士論文はバルトークに関することを書こうとは決めていたのですが、具体的なことが決まらず思案していた頃、「本を1冊訳して修士論文とした人もいる」と聞き、それでこの本を訳すというアイデアが閃きました。当時日本語訳はまだ出ておらず、英訳本は持っていました(原著はハンガリー語)。で、訳し始め、一応草稿のようなものが出来たのですが・・・その時、日本語訳が出ちゃったのです。谷本一之という人が訳したのですが、この時は相当この人を恨みました。後1年遅く出してくれれば良かったのに。。。あ〜あ、「訳して修士論文にする」というアイデアは完全に葬り去られました。
    > まあ、お蔭で自分の訳と出版された日本語訳の本とを対照し、誤りやわからなかったところもわかり新たな修士論文作成の役には立ちました。

    そういうことでしたか!実は前の投稿で恥ずかしい記述ミスをしてしまいました。コルトレーンが参照したのはニコラス・スロムニスキーのThesaurus of scales and melodic patterns で、それを理論的に根拠づけるのが、まさにエルネ・レンドバイ「バルトークの作曲技法」ということでした。

    釈迦に説法とはまさにこういうことですね(笑)
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■3320 / inTopicNo.56)  Re[25]: プラトン的
□投稿者/ knowing itself -(2020/06/29(Mon) 12:47:34)
    田秋さん、返信ありがとうございます。

    > 「音楽がプラトン的ということもその通りだと思います。私が慎重になるところは、最もプラトン的な芸術は音楽か?というところです。
    > 「吾輩は猫である」という作品に引き付けられていくのだと思います。この夏目の筆力はまさ「物質的な形それ自体よりも、物質的な形を超えたもの」だと思うのです。そのように思う時、私にはとても「音楽が最もプラトン的なもの」とは言えないのです。

    優れた文学作品は音楽的、音楽に接近するといえます。逆にどうしようもなくつまらない音楽作品より、一流の詩や演劇、小説の方が音楽になってしまう場合もありうるでしょう。ここで音楽とは、最もプラトン的な芸術という意味の音楽です。音を一切伴わない絵画やサイレント映画が音楽そのものと言えてしまう場合もあるかと。

    音楽の特徴は、音が鳴れば消えていってしまうことですね。CDで聴く時だってそうです。小説や絵画の物質的な媒体が変わらずに目の前にあるのとは大違いです。物質的な痕跡が儚く消えていっても鑑賞者の精神に残る、非物質的な圧倒的感動がプラトン的な芸術の本質であるのなら、小説でも絵画、彫刻でも原理は同じです。ただ音楽の場合はより直接的に問われるのだと思います。美術館で鑑賞するとしても、その感動は美術館から出て物質的な媒体が消えても強く残るものほど、プラトン的だということはいえるかもしれません。

    すべての芸術は音楽に憧れる、音楽を模倣する、という標語もありましたね。
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■3319 / inTopicNo.57)  バルトークの作曲技法
□投稿者/ 田秋 -(2020/06/29(Mon) 08:30:15)
    おはようございます。

    「バルトークの作曲技法」については思い出があります。但し、私が指す「バルトークの作曲技法」はニコラス・スロムニスキーではなく、エルネ・レンドバイというハンガリー人が書いた本です。
    修士論文はバルトークに関することを書こうとは決めていたのですが、具体的なことが決まらず思案していた頃、「本を1冊訳して修士論文とした人もいる」と聞き、それでこの本を訳すというアイデアが閃きました。当時日本語訳はまだ出ておらず、英訳本は持っていました(原著はハンガリー語)。で、訳し始め、一応草稿のようなものが出来たのですが・・・その時、日本語訳が出ちゃったのです。谷本一之という人が訳したのですが、この時は相当この人を恨みました。後1年遅く出してくれれば良かったのに。。。あ〜あ、「訳して修士論文にする」というアイデアは完全に葬り去られました。
    まあ、お蔭で自分の訳と出版された日本語訳の本とを対照し、誤りやわからなかったところもわかり新たな修士論文作成の役には立ちました。
     その数年後にハンガリーへ留学したのですが、同時期に何人か日本からの留学生がいました。大体20代前半、日本の大学を出てすぐ位の人が多いのですが、その中に高校卒業して留学してきた女の子がいました。リストアカデミーに聴講生としてではなく本学生として入学すると言うことでした。ですから普通の授業も全部受け(勿論ハンガリー語です)、ちゃんと卒業証書ももらえるわけです。北海道の女の子なのですが、なんと谷本一之先生の娘さんだったのです!先生はハンガリーとの関わりが深く何度もハンガリーでお目にかかりました。で、修士論文事件のこともお話しました。
    「いやあ、悪かったね。出版社からせっつかれてねぇ」
    これがご縁となり、先生がハンガリーへいらっしゃったときは親しく食事などを一緒にさせて頂き、面白い話もたくさん聞くことが出来ました。この娘さん、私よりも10歳若いのですが、ある時二人でコンサートのポスターかなんか見ていた時、こちらを振り返って「ねえ、お父さん」と言った時にはひっくり返りました。彼女も笑い転げていました。10歳違うとお父さんなのか!
    この人も今や立派になられてハンガリーから勲章をもらうほどになりました。

    掲載の写真、左にあるのはバルトークの楽曲分析に使っていた軸システム早見円盤です。中の直行軸を書いた円盤が回る訳で、今回写真を撮るために直行軸の円盤を作り直しました(カレンダーの裏に書いたので使い物にはなりません)。


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■3311 / inTopicNo.58)  Re[22]: 質問コーナー
□投稿者/ knowing itself -(2020/06/28(Sun) 21:31:02)
    > わたしの場合は極めて大雑把な印象ですが、たいていのジャズピアノを聴けばバルトークに近いものを感じてしまいますね。何故かわかりません。

    一時期ジャズを浴びるように聴いていましたが、近いというのは個人的な錯覚かもしれないとも思っていました。ジャズとバルトークの近さに言及する人を知ったのは後になってからです。モダンジャズの開祖ともいうべきチャーリーパーカーは、同時代のジャズより、ドビュッシー、プロコフィエフ、バルトーク、ストラビンスキーなどをより聴いたそうですし、伝記映画の中には、バルトークへの思慕を語ったシーンがあるとか。

    現代に至るまで決定的な影響を与えた人にもう一人、コルトレーンがいますが、コルトレーンの「コルトレーン・チェンジ」はバルトークの「中心軸システム」と同じだとの見解を、ニコラス・スロニムスキーという作曲家が著書「バルトークの作曲技法」で示しているそうです。この著書はamazonで購入できます。

    あとですね、バルトークのピアノ曲集「ミクロコスモス」とジャズの親和性についての記述はネットによく見かけます。ジャズのモード奏法とまったく同じだから「ミクロコスモス」で勉強しましょうという人までいますね。

    文学とプラト二ズムについては明日以降に書き込みます。
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■3309 / inTopicNo.59)  プラトン的
□投稿者/ 田秋 -(2020/06/28(Sun) 20:58:55)
    knowing itselfさま

    「プラトン的」の意味は大よそそわかりました(つもり)。音楽がプラトン的ということもその通りだと思います。私が慎重になるところは、最もプラトン的な芸術は音楽か?というところです。

    例えば文学、「吾輩は猫である」を例にとると、最初の一文を読んだ途端、私はこの擬人化された猫がどんな猫なのか興味津々、一気に物語に引き付けられます。これは「吾輩は猫である」という文字そのものにではなく文字を通して語りかけてくる、言い換えれば夏目の筆力によって主人公の猫が私の頭の中に誕生し、「吾輩は猫である」という作品に引き付けられていくのだと思います。この夏目の筆力はまさ「物質的な形それ自体よりも、物質的な形を超えたもの」だと思うのです。そのように思う時、私にはとても「音楽が最もプラトン的なもの」とは言えないのです。

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■3285 / inTopicNo.60)  バルトーク風ジャズ
□投稿者/ 田秋 -(2020/06/28(Sun) 16:47:06)
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