| レスありがとうございます。
>>プラトンが文字よりも声による対話を重視したのはよく知られています。 >>哲学の学習も、文字テキストにしがみつくより、声による直接的な対話をするのがよいと。 >>これは何も本や文字を読むなということではなく、文字という物質的な媒体より、文字に生命を吹き込む精神の現前こそが重要だということでしょう。 > > ギリシャ悲劇等も一般的な伝達は舞台、つまり声で広まったものと思いますし、ホメロスの『イリアス』『オデッセイア』等も最初は口での伝達で本にまとまったのはそのあとだったと思いました。 > > キリスト教においても、最初は口で新約等の内容を口で伝えていたということがあると思います。
そうですね。古代人の文化はたしかに口伝が先行しますが、プラトンの場合は音声言語中心主義が現代に至るまで西洋哲学を規定してきたということでしょう。フランスのジャック・デリダという哲学者は「声と現象」などの著作において、プラトンからデカルト、ヘーゲルなどを経てフッサールの現象学に至るまでの、音声優位・ロゴス中心主義を批判しています。
> プラトンの 『国家』の第3巻に若者たちへの教育を語っている部分があるのですが、のちの指導者にとって必要なのは、音楽と体操だと言っています。なぜ音楽なのかということですが、リズムとハーモニーは魂の内側に入りそしてとどまり、恵を与えるから、つまり魂と作るからだということのようです。 高潔な人円は物をつくるというようなことのようです。音楽に関して ベタ褒めのように見えます。
一方でプラトンは詩人追放などといっています。極端ですね。
>>ジャンルでいえば、弦楽四重奏曲がもっともプラトン的ですかね。 > > プラトンの時代の弦楽器は、リュラ―とハープだったと思います。 アポロのアトリビュートはリュラ―のようですので、弦楽器が最も崇高だと考えられていたと思います。
そうですね。もちろん弦楽四重奏はハイドンあたりに範型があって、ベートーベン、その後、バルトークやショスタコービチなどで発展した、近代の編成です。プラトン本人は絃楽四重奏を知りませんが、プラトン的な形式と内容の一致と精神の純粋な対話という意味で、弦楽四重奏曲が最もプラトン的かなと、knowing itself は考えているということです。
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