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■3456 / inTopicNo.25)  Re[32]: 偽?アインシュタインの演奏
  
□投稿者/ 田秋 -(2020/07/03(Fri) 21:26:37)
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■3455 / inTopicNo.26)   アインシュタインの演奏
□投稿者/ 田秋 -(2020/07/03(Fri) 21:07:38)
    アインシュタインはバイオリン演奏が趣味でしたからね。
    https://www.youtube.com/watch?v=BdUaNVPI1nU
    好きな作曲家はモーツァルトだったそうですから、「モーツァルトが聴けなくなることだよ」というのは本心かもしれません。

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■3452 / inTopicNo.27)  アインシュタインの名言
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/03(Fri) 20:44:49)
    物理学者のアインシュタインに、「死とは?死とはモーツアルトが聴けないことだよ」という名言がありました。真意はよくわかりませんが、彼ならハーモニーの美しさに宇宙的な幾何学に通じるものを感じていたとしても不思議ではありません。
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■3451 / inTopicNo.28)  ヨーロッパ音楽の特殊性
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/03(Fri) 20:22:46)
    まず文学、絵画、建築など圧倒的な蓄積があったというのはそのとおりだと思います。クラシック音楽の展開は比較的新しい。それにもかかわらず、クラシック音楽の発展が目覚ましいものになった理由の一つが、プラトン的なものがあったからだと思います。
    田秋さんは日本の音楽家にお札になった人がいないと仰ってあました。夏目漱石や福沢諭吉は当たり前の感覚でお札になっている。やはりヨーロッパにおけるベートーヴェンやバルトークは思想家や文豪に匹敵するのでしょう。プラトン的な伝統がない非ヨーロッパ文化で音楽家がそこまでの地位をもつことはなかなか考えにくいのではないでしょうか。

    現代ではポップ系音楽などでもミュージシャンの地位は非常に高いですが、そこでもハーモニーの基礎はクラシックがあるからですね。
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■3434 / inTopicNo.29)  新参者
□投稿者/ 田秋 -(2020/07/03(Fri) 14:55:28)
    私は音楽を生業としてきましたが、文学や美術にはずっと尊敬の念を抱いています。さらに本業であるクラシック音楽の立場からすると、それは畏敬の念と言っても過言ではありません。何故かというと、クラシック(古典)音楽というのは(ちょっとズルして)バロック音楽まで含めたとしても、たかだかここ400年ほどの歴史しかないのです。いわゆる新参者です。

    音楽の父と言われるヨハン・セバスチャン・バッハが生まれたのは1685年です。ですからミケランジェロ(1571―1610)、レンブラント(1606―1669)、フェルメール(1632―1675)などはバッハの音楽を聴いたことがないのです。フェルメールなどはそんなに昔の画家というイメージはないのですが、それでも音楽の父はその後の生まれです。日本の歴史と比べると江戸時代以降です。

    歴史が浅いから劣っているということではありませんし、ここ数百年で1000年分くらいの音楽の天才が出た感もあるのですが、やはり建築、絵画、文学などに接すると歴史の重みは感じます。
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■3409 / inTopicNo.30)  Re[27]: 物質的な形を超えたもの
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/02(Thu) 19:12:58)
    こんばんは、レスありがとうございます。

    > プラトン的で有ろうと無かろうと、物質的な形を超えたものに価値を置く最たる芸術は音楽だとはやはり私には言えません。それぞれの分野の最良なものを比べれば同点引き分けノーサイドだと思うのです。

    物質的な形を超えたものに価値を置かない芸術というのは、ほぼありえないですからね。それぞれの分野の最良のものを比較して序列をつけられないことには、賛成します。

    > そもそも「物質的な形を超えたもの」がそれぞれの芸術において何を指すのでしょうか?人は芸術に感動します。芸術作品から発散される何かエネルギーのようなもの、音や色、形、文章といった媒体に密接に関係しながらもそれを超えた何か、正確には説明できない、しかし誰もが経験する何か、そういうものが心を打つのであり、それが各々の芸術の「物質的な形を超えたもの」だと私は思います。

    そうだと思います。

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■3406 / inTopicNo.31)  プラトン
□投稿者/ pipit -(2020/07/02(Thu) 17:07:39)
    みなさま、こんにちは。

    田秋さまはじめ、話題が高度過ぎて私には話がわかってないのですが、
    『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』伊藤邦武さん(無縁さんのご紹介、感謝です!)
    という本に、プラトンのことが載ってました。

    引用します。
    『古代ギリシアの哲学者、たとえばプラトンは、宇宙の組み立てが
    数学的に見て美しい図形をモデルにして設計されているはずだ、と考えました。
    彼らは、宇宙の数学的構造を見通すことが、
    宇宙そのものが奏でる天上の音楽に聞き入ることだと考えました。
    (略)
    星空の世界を科学として考える。そのために、星の運行のあり方を一つのシステムと考えて、そこに数学的知識を活用する。
    その結果として、星空の世界を直接目に見える美の世界ではなく、
    音楽的調和の世界として感じるようになるー。
    これがまず古代ギリシアの文明において独自な形で展開した考え方の大きな道筋です。
    (略)
    したがって、数学的な比例の世界は、音楽的な調和の世界と非常に密接に結びついている。
    あるいは数学の世界とは音楽の世界そのものであり、それは世界の中にある調和の姿を、
    目や耳を通して私たちに教えてくれる学問に他ならない、となるのです。
    (略)
    しかし、それ以上に決定的な思想として、後代の哲学者たちにも非常に強い印象を与えたのは、
    宇宙全体が確固たる数学的構造をもち、それゆえに芸術的調和を体現しているという、
    その調和の思想によってでした。
    彼はピュタゴラス派の人びとのように、数学=音楽の追求から一直線に魂の浄化が可能になる、と考えたわけではありません。
    むしろ、宇宙の数学的構造と魂の働きとは、それぞれ別に探究されるべきではあるが、
    最終的にはそれらが同じ構造をもっていることに、
    われわれは目を開く必要があるのだープラトンの哲学の核心にはこのような考え方があります。』
    p15〜50より抜粋引用終わり

    めにみえないほんとのもの、から、
    目に見えるように、
    耳に聞こえるように、
    私たちに見せてくれる。
    聴かせてくれる。

    世界の調和の一部分を、切り取り、
    奏でてくれる。

    これだよ、と、取り出してくれる、才能ある人々。

    芸術に関わる、そんなひとたちのイメージを思い浮かべました。


    あるいは、心が、物質を産みだす。
    形あるものに、心が、表現されてる、のか。

    そんな感想を持ちました。

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■3403 / inTopicNo.32)  サモトラケのニケ
□投稿者/ flora -(2020/07/02(Thu) 12:43:44)
    私が10代のころ、ルーブルで初めて見て、非常に感動したヘレニズム時代の彫刻。
    紀元前200年ころのもののようです。力強い身体に張り付いた衣のドレープの美しさ、ポーズ、単に感動しました。芸術というものは予備知識等のバックグランド関係なしに感動を与えるのが芸術ではないかと、私は思っています。
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■3398 / inTopicNo.33)  物質的な形を超えたもの
□投稿者/ 田秋 -(2020/07/02(Thu) 07:54:40)
      おはようございます、knowing itselfさん

    音楽にもプラトンにも造詣の深いknowing itselfさんが「音楽はもっともプラトン的な芸術ではないでしょうか」と言われるのですからきっとそうなのだと思います。ただknowing itselfさんが最初に仰った「プラトン的なというのは、物質的な形それ自体よりも、物質的な形を超えたものに価値を置く」という点に関しては、その考え方がプラトン的で有ろうと無かろうと、物質的な形を超えたものに価値を置く最たる芸術は音楽だとはやはり私には言えません。それぞれの分野の最良なものを比べれば同点引き分けノーサイドだと思うのです。

    そもそも「物質的な形を超えたもの」がそれぞれの芸術において何を指すのでしょうか?人は芸術に感動します。芸術作品から発散される何かエネルギーのようなもの、音や色、形、文章といった媒体に密接に関係しながらもそれを超えた何か、正確には説明できない、しかし誰もが経験する何か、そういうものが心を打つのであり、それが各々の芸術の「物質的な形を超えたもの」だと私は思います。


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■3396 / inTopicNo.34)  形式と内容
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/02(Thu) 07:31:29)
    おはようございます。

    詩と散文を比べると、詩を上位に置くのが東西を問わず伝統的な価値観でしょう。ギリシアのホメロスや悲劇には韻律があるし、日本の俳句短歌も。詩には韻律という形式があるので、形式に内容を盛り込む作業がたいへん。小説などの散文は何を書いてもいいのでいきなり内容から始まる。クラシック音楽の場合は、和声法や対位法などの形式にあわせて音を並べる。音楽の場合、詩と違うのは、詩では形式に盛り込む内容が個々の単語なので形式と内容がズレているのに対し、形式に盛り込む内容が物理的な音それ自体ということではないか?

    「吾輩は猫である」の夏目漱石は詩の名手でもありましたね。漢詩、英語の詩、どちらも専門家からみて素晴らしいそうです。俳句は学生時代に正岡子規と影響を与えあっただけにこれまたよい。
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■3388 / inTopicNo.35)  Re[30]: プラトン的な芸術としての音楽
□投稿者/ flora -(2020/07/01(Wed) 20:47:13)
    こんにちは

    >> プラトンの 『国家』の第3巻に若者たちへの教育を語っている部分があるのですが、のちの指導者にとって必要なのは、音楽と体操だと言っています。なぜ音楽なのかということですが、リズムとハーモニーは魂の内側に入りそしてとどまり、恵を与えるから、つまり魂と作るからだということのようです。 高潔な人円は物をつくるというようなことのようです。音楽に関して ベタ褒めのように見えます。

    >一方でプラトンは詩人追放などといっています。極端ですね。

    彼が追放すべきという詩人は狡猾さで人の模倣をしている類の詩人で、町へ迎え入れたい詩人は、自分たちの魂のためによき人の語りを模倣するもっと厳格で楽しい詩人・・・ということだったと思います。

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■3385 / inTopicNo.36)  Re[24]: お詫び
□投稿者/ flora -(2020/07/01(Wed) 20:17:04)
    2020/07/02(Thu) 01:40:32 編集(投稿者)

    田秋様

    田秋様は今までの経験を生かされて、大人や子供たちにヴィオラをお教えることなどはなさらないのですか?

    いつも丁寧に時間を費やして文字で書いてくださり、教え方が非常に上手なお方なのではないかと思っています。

    引き続きよろしくお願いいたします。
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